2013年10月09日

背番号『21』物語 【土橋正幸〜武田久】

日本歴代4位となる無四球試合「46」の記録を持つ土橋正幸さん。無四球試合が多かったなんて訊くと、一般的にはコントロールの良い武田勝や少し前の北別府学さんらの「技巧派」のようなイメージを抱きがちですが、実際に現役時代の土橋さんを目にされた方や打者として対戦してきた選手の話を伺ってみると、ずいぶん速い球を放っていたのだそうな...

つまり、“速球派”でもあったわけですね。抜群の制球力を持ち合わせながら、ストレートは150キロに迫ろうかというスピード!なるほど、「9者連続奪三振」(日本タイ)「7年連続2ケタ勝利」だなんて、とてつもない記録を打ち立ててしまうのも頷けます。


その土橋さんが今年8月にお亡くなりになりました。突然の訃報に驚かれた関係者やファンも大勢いらっしゃったでしょう。一連のニュースの中で現役当時の貴重な映像や写真を拝むこともできたのですが、そこに背番号「21」をつけた、若き日の土橋さんの雄姿を目にされた方も結構いたと思います。

そこで今回は故人を偲ぶ意味も込めまして、土橋正幸投手から始まった、ファイターズではファンの間でも『エース番号』として名高い、背番号「21」プレーヤーについて振り返ってゆきます...


1958-1968 土橋正幸 (背番号「48」からの変更)
1969-1980 高橋直樹 (日本鋼管より新入団)
1981-1984 高橋里志 (広島カープより移籍)
1985-1986 三沢淳 (中日ドラゴンズより移籍)
1987-1997 西崎幸広 (愛知工大より新入団)
1998-2003 清水章夫 (近畿大より新入団)

≪北海道移転≫
2004- 武田久  (背番号「54」からの変更)


土橋さんが無四球試合歴代4位なら、あとを受け継いだのが同9位タイの記録を持っている、高橋直樹投手でした。1979年は年間11の無四球試合を達成した精密機械。フライヤーズ時代から含めると7度の2桁勝利をマークしています。タイガースにいたエモヤンを彷彿とさせるような眼鏡と髭が特徴的な投手だったのですが、投球ぶりは極めて繊細でした。

直樹さんと入れ代わる形で1981年に広島からやってきた、同姓の高橋里志さん。ともに移籍をしてきた江夏豊投手と、どうやら犬猿の仲だったらしく、当時の大沢啓二監督もずいぶん気を揉んでいたのだとか。しかし、ファイターズでは中継ぎ・または先発の谷間でと、大車輪の活躍をみせて第一期黄金時代の中心メンバーとなりました。1982年には防御率1.84でタイトルも獲得。


1987年からはふたたび大エースが誕生。東京ドーム本拠地時代に一世を風靡した、西崎幸広投手が「21」を継ぎます。ノーヒット・ノーランを達成するなど実力も超一流でしたが、同投手は若い女性ファンをも取り込んでしまうほどの、凄まじい人気を誇っていました。


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カルビープロ野球カードより


‥入団後の数年間の酷使がたたってか、晩年はやや故障がちだったのが玉にキズでしたけれども、エースといえばやはりこの方の印象が根強いです。


1998年は新人の清水章夫投手。西崎投手の直後で『ルーキーには多少重い番号なのでは‥』 と心配しておりましたが、彼に「21」を与えたのは訳があったのです。他球団との争奪戦の末に、ファイターズが“逆指名”までこぎ着けたという、いわば「三顧の礼」で清水投手を迎え入れたのですから。

1年目にいきなり故障を負ってしまって、しばらく低迷。3年目にようやく初勝利をあげ、お立ち合いで『もう勝てないんじゃないかと思った』 なんて、泣じゃくっていた姿が今でも忘れられませんね...

清水投手のあと、武田久投手の“抜擢”には驚きました。駒大時代は大エースとして活躍していましたが、プロ入り後は中継ぎでの起用で一貫していましたから。エースナンバーの系譜も北海道移転を機に途絶えたのか思いきや、これが大正解。あの体の小さな投手が長年にわたって「リリーフエース」として君臨し続けてくれることになるとは‥。偉大な先輩方に立派に顔向けできるほど、背番号を自分のものとしています。


駆け足で振り返ってきましたが、いかがだったでしょうか。錚々たる顔ぶれに、筆者も自然と力がこもりました(笑)。もっとも印象に残っている投手‥‥それは世代によって変わってくるのでしょう。ただ、「21」がファイターズにとって特別な番号であることが、これで少しでもご理解いただければ冥利に尽きます。


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ファイターズの、監督
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2013年09月22日

サイレントK -沈黙のマウンド-

たしかファイターズに移籍してきて、まだそんな経っていなかった頃の話です。

『ゆうや!』

誰かがそう大きな声で叫び、好投してベンチに戻ってきた裕也を迎え入れている声が聞こえてきました。たぶん‥というか、かなりの高い確率でその声の主は鶴岡慎也‥とみているのですが、なんとなく嬉しかったんですよね。当たり前といえば当たり前のことなのですけれど、チームメイトがそうやって他の選手と同じように裕也と接しているのだなというのが垣間見えた気がして。

社会人時代からバッテリーを組んでいた経験もあって、気心が知れている仲。でも元々鶴岡はそうした人情味のあふれる男です。ファイターズにやってきてからはチームメイトとの“橋渡し役”的な存在ともなって、彼の存在には裕也もずいぶんと助けられてきたことでしょう。


「声を聞いてみたい」 ずっとそう思っていました...

ドラゴンズ時代にお立ち台でインタビューを受けていた記憶はありますが、ファイターズ移籍後はまだ叶えられていません。ただ、裕也の“心の声”が聞ける本と、少し前に巡りあいました。それがこちらの書籍です。





高校生の裕也。当時の心情や幼少の頃に抱いていた思いなどが綴られています。『ぼくは絶対にプロ野球選手になる』 ‥夢というよりも、もうこのときから堅い“決意”があって、実際にそれを実現させてしまっているのだから、彼は本当に凄いと思います。同じように障害を持っている球児やプロスポーツ選手を目指している人たちにも勇気を与えてくれるでしょうね。

横浜商工時代に得た、かけがえのない仲間についてや彼をサポートしてきた家族への感謝が本書の大半を占めているなか、カラオケが大好きで虎舞竜の「ロード」が18番であったり(笑)、腕に障害のあった元MLB投手、ジム・アボット投手への憧れですとか、裕也のあらたな一面をみることもできました。

‥それと、どうやら裕也は熱狂的な?ベイスターズファンだったらしいので、ファイターズへトレードを通告されたときはショックも多少はあったかもしれません。ごめんね、裕也...


本の制作にも携わった鴇田修一さんの、冒頭の【石井裕也くんについて語る】。ここにとても印象的な一文があったので、紹介しておきます。


裕也にとっての野球は、自分を雄弁に語るための手段なのかもしれません。そんな裕也だからこそ、私たちは大きな希望と夢を抱くのです。


なるほど頷きました。彼から特別な言葉は発せられなくとも、投球にそのすべての想いが込められていたのだと‥‥。だからきっと私は毎試合彼が登板をするたびに「感動」を覚えていたのです。 「潤いを与えてくれる男たち」より

裕也の、投球に込められたメッセージ‥‥。これからあなたもそれを“感じて”みませんか。もっと聞いてみたくなって、彼のことをもっともっと、好きになります。


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2013年09月20日

「裕也愛」

衝撃的な光景に、おもわず息をのみました。


15日のソフトバンク戦。代打・ペーニャの放った猛烈なピッチャーライナーが足を直撃。痛さで顔をゆがめ、その場でうずくまってしまった、石井裕也投手‥‥。翌日には1軍登録を抹消され、その後の詳しい経過などはまだ入ってきておりませんが、今シーズン中の復帰はちょっと難しいかもしれません。


個人的に彼の大ファン。親しみもこめて、ここからは『裕也』と呼ばせていただきます。

今シーズンの裕也は6敗(4勝)が示すように、大事な場面で痛打されるシーンも、結構目につきましたでしょうか。だだ、防御率は2点台で17ホールドもファイターズに移籍してきて最多。安定していたときの方がもちろん多かったのだけれど、一たびバランスを崩すと歯止めがきかなくなってしまい、制球を乱してメッタ打ちをくらってしまうという試合も数度見かけました。

51試合(19日現在)はプロ入り以来自身最多登板。年間を通して1軍のマウンドにい続けたのは今季が初めてで、体調管理の部分などでなかなか思うようにいかなかった可能性もあります。それらを踏まえれば、苦しみながらも裕也はよく頑張って投げてくれたのではないでしょうか。


‥彼を本気で好きになったのは実況を務められていた方の、試合中のある言葉に深い感銘を受けたためでした。札幌ドームで、投手がカウントを不利にしたときにスタンドから沸き起こる「激励の拍手」ってありますよね。いつだったか裕也が投げている日にそれが起きて『石井の心に届いているでしょう』 と、おっしゃっていたのです。あぁなんて粋なコメントをされる人なんだと...

以来、そのアナウンサーではなく(笑)、石井裕也というピッチャーに大注目するようになりまして。無論、私とて一応1野球ファンですので、生まれながらに難聴を抱えていたのは前から知っていましたが、純粋にひとりの男として『彼のことをもっと×2知ってみたい!』 そう思いはじめてきたのですね。‥なんかこの文面だけを見たら、まるで恋する乙女のようですけれど、まぁ似た心境かもしれません(笑)


知れば知るほど「ファイターズに来てくれてありがとう」の気持ちでいっぱいになります。次回も裕也について、それともう少し‥私に「裕也愛」 を語らせてください。

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2013年08月28日

ファイターズの、監督

土橋さんまで...


尾崎行雄さんも今年亡くなられましたが、ともに1962年の東映球団初の日本一に貢献された土橋正幸さんも24日、77歳で旅立たれました。近ごろ姿を見かけないとは思っていましたけれど、まさか‥‥。今でも信じられない、いや、信じたくない気持ちでいっぱいです。




現役時代の雄姿を目にしたことはありませんが、球団の歴史を紐とけば、かならず投手部門のどこかには土橋さんの名前があり、偉大な選手であったことは以前から存じておりました。私がリアルタイムで土橋さんを目にする機会が訪れたのは、1992年のファイターズ監督就任時。

前年オフのテレビ番組(Fuji系珍プレー集)で、現在は芸能界から身を引いている司会のS氏から監督が決まったことを紹介され、照れ臭そうにしていたのを覚えています。柴田保光さんの好投により開幕戦で勝利を収めたときも涙をみせていましたっけ。


残念ながらその年の成績は振るいませんでした(5位)。後年になって知ったのですが、大沢啓二さんが著した「球道無頼」によると、一部の選手と確執などもあったそうです‥。そこに詳しい記述はなかったのですが、推測するに江戸っこ気質な土橋さんにやり方に、選手がついていけなかった‥または水に合わなかった‥そんな感じでしょうか。ただでさえ、一喝されればしょげてしまいそうな“おとなしめ”の選手が、当時はたくさんいましたからね。

その点、同じように強情でいてべらんめえ口調の親分は「アメとムチ」をうまく使い分けていたような気もしてきます。土橋さんは人柄とか采配云々よりも、あの頃のファイターズに、ただ“マッチ”しなかったということなのでしょう。ノリが良くて、受け流すのも得意としていそうな選手が多数在籍していたスワローズ監督時代との違いは、土橋さんも肌で感じ取っていたかもしれません。


土橋正幸さんについては別の機会に、またあらためて触れてみたいと考えております。とにかく今は悲しみにたえません‥。心よりご冥福をお祈りいたします。


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≪関連≫
「18歳の剛球エース」

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2013年07月21日

【改訂版】 間柴茂有という至宝

楽天の田中将大投手が開幕連勝記録を伸ばしてくれることによって、ハムファンの私でも嬉しく感じられることがあります。

それは‥1981年に開幕15連勝という偉業を成し遂げた、間柴茂有(マシバ・シゲクニ)さんの名前をメディアが取りあげてくれること。この方は連勝記録どころか無敗のままシーズンを終えて、勝率10割の日本記録を保持されています。


今まで何度もここで云ってきているように、筆者はファイターズが弱かった頃からファンになったので、先人たちがつくった過去の偉大な記録ばかりを調べていました(笑)。その中でも特に気になった選手が1年目から22勝をマークし、新人王とMVPをW受賞した木田勇さんと、やはり先述の10割投手・間柴さんなんですよね。

『なんなんだ!このマンガみたいな活躍をした人たちは』って、私も子供ながらに。夢中になって間柴さんの“足跡”を追っていたときもありました。おかげで同じ“10割投手”の御園生崇男さん(タイガース)という、1リーグ時代の投手の名前および読み方を知ることもできましたし(笑)


ところで今の人たちの反応を知ろうと、Twitterで【間柴茂有】と検索窓に打ってみたら、こういった書き込みがありました。

『防御率はそんなよくないよね』

1981年の間柴さんの防御率は3.46。たしかに現代の田中投手の防御率とは比較にもならないし、15連勝するほどの投手が残した数字にはいささか見えません。そういえば2005年に同じ開幕から15連勝を果たしたホークスの斉藤和巳投手。当時コーチだった島田誠氏が、詳しい一言一句は忘れましたけれど、こんなような言葉を口にしていましたっけ...

『内容的には数段、和巳の方が上』

1981年に間柴さんの後ろで外野を守っていた島田氏が云うのだから、説得力があります。


たしかに“運”も味方していました。当の間柴さんをして『なぜこんなにツイているんでしょう』(13連勝時)、『いったい、どうなっているんでしょうね。ラッキー、すべてラッキーです』(日本新記録となった14連勝時) こう云っていたくらいなのですから(笑)



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1981年9月8日 朝日新聞【スポーツ】13版より


さらにいうと実際にはその年、6度もKOされていたんです。4月8日の西武戦は先発して1回もたず、4失点でマウンドを降りているし、5月8日の同戦でも2回途中4失点でノックアウト。2番手として登板した5月27日の阪急戦ではわずか2/3イニングで5失点なんて日も...

それでも終盤に味方が同点に追いついたり、逆転してくれたりで間柴さんには絶対!負けがつかない(笑)。13連勝のときも南海・山内孝徳投手に完璧に抑えられいて敗色濃厚だったのに、9回に打線が一挙4得点を挙げてのサヨナラ勝ちですから。ちなみに12勝目もチームのサヨナラ勝ちによるもの。今風にいえば『シゲさんの強運どれだけ』って感じです。


また対戦チームとの“巡り合わせ”も、味方してくれました。実は15勝のうち、約半分にあたる7個の白星は近鉄戦(同年最下位)から稼いでいました(笑)。以下、5位の南海から5勝‥‥ロッテから1勝。ただ、それまでカモにされていた阪急・西武両チームからそれぞれ初勝利をあげて15連勝を飾ったあたりに、間柴さんの意地も見ましたね。

遡ってくと日本ハムの前に所属していた大洋の2軍でくすぶっていたところ、当時ロッテの2軍監督を務められていた大沢啓二氏が間柴投手が持つ能力に目をつけて自軍に引っ張ってきたという、すべては幸運な縁から「伝説」は始まりました。


‥色々な見方はあると思いますが、チームメイトだった江夏豊さんが口にしていたセリフ。これが総括するにもっともらしいお言葉でしょうか。江夏さんは当時、こうおっしゃってくれています。


『ツキだけでは15連勝などできない』


本当にその通りですよね。運だけでやっていけるほど、甘い世界ではないはずです。ファイターズは2013年も田中投手に例年通りカモられていますし(苦笑)、そこが少し複雑な部分ではありますけれど、こうして「間柴茂有」の名と記録がふたたび世に知れ渡ってゆくことは、1オールドファンとして悦びもあります。

余談ではありますが、最後に。私が現役時代をみたのは本当の最晩年でしたけれど、うちの母親から全盛期は女性人気が高かったという話を訊いた覚えがあります。イケメンなのかどうか‥は判りませんが、たしかに一度見たら忘れられないような、投球同様?味のあるお顔をしていましたね。ナインやファンからは「ケロヨン」と呼ばれていたんだそうです(笑)

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2013年06月21日

背番号 『19』 物語 【尾崎行雄〜増井浩俊】

菅野智之投手が仮にファイターズに入団していたら、背番号「19」を与えるような気がしていたのですが、翌年ジャイアンツで同番号を背負うことになろうとは‥。自分が描いていた通り、またそれがよく似合っていて、なにか皮肉めいた感じもしましたね。

それで昨シーズン、増井浩俊が「43」から昇格。変更後も主力に相応しい活躍をみせてくれています。増井投手のように“ご褒美”的な意味もあって良い背番号を与えるという流れは、見ている方も気持ちいい。なんとかその番号を自分のものにしてほしいなって、応援したくもなりますよね。ただ、旧背番号でレプリカユニフォーム等のグッズを購入してしまったファンは、いささか有難くない話なのかもしれませぬが(笑)

その増井投手。6月半ばの時点で防御率が3点台後半と、中継ぎとしては決して優秀と呼べる数字ではありませんけれども、ここぞという場面で三振を奪えるのが、やはり彼の大きな魅力ですよね。今シーズンもイニング数に近い奪三振をマークして、ときにハラハラさせながらも(笑)、守護神・武田久に繋ぐ重責を担ってくれています。


それでは増井浩俊もサマになってきた、Fs歴代背番号「19」選手について、今回は振り返ってゆきます。


1962-1973 尾崎行雄 (東映〜日拓)
1974-1977 野村収 (金田留広との交換トレードにロッテより移籍)
1978-1988 間柴茂有 (野村収との交換トレードで大洋より移籍)
1989-1991 上岡良一 (東北福祉大学より新入団)
1992-1994 島崎毅 (NTT北海道より新入団)
1995-2003 厚澤和幸 (国士舘大学より新入団)

2004-2007 清水章夫 (背番号「21」からの変更)
2007    萩原淳 (木元邦之・清水章夫との交換で歌藤達夫と共にオリックスより移籍)
2008    中村泰広 (金村曉との交換で阪神より移籍)
2009-2011 林昌範 (M中村・工藤隆人との交換で二岡智宏と共に巨人より移籍)
2012-    増井浩俊 (背番号「43」からの変更)


東映で一時代を築いた尾崎行雄さんが日拓ホームフライヤーズとなった1973年までつけたあと、記念すべき日本ハムファイターズ元年に「19」を背負った選手が、ロッテから移籍の野村収投手。2008年までファイターズの2軍投手コーチも務めてくれたので、なじみ深い方ですよね。


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「12球団勝利」というのをプロ野球で最初にしたのが、この野村さん。もちろん当時は交流戦などない時代でしたので、少なくともセ・パ2球団ずつに籍を置かなければ達成できなかった記録です。なので、昨今続々と誕生してきている「12球団勝利」投手とは何か“重み”が違うような気もしますね。計4球団でプレイし、通算121勝をマーク。ファイターズ時代の1975年には最高勝率のタイトルも獲得されています。


野村さんとの交換で大洋ホエールズからやってたのが、間柴茂有投手(ましば・しげくに)。そのまま空いた「19」を引き継ぎました。そうそう、間柴投手で思い出すのが‥開幕連勝記録。6月20日の時点で楽天にいる田中将大投手が、開幕から負けなしできていますよね。いつのまにか“飛ぶボール”に変更されていても(苦笑)、例年と変わらないような成績を残す田中投手は本当にすごいわけですが、彼が勝ち続ければ続けるほど、開幕から15勝負けなしを果たした間柴さんの記録が、またクローズアップされる日も来るのではないでしょうか。

‥実は間柴さんは2シーズンにまたがって(1981-1982)16連勝しているんですよね。ただ、あいだにあったポストシーズン、ジャイアンツとの日本シリーズで2敗を喫してしまったのは、本人も相当悔しかったでしょう。特に41.3%と驚異的な視聴率を叩きだした第6戦では2回KOを喰らってしまい‥‥。それでも間柴さんは『トレードでファイターズにきてよかった!』と、絶対にそう思ってくれているはずです。


1992年からの島崎毅投手は入団時より即戦力として期待されていましたが思うような成績が残せず、「19」を剥奪された1995年から活躍をしだしのは何とも皮肉です。結果的に島崎投手から同番号を奪う形となってしまった新人の厚澤和幸投手も、二軍で最多勝を獲得したりノーヒットノーランを達成したりと、キラリと輝く投球もみせてくれましたが、1軍での白星には結びつかず...

厚澤投手と同じ左腕で、周囲の期待を一身に集めて入団してきた清水章夫投手が2004年から。清水投手は背番号「21」からの変更でしたけれど、“昇格”という雰囲気ではなかったですよね。「19」もいい番号なのですが、ファイターズの「21」はかつて西崎幸広さんら、偉大な投手が付けておられた背番号でしたし。どちらかといえば“降格”の向きが強そうな、筆者の目にはそう映りました。

以後、萩原淳投手や中村泰広といった移籍組の投手が背負うも、いずれも短い期間でチームを去ることになってしまい、「19」はまだ受難の時代‥‥。同じく移籍してきた林昌範投手がようやくリーグ優勝に貢献する働きをみせてくれて、久々に1軍のライトを浴びる、19番を目にすることができました。


このように生え抜きの選手がつけることじたい、けっこう久々な番号となるわけですが、「19」を身に纏ってさらに1軍戦で大活躍したとなれば、生え抜きでは尾崎行雄さんまで遡らなくてはなりません。それだけに増井投手には何としても頑張ってもらいたい。今の番号で!‥天国にいる球団、そして背番号「19」の大先輩にも勝利の報告ができますよう、マスマスの躍動を期待しております。


尾崎行雄さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。


≪関連≫
背番号『1』物語
背番号『2』物語
背番号 『11』 物語

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ラベル:間柴茂有 野村収
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2013年06月20日

「18歳の剛球エース」

「怪童」尾崎行雄さんが今月13日、お亡くなりになりました...


様々な逸話は、私も書籍等で目にしたことがあります。まず最初に驚いたのは高校を2年で中退して、日本ハムの前身である東映フライヤーズに入団しているんですよね。‥中退してというか、球団が“中退させて”といった方が正しいでしょうか。当時はまだ自由競争の時代。現代でいうなら済美高に在学中の安楽智大投手を、強引に入団させてしまうようなイメージです。ドラフトが始まる前から頭文字「F」がつく球団の、新人選手獲得の際に起こすミラクルぶりは、健在だったのですねぇ(笑)

それでも18歳の“尾崎君”は新人年からプロでいきなり20勝をあげて新人王、チームの日本一にも貢献しています。なかなか当時の映像を確認する機会に恵まれないのですが、この頃の尾崎投手はひたすらストレートで押しまくる投球スタイルだったそうです。本当、どれだけの「豪速球」を投げていたのでしょう。今の大谷翔平を見ていても判るように、ただ“速い”だけではプロ打者相手にいとも簡単に弾き返されてしまいますからね。相当な“強さ”もあったはずです。

星野監督「めちゃくちゃ球が速かった」怪童・尾崎氏死去MSN産経ニュース


1年目の20勝を皮きりに、入団6年目までには104の勝ち星を積み上げ、その間放ったイニング数は、なんと1383回1/3。有名な「権藤、権藤、雨、権藤」なんて言葉もあるように、当時の野球界ではそれほど驚くべきことではないのかもしれませんが、現代野球では到底考えられないハイペースです。しかし、この登板過多が尾崎投手の選手寿命を縮めてしまったのもたしかなわけで、以後の成績がそれを如実に物語っています。


近年のように1週間に一度、せいぜい中4〜6日の登板間隔で回していたら、いったいどれほどの生涯成績を残されていたのでしょう。少なくとも29歳という若さで現役を退いてしまうこともなかったはずですし、球団名が日本ハムファイターズと変わってからも変わらず剛球を放っていた、30代の「怪童」がいたかもしれません。

こういった発想をしてはいけないのは重々承知の上で‥ですけれども、悲しいかな“記録マニア”の性です(苦笑)。でも、もっと映像技術が発達してからの、尾崎投手の雄姿を拝んでみたかったというのは、偽れざる心境ですかね...


ところで尾崎さんはフライヤーズ時代、背番号「19」を背負っていました。現在の19番・増井投手よりも速かったのしょうか?‥‥筆者はこの手の“妄想”が大好物です(笑)。球団史に名を刻んだ故人に敬意を表する意味で、次回は尾崎行雄さん以降の、Fs歴代背番号「19」を振り返ってみたいと思います。


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2013年02月26日

プレイバック 【キャンプリポート.Final】

キャンプ期間中にお届けしてきた「プレイバック」はとりあえず今回が最後。トリを飾るに相応しく1976年度版と1993年度版、2紙面から取りあげてみます。


ところでこの両年はある共通点があります。 ‥ピンときますか?



右1976年2月17日 朝日新聞【スポーツ】13版より
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左1993年2月17日 朝日新聞【スポーツ】14版より


両年とも大沢啓二氏がファイターズの監督に就任された年なんですね。76年は新任で、93年はフロントでの業務を経て“再登板”。記事によると76年は全体の1/3以上メンバーを入れ替えたそうで、大きく顔ぶれが変わったことが、まず冒頭に記されています。長年チームの柱として君臨してきた張本勲さんでさえも、この年トレードでしたからね。

逆にかつて投打「二刀流」で話題になった永淵洋三さんは近鉄からの新加入。目の色を変えて(野球に)打ち込んでいると、あります。他には“泣いて”巨人を去ったと、高橋一三さん。それから服部敏和さんの名も。これらの選手が活躍して悲願の優勝に結び付くまで、ここから5年の歳月を要することになるのですねぇ...


一方の93年版。前年故障者が続出してしまったことを踏まえ、年間を通じてケガをしない、頑丈な体づくりに重点を置くというのが、まずキャンプの大前提だった模様。今季から韓国球界・起亜でコーチを担う花増幸二さんの号令のもと、選手たちは各々のトレーニングに励んでいたそうです。

続いてあった「自由練習」についての記載。ここにちょっと注目してみたのですね。

【自由練習についての評判はいい。主力選手の一人は「昨年は練習時間も長く、やらされている感じがした。今年は自分で考えてできるから、快い汗がかける」と明かす。
裏返せば、豪傑肌の大沢監督が選手に意外なまでの気配りをしている、という見方もできる。親分の背中に、「忍耐」の二文字が見えた】
※原文ママ


記者の美しい〆方も、私なんかうっとりとさせられてしまうのですが、それよりもちょっと待ってください?これと似たような記事をどこかで見た記憶が‥‥。そうです、76年版にも大沢氏の「選手操縦法」を称える記述があったのです。

【十年選手であれ、新人であれ、少しでもたるんだ選手をみつけると、容赦なくどなりつける。これがまた不思議と受けがよい。「遠慮なくしかられる方があとくされがない。これまでのように、ベテランを特別扱いしないから‥‥」。べらんめえ調の怒鳴り声は日増しに大きくなり、早くもキャンプ前半でしわがれてしまった。いよいよドスの利いたハッパに、選手たちは酔いしれたように動く】 ※原文ママ


つまりは、いつの時代においても大沢氏は選手たちにとってひじょうに受けの良い監督であった...

時の変化やそれにともなって変わってくる選手の特性にも配慮・合わせながら、やり方を変え、うまく立ち振る舞っていたことが、この両リポートから透けて見えてきます。‥そうなんですよね、たしかに近くで接してきた人ほど、大沢氏のその人間性を称える人は数多くいらっしゃいます。優勝こそ1度だけでしたが【名将】と云われたる所以はきっと、この辺りにもあるのでしょうね。





それにしてもキャンプのトレーニング効果もあったのか、1993年という年には心底驚かされました。開幕前の評論家連中からの下馬評は最悪でしたけど、フタをあけてみたら首位・西武とわずか1ゲーム差の2位でしたから。ファンとてまさかの(?)大躍進!90年代でファイターズがもっとも輝いた年といって、差支えないでしょう。

真夏の首位攻防戦に3連勝し、うまそうにタバコふかしながらインタビューに応えていた親分、忘れられないなぁ...



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2013年02月19日

プレイバック 【キャンプリポート1981】

ファンが受けた衝撃の大きさは、今回の糸井嘉男のときと、同じくらいあったのでしょうか...


1980年のオフ、ファイターズはおもいきったトレードを敢行していました。それまで二桁勝利7度の実績をほこっていた大黒柱・高橋直樹投手を放出し、前年の日本シリーズで奇跡的なリリーフをみせた江夏豊投手を広島から獲得するという、主力選手‥いや、スター選手同士の電撃トレード。

どうなんでしょう‥。筆者がまだ物心つく前に起きた出来ごとでしたので、推測でしかありませんが、日ハム・広島両チームのファンは当時、かなり複雑な心境を抱かれていたことと思います。



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1981年2月15日【朝日新聞】スポーツ13版より


記事をよく読んでみると、江夏投手の獲得の背景には戦力面以外に、大沢啓二監督(当時)の様々な思惑も働いていたようですね。

【「先発型は一人減ったけど、高橋直の代わりはなんぼでもいる。ウチにとってプラスの方がはるかに大きいよ」と大沢監督。戦力的なそろばん勘定はやってみなければ分からない要素もあるが、他の選手に与えている心理的な影響を考えた場合、効果十分のトレードだったようだ】 ※原文ママ


なるほど‥と。トレードではありませんでしたが、巨人を自由契約になった落合博満選手に手を差し伸べた際にも、同様な期待を寄せていたという話を訊いたことがあります。気になったのは、さらにそのあとの記述...

【阪神、南海、広島とつねにゴタゴタが絶えなかった江夏だが、けん制プレーの時などは、投げ方やタイミングを他の投手にアドバイスするなど、積極的にチームにとけこもうとする姿勢がうかがわれる】 ※同上


周囲からは『一匹狼』と呼ばれ続けてきた孤高の左腕‥‥。意外な一面が見れた気がします。発展途上だったチームにおいて、とくに若手選手は江夏投手からのアドバイスにずいぶんと刺激を受けたでしょう。

それにしても‥‥のちの日本ハム退団時、そのあと在籍した西武をのときも、江夏投手にとっては決して気持ちの良い“去り方”ではなかったはず。プレーヤーとして数々の伝説を打ち立ててきた同投手も、ここだけはどうしても免れない「運命」だった、今はそう思えてなりません。


【その江夏は、キャンプインと同時にトレーニングを始めたため、まだ体づくりの段階。ピッチングも本格的にはやっていない。しかし、八割方は他の投手と同じ練習をこなすようになってきおり、マイペースながら仕上がりはうまくいっているようだ】 ※同上


『ははーん』と、納得。トレードのゴタゴタもあったせいか、いくぶん調整が遅れていたのですね。この年、江夏投手は開幕直後に立て続けリリーフに失敗するなど、前半戦はあまり調子がよくなかったのです。トレード実現に向けて奔走した大沢監督もさぞかし心配されていたでしょうけど、ただ、後半には復活してMVPまでさらっています。


1981年は江夏投手を獲得したファイターズがリーグ優勝を遂げ、一方のカープは3連覇を逃すといった、結果的には明と暗が分かれる形となってしまいました。当時の記事を目にし、あらためてトレードの裏側の部分や、移籍によってチーム内に与えてくれた「効果」といったものも知ることができて、あのトレードの見方がまた少し、変わった気もします。

今オフのオリックス球団との間で成立した大型トレードも、背景などを調べてみると奥は深そうな気配ですね。何年後かに両球団がどんなドラマを生んで、そのとき私は一体、なにを語っているのか‥今は想像すらできません。


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2013年02月16日

プレイバック 【キャンプリポート1982】

‥いよいよ、現実味を帯びてきたんじゃないですか?


PLM(パシフィックリーグマーケティング株式会社)から先日、「レジェンド・シリーズ2013」の開催が発表されました。

【『レジェンド・シリーズ2013』とは、2013シーズンの下記対象試合において、パ・リーグ6球団の監督・コーチ・選手が、自球団の歴史や伝統に関係するユニフォームを着用してプレーするイベントになります。当イベントを通じて、プロ野球(パ・リーグ)の歴史や伝統を尊重し、プロ野球界全体を盛り上げていくこと、また野球振興や青少年の健全育成などの社会貢献活動に取り組んでいくことを目的とします】 ※北海道日本ハム公式サイトより


ここでファンがもっとも気になってしまうのは「どの時代のユニフォームを着用するのか?」ってこと。ファイターズなら、そうですね‥‥私も以前から言ってきましたが、やはりオレンジユニフォームを、もう一度!見てみたいんですよ。なんかアレがハムっぽくて好きでした。ハムだからオレンジ‥“まんま”ですものね(笑)。ただ、正確にいうとオレンジではなく、バーニングレッドと呼ばれる色らしいです。「炎」を基調としたんだそうな...



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それで冒頭『現実味を帯びてきた』と書いたのは、レジェンドシリーズ2013の“開催場所”に注目したんです。8月30日からの千葉ロッテ3連戦が敵地QVCで行われ、9月3日からの3連戦‥‥ここですね、ポイントは。福岡ソフトバンクとの3連戦がファイターズの「東京ドーム」主催!

ともに関東で、主催ゲームの舞台となるのが東京ドーム‥。これで東京時代にゆかりのあるユニフォームが復刻されるのは、まず間違いないとみて良いでしょう。

そこで個人的な見解ですが、候補となるのはまだ復刻されたことがないオレンジか、1993年から着用していた縦じまか‥。両ユニの“一騎打ち”の様相を呈してくるのではないかと思われます。縦じまも「ビックバン打線」を象徴するようなユニフォームでしたし、なんだかんだで10年間も身にまとい続けてきましたから。

‥でもオレンジがいいかな。時空を超え、斎藤や大谷がアレを着た姿を想像すると興奮してきます(笑)。皆さんはどっちがいいですか?


さて、このユニフォーム話に関連しての、「プレイバック」シリーズ。今回は1982年のキャンプリポートからです。前年、東映フライヤーズ時代以来となる、19年ぶりのリーグ優勝を遂げたファイターズ。当然周囲の下馬評も高かったわけですが、「連覇」のカギを握る選手として、この選手の名が挙げられていました。

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2013年02月13日

プレイバック 【キャンプリポート2003】

球団創立40年...


振りかえってみると、ここ10年間のうちにファイターズを取り巻く環境はずいぶんと変わりました。毎年優勝争いに顔を出せるような強豪チームに変貌したのも驚くべき変わりようでしたが、何より、本拠地を東京から北海道へ移転したこと!これがもっとも大きな「変化」だったといって、良いのではないでしょうか。


移転を翌年に控えていた、今からちょうど10年前‥‥のちの明るい未来へと繋がっていく、ひとつのターニングポイントがありました。それは球団初の外国人監督、トレイ・ヒルマン氏の監督就任です。



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2003年2月17日 【朝日新聞】スポーツ14


当時はまだ外国人の監督なんてそれほど馴染みがなかったし、氏もメジャーでの監督経験はなかったこともあってか、ファンの間でも賛否はありました。しかし、私はこの決断を支持しています。今となっては“結果論”みたいに訊けてしまって恐縮なのですが、ちゃんと根拠はありました。


これくらい大きな「維新」をしなければ、ファイターズは変われないだろうな‥‥と。

誰がやっても、どんな名将と呼ばれた監督が務めてきても‥実に20年以上もの間、ファイターズは優勝できなかったのです。いい線までいくときは何年かに一度あるのだけど。これはチーム力がないわけなのでは決してなく、もっと何か他の目に見えない部分が欠落していたのではないか?

‥そんな「負の流れ」を断ち切るには、外部からの血を‥いっそ、異国からの“風”を呼びこんでみるのもアリなのでは?そう感じていた次第です。


選手との意思疎通や米国野球との戦術面での違いなど、まったく不安がなかったといえば嘘になりますけど、あれはキャンプが始まって少し経った頃でしょうか。当時、中心選手のひとりだった小笠原道大が、こんなような言葉を口にしていたのです。


『このボスについていけば必ずチームは強くなる』

これをきいて何ともいえない安心感を覚えました。選手がこう言っているだから、ヒルマンなら大丈夫!彼なら絶対チームを、ファイターズを優勝させてくれる...


その私にとって十数年来の夢が、わずか3年後に果たされました。就任当初はメジャー流を推し進めていた感もあり、球数制限や送りバントを多用しない野球を実践していた記憶があります。

それでなかなか結果を残せないでいると「スモールベースボール」と呼ばれた“日本式”に戻して花開いたのは皮肉といわれればそうだったかもしれません。しかし、また別の見方をすると上に載せた記事にもあるように【日米融合】を、ついに結実させた形でもあったのです。

ファンサービスも積極的に行っていたヒルマン‥‥東京ドームでの握手会。緊張の面持ちでいた私を、彼は青の瞳で見つめ、とてもにこやかに『アリガトウ』と、言ってくれました。あのとき触れた厚くて温かい手、その感触はいつまでも自分の脳裏に刻まれています。


さて、この2003シーズン。ホーム最終戦、すなわち東京本拠時代の東京ドームラストゲーム(9/28 対L)にすべてが集約されていたかと。終盤までリードをしておきながら、押し出しによって勝ち越し点を許すという、なんとも後味の悪い幕切れとなってしまいました(苦笑)

後半戦は5度にわたる「勝率5割」の壁を乗り越えられず、最後は6連敗もあって借金12の5位でフィニッシュ。個人成績では坪井智哉が.330の高打率をマークし、小笠原道大が2年連続首位打者。エチェバリアなんていう、わすれがたき助っ人選手も活躍していました。彼らの働きによってもたらされた4試合連続二桁得点!(5/23〜5/26 25日のM戦は、なんと19-1)。これも良き思い出になりましたね。



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2013年02月10日

プレイバック 【キャンプリポート1998】

古くは加藤哲郎や川口知哉といった選手たちのように、もしかしたら彼も、マスコミによって“キャラ”をつくり上げられてしまったのではないか‥‥そんな風に感じてしまったときもありました。



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1998年2月15日【朝日新聞】スポーツ14版より


西浦克拓さん...

まぁもちろん、直に接してきたわけではないので彼の“人間性”といったところまで、正直わかりかねますが、傍から彼を見てきた身といたしましては、どちらかというと寡黙で今でいう、優男のような印象すら抱いていたものです。それが記事では以下のように書かれていました。


【来年も開幕は落合さんでしょうけど、結果を出して欲しくない。つぶれて欲しいというのが本音です】 (原文ママ)

こんなことを言える選手だったのかと(しかもオチさんに)、当時は驚いてしまいましたね。記者によって“誘導”された発言なのでは‥つい色々と勘ぐってしまいましたけど、西浦さんにとって「勝負の年」であったのは間違いないし、云ったのはおそらく事実でしょう。

‥のちによぎったのは、もしかしたら彼は「上田(利治)監督好みの選手になろうとしていたのでは?」こんな風に考えたこともあります。上田氏は闘志を前面に出すような選手を特に好んでいましたから。現に記事中でも【あのぐらい言っていいんですよ】と、氏はおっしゃっています。 まあ推論に過ぎない部分ではありますが。


しかし、これも性質なのかもっと別の問題なのか‥‥落合選手が退団した翌年、いや、厳密にいうとその前の同選手がレギュラー争いから脱落してしまった時期あたりから、西浦さんの成績も下降線をたどっていきました。

これらを踏まえてみると、やはり上田さんのような常に発破をかける人が必要で、「落合博満」という大きな目標があったのは西浦さんにとって、プラスに転じていたのかなと、今はそう感じています。

‥15年前、懐かしい1998年の「キャンプリポート」からでした。


さて、この98年というのはファイターズファンにとって、また別の意味で忘れられないシーズンとなったでしょう。前年のエース・グロス投手がオープン戦で離脱するも、岩本勉・芝草宇宙・関根裕之、それからこの年一気に飛躍を遂げた金村暁ら、若手投手陣の活躍とビックバン打線が猛威をふるって、前半首位を快走していました。

2位に8ゲーム差をつけて前半を折り返すも、“地獄”の9連敗あり、上位チームとの直接対決にはことごとく敗れるわ、とうとう9月にはライオンズに首位を明け渡してしまいます。あの時ばかりは「この球団は優勝なんて、夢のまた夢なのではないか‥」そんな風に悲観してしまいましたよね。

だって一昨年の96年も前半戦終了時で5ゲーム差つけながら、最終的にはオリックスに栄冠をさらわれ、この年は最大10ゲーム差もあったのに、それでも優勝できなかったのですから。だから前半どんなに調子がよくても、後半には失速してしまうのだろうといった「悪夢の観測」が、当時のファイターズファンの中にはありました(苦笑)


昔を思うと、現代のFsは本当にたくましいチームなりましたね。今後も“年間を通じ”、強いファイターズでいてくれることを、ひ弱な時代を目にしてきた古いファンたちは、強く願っております。


≪関連≫
「煌めき」西浦克拓
「00年型」ビックバン打線



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2013年02月08日

プレイバック 【キャンプリポート1991】

キャンプインから1週間が経過し、そろそろ各球団も実戦形式の練習を始め出した頃でしょうか...


報道によると7日に行われた紅白戦でファイターズ・中田翔が右方向へホームランを放ち、幸先のよいスタートを切ったそうです。ただ彼は、キャンプからオープン戦にかけてくらいまでは調子がよくて絶好調モードなんだけど、シーズンが始まるとサッパリ‥‥なんて傾向が近年見受けられるので(苦笑)、“飛ばしすぎ”には注意してほしいですね。特に来月にはWBCも控えてますし。


さて‥2月の半ばにもなりますと、書店などでは一斉に「選手名鑑」が店頭に並びます。今年は両リーグで注目の新入団選手も多いですし、発売を楽しみにしている野球ファンも大勢いると思います。私もその内の一人のわけですが、幼少時はあまりお金を持っていなかったので、購入することができませんでした。スポーツ紙でも毎年“保存版”と銘打った名鑑号が掲載されますけど、我が家はあいにくスポーツ紙をとっていなかったので、それを見ることさえも叶いませんでした。


そこで私がこの時期に楽しみにしていたのが「キャンプリポート」。1球団ずつ、各球団の担当記者がキャンプでの様子を報告してくれる企画、一般紙でもよく見かけますよね。幼き日の私はあれの日本ハムの順番が回ってくる日を、それはもう、心待ちにしておりました。普段はちっさい記事しかないだけに、余計だったかもしれません(笑)


念願の日本ハムの日‥‥私はその記事をスクラップしてノートに貼り付け、あとからニヤニヤしながらそれを眺めていました。インドアぶりは幼少時から変わりありません(笑)。開幕前は後向きな展望が書かれていることなんて滅多にないから、気分がいいんですよね。だから私も便乗して『今年はニシザキとマツウラとツノで2ケタ勝利投手が、まず3人いて‥』みたいな妄想?を、勝手に張りめぐらします。 一体どんな小学生なんでしょう(苦笑)


そこで‥今回はそのときスクラップした宝物のような新聞記事や、のちに収集した該当記事といったものを、せっかくですので、皆さんの前で披露してみようかと思います。記憶を甦らせながら、当時の思い出話なども交え、振りかえってゆきます。第1弾は今から22年前、1991年のキャンプリポート。


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「1991年2月18日【朝日新聞】スポーツ14版」より


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2012年10月24日

ドラフト.シュミレート2012 【北海道日本ハム版】

今朝の新聞報道には驚きましたねぇ...


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大谷投手がメジャー挑戦を表明して、ファイターズも撤退するのかと思いきや、それでも果敢に指名しにいくとは。つい先日「大谷がメジャーに行ったとしても‥」って、前向きな気持ちに切り替えたばかりだったのに。さすが?日本ハムです(笑)


獲得できる選手から選ぶのではなく、NO.1の選手を指名する

それがドラフトであり、ファイターズのスカウティング


山田正雄GM68才の、とっても力強いお言葉。筋が通っている‥‥(球団的には)。色々賛否はあると思いますが、どんな時でもブレない、この勇敢すぎる姿勢はちょっと支持してみたくなってきますね。

「No.1の選手を獲りにいく」というのは昔から言われていて、ただ、傍から見ていると“話題性”がNo.1ぽそうな選手も中にはいたりしたのだけど、大谷翔平にかんしてはそのどちらもが当てはまるでしょう。とにかく投打にわたって大物の片鱗を垣間みせてますから。即戦力かどうかはまた別として、今ドラフトではNo.1クラスの逸材といってよさそうです。


しかし、早くもドラフト前日に起きてしまった“サプライズ”。これによって、私も事前に様々なシュミレートをしていたのですが、また振り出しに戻ってしまいました(笑)

大谷を指名するのは山田GMの言動などからほぼ間違いなさそうなので、単独なら形の上では丸く収まります。では仮に他球団もクジ引きに参戦してきて重複し、外れてしまった場合‥どうなるか?

今夏の甲子園でホームラン4発放った光星学院・北條史也君。彼なんかチームの補強ポイントとも合致するし(遊撃手)たいへん魅力的な選手ではあるけど、そこまで残ってくれているかどうか極めて微妙なライン。おそらく単独での1位入札はないと思われる、道都大のMAX149キロ右腕・佐藤峻一投手に狙いを定める可能性もありそう。

一部報道によると、外れ1位候補に創価大の小川泰弘投手、大体大の松葉貴大投手、社会人ヤマハの石山泰稚投手らの名が挙がっていましたね。過去の“傾向”からみて創価大の小川の指名は匂いますが、実際に映像でみると、身長は171センチと小柄ながら、変則的なフォームからキレのある速球を投げこみます。元々ファイターズは小柄な投手とは相性もいいですからね(笑)





松葉は速球派の左腕で、プロでも使い道は色々とありそう。左腕なら東福岡の森雄大投手も有力なドライチ候補でしょうか。上位ではなさそうだけど、自由が丘の武田健吾選手もイチオシ。「新庄2世」と呼ばれる身体能力の高さで“ポスト糸井”として獲得してみるのも面白い...


大谷君の線が自分の頭の中から失くなったとき、東浜巨か藤浪晋太郎かで真剣に悩みましたけど(笑)、彼らがどこに指名されるのかも、また楽しみのひとつです。

過去のデータでみると、近年のパ・リーグ球団のクジ運の強さはハンパないですからね。となると藤浪君はまさかの、オリックス!?忘れちゃいけない、もう一人の主役・菅野智之も、DeNAあたりが含みを持たせているし、昨年のハムみたいに波乱を起こす可能性も‥‥。それぞれの結末は25日の夜にはハッキリします。すべての結果を踏まえた上で、また2012年度のドラフト会議を総括してみたいと思います。



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2012年10月08日

【祝リーグ優勝記念】 エッセイ.3 -ホークスと西川-

リーグ制覇に導いた立役者はMVP候補筆頭の吉川光夫だったり、年間を通じて「4番」をまっとうしてくれた中田翔であったりすると思うんだけど、逆転優勝の【要因】ってのを考えたときに、ある2っの要素が大きかったと思うのです。


ひとつは「ホークスアレルギー」を克服できたこと。開幕からソフトバンク相手に勝てず、7月8日の時点で2勝9敗1分と圧倒されていました。この負け越しがあまりにも響いて同日の時点で首位・千葉ロッテに5ゲーム差もつけられていたわけですが、25日の対戦で武田勝が摂津に投げ勝つと、徐々に風向きが変わっていきました。

この日のスコアは1−0だったのですが‥覚えてますでしょうか?9回に登板した武田久の方が無死1、3塁で打席に内川という、同点は覚悟しなければならない大ピンチを迎えてしまった試合です。

フィールディングのよさには定評がある武田久が内川の投直をつかみとり、飛びだした1塁走者も刺して併殺を完成させ、なんとか逃げ切りに成功。この勝利以降、優勝が決まる日までファイターズはホークス相手に7勝3敗1分と、前半やられた分の「仕返し」をしていました。シーズン中に“苦手”を克服することができたのは非情に大きかったと感じます。


ふたつめは個人名になりますが、西川遥輝の台頭。大接戦だった8月以降の混パのなかにおいて、彼はとても重要な役割を果たしてくれました。キャプテン・田中賢介が試合中に負ったアクシデント...

あの日は選手やファン、すべての関係者に衝撃が走りました。昨年も足の故障で長期離脱をしてしまい、みんな田中の存在感の大きさを身をもって知っていたからです。思いたくないけど、やっぱり不安感が脳裏をかすめてしまう。‥‥賢介ぬきで本当に優勝争いなんかできるのか? と。


昨シーズンはスケールズを緊急補強し、それなりには穴をできることができました。しかし、今季のケースはもう時期的に補強することもできず、下からはい上がってくる若手選手の「発奮」に期待するしかない状況。そんなチームの一大事に、田中に代わってセカンドを最後まで死守してくれたのが、2年目の西川でした。

慣れないポジションではあったけど、抜群の“野球勘”でそれをカバー。そりゃ時にエラーしたりすることもあったけど、勝負強い一打でミスを帳消しにしてみせたり「田中離脱」のショックをそれほど感じさせない、若武者っぷり。

終盤はクリーンナップへ繋ぐ2番打者としてすっかり定着し、リーグ優勝に貢献してくれました。また同世代の杉谷拳士中島卓也といった選手たちも、西川の活躍に刺激を受けことでしょう。それが控え野手の「底上げ」に繋がった点も見逃せません。


逆転優勝へ導いた2つのキーワード 【ホークス】 【西川】
CS突破の鍵を握っている選手も、案外西川あたりだったりして...






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2012年10月05日

【祝リーグ優勝記念】 エッセイ.2 -ユウキとショウ-

先月札幌まで遠征してきた際、せっかくなので空き時間に円山動物園まで足を運んできました。

学生のころは動物を見て回っていたら適当に時間も経つし、彼女とそんなに会話をしなくて済むなどといった、やや不純な動機から始めたMY動物園巡りでしたが、今ではすっかり趣味と呼べる域に達してきています。ときに平日の昼間から上野動物園をひとりで散策していることさえあります。‥‥あぁ、こんな私って一体ナニモノなの?そのうち動物園ブログでも開設しようかしら(笑)

円山動物園もなかなかでした!特にお猿の種類の多さには驚いてしまいました。大好きな猛獣系は日中ということもあって皆さんダラッとされてましたけど(苦笑)。そういえば当日ブライアン・ウルフ投手のご家族も来園していました。ファイターズの選手も結構いらっしゃてるのかもしれませんね。


昨年産まれた双子のシンリンオオカミ!これはあとから知ったのですが「ユウキ」「ショウ」と名付けられたんですってね。由来はやっぱり斎藤佑樹投手と中田翔選手からなんだそう。名づけ方からして【さすがは北海道!】って感じです。そのうちハルキとかケンシとかも出てくるんちゃう?(笑)ユウキとショウには北海道で羽ばたいた両選手のように、スクスクと育っていってほしいものです。 参考URL



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これは母親のキナコかなぁ?


斎藤は今シーズンを『ケガをしないことが1つの目標だったので、基本的にはいいシーズンだった』と振り返っています。いいんじゃないですか!開幕投手を務め、しかもその試合で見事な完投勝利を飾り、ダルビッシュなき不安だらけのファイターズにとって、大いなる勇気と希望を我々に与えてくれました。さらにお立ち台で彼は『背負ってます』 そう言いきったんですよ?こんなセリフ、斎藤でなければ口にできませんって。

【ひょっとしていけるかも】なんて、勢いづいたチームは鮮やかなスタートダッシュに成功し、斎藤もGWまでに4勝をあげる“背負いぶり”。春先の快進撃は斎藤佑樹のおかげといっても、それほど過言ではないと思います。

ハタから見ていても怖いくらい、確かにうまくいきすぎたのかもしれません‥‥。6月頃から勝てなくなり、ついに故障以外では自身初となるファーム落ちまでしてしまいました。斎藤にとって天と地ほどの苦しい時間を過ごしたこともありましたが、これも今後に向けていい経験にはなったでしょう。結果負け越しはしましたけど、彼があげた5つの勝ち星(10/4現在)はその数字以上にチームに大きなものをもたらしてくれました。


しかし、2012年は投打ともうまい具合に機能しましたよね。斎藤が後半不調に陥れば同い年の吉川光夫が飛ぶ鳥落とす勢いで勝ちまくり、開幕勝負強い打撃でファイターズをけん引してきた稲葉篤紀選手の代わりにと言わんばかり、後半戦は中田翔が打棒を爆発させる‥‥。特に混パが佳境を迎えた終盤戦においての4打者は本当に頼もしく映りました。

北海道日本ハムファイターズが誇る2大スター・ユウキショウ
この2人がいなかったら今季のリーグ優勝は、なし得なかったでしょう。ポストシーズンでもさらなる活躍を、期待しています。



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2012年10月03日

【祝リーグ優勝記念】 エッセイ.1 -スポーツ報知の感想を語る-

ファイターズ、決めてくれましたね。“決めた”といっても当日は試合を見ているだけだったのですが(笑)。でもファンもそうですけど、今の選手たちはもっと幸せ者ですよ。東京にいた1981年、後期優勝したときが今回と同じく試合がない日に胴上げとなったんですけど、開放されたスタンドにはおそらく1000人もいなかったのではないですかね。それが札幌ドームに1万5000人強でしょ?選手も自ずとテンション上がりますって!来場されたファンの皆さま、誠にありがとうございます。


3年ぶりのリーグ制覇から一夜明けた今日‥‥スポーツ新聞を何紙か買いにいってきました。25年ぶりとなった2006年ころはもう嬉しくて、ファイターズの選手が一面を飾るだけでかならずといっていいほど購入していたのですけど、最近ではさすがにそういったこともしなくなりました。

いつしか常勝チームへと変貌し、一面トップがそんなに珍しいことでもなくなったのと、近年私自身のネット環境が充実してきたのもあって、大体の情報がネット経由で間に合うようになってしまったから。でも優勝が決まった翌日のスポーツ紙となったら話はまた別です。記念にもなりますし、仮にファイターズが常勝でなくなったときに見返したりすると、のちのち元気づけられたりもしますからね。『あぁ、こんな時代があったんだ』って(笑)


本日購入してきたスポーツ紙の中で、個人的にもっとも内容が充実してたと感じたのはスポーツ報知!今から日本シリーズ対策用に巨人の選手を分析するため‥‥といえば聞こえはいいのですが、残念ながら理由は他にあります。一面にあった、中田【パパ独占手記】という見出しが大いに気になってしまったからです。


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ここには奥様に新しい命が宿ったという中田翔の喜びや公私にわたって芽生えた責任感、さらには栗山英樹監督に対する感謝の想いや春先打てなかったころの苦悩などが一気に綴られていました。最後の方に【ファイターズに入って本当に良かった】なんて全道民、およびファイターズファンを泣かせてしまうような台詞もトツトツと語られています。いつからこんなに人の心を揺さぶるような文章を書けるようになったんだ!ナカタ〜

ファイターズファンとして有名なコラムニスト・えのきどいちろう氏と野球レコード収集家?中嶋勇二氏の対談を収められた企画も最高に面白かった。【斎藤佑樹の目指すべきところはOBの芝草宇宙だ!】だなんて、今まで湧いてこなかった発想。斎藤佑と同じ甲子園で活躍した桑田真澄クラスにはなれなくても、芝草さんの域なら達せられるというのです。うーん‥実に的確、かも(笑)。さすがです。 関連過去記事


あと驚いたのが栗山監督が若かりし頃にちゃっかりとCDデビューを果たしていたこと!記事内で紹介されていたCDジャケットに映る監督のお姿が昔のトレンディ俳優を彷彿とさせるいでだちで、なんだか笑えてきます。ちなみに【好敵手】と【フォー・シーズンズ】という曲名。皆さんはご存知でしたか?ちょっと調べてみたらすでに廃盤みたいでしたけど。ヒデキ、残念...


長くなりました。それでは最後に本日3日付、スポーツ報知の最終面もご覧いただいて締めたいと思います。終わりよければ、すべてヨシ‥?



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高橋由伸選手、要注意です!



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2012年08月27日

未来 −2012ドラフト談−

痛いですねぇ...

25、26日のイーグルス戦。ファイターズは4年ぶりの2試合連続のサヨナラ負けを喫してしまいました。25日は勝ち試合を落としてしまい、26日は微妙な判定の内野安打でジ・エンド‥。どちらも良い試合ではありましたけど、今は内容よりも結果を求められます。一方でそれぞれ先発を務めた谷元圭介・中村勝両投手が文句の付けようのない好投を展開していただけに「勝たせてあげたかった」という正直なファン心も、どこかにありましたかね...


後味が悪かったこともあり、この連戦についてはあまり振り返りたくないので、今回はファイターズの【未来】についてちょっと触れてみましょうか。今年の24時間テレビのテーマも“未来”でしたしね。タイミング的にもちょうど良いと思います(笑)

未来とはズバリ!拙者の好物ネタでもあるドラフト会議のこと。どの球団が誰をマークしているですとか、ぼちぼちそういったネタも上がってきていますよね。最近色々なところから情報を仕入れてきているのですけど、2012年も前年度に続いて『豊作なのではないか?』という見方があるそうです。


今もっとも注目を集めているのが、2012年は高校球界のBIG3!大阪桐蔭の藤浪晋太郎と花巻東の大谷翔平、そして愛工大名電の速球派左腕・濱田達郎の3投手。

ファイターズもBIG3のいずれかを1巡目で狙っているという情報を先日紙面で見かけました。私の周辺でも今年の甲子園春夏連覇の偉業を成し遂げた大阪桐蔭のエース・藤浪君がやはり一番人気が高いでしょうか。高校の先輩でもある中田翔もいますし、話題になりそうな感じはたしかにしますよね。

個人的には大谷翔平を推しているんです。何で?と尋ねられたら、私はこう答えます。


『一目惚れ』


もうこの一言に尽きます。ストレートが160キロを計測したとかでニュースにもなってましたけど、速さよりも、球筋ですよね。だってご覧になりましたか?高校生離れした立派な体躯から放たれる、力感あふれる直球!あれを目にしたとき、私はなんかダルビッシュ投手とダブって見えてしまいました。そんな表現も決して大げさでないくらい、大谷君に無限の可能性を感じましたね。




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ダルビッシュ投手といえば藤浪君はどちらかというと東北高時代の同投手に似ている気もしました。あの長身細身の体型からキレのある速球を投げ込んでいくところも重なりますよね。“球威”の観点からすると大谷君の方が現時点では幾分勝っていそうですが、こちらも将来有望であることに変わりありません。


一時期ファイターズも「1位候補」として名を挙げていた、亜細亜大の東浜巨(ひがしはま・なお)投手。ここ数年ずっと評価の高かった投手ですけど、今年に入ってやや調子を落としているそうですね。その辺が今後どう影響してくるでしょうか。

それからもう一人‥触れなくてはならない?注目選手が、菅野智之投手(笑)。ファイターズはドラフトでサプライズを起こす球団として有名ですけど、さすがに今ドラフトでは指名を見送るでしょう。というのも2年も続けて貴重な“ドラ1”枠をフイにしてしまうのは、球団としても絶対に避けたいはずです。某球団のファンの方、どうぞ今年は安心してください。(他球団は強行するかもしれませんが)


他にも注目選手や触れてみたい選手はたくさんいます。これからペナントレースの合間を縫って、またドラフト情報や関連記事なども紹介していければと思います。でも考えてみたら“会議”まであと2カ月くらいなのですね。驚愕の菅野から1年、歓喜の斎藤佑樹から2年‥。月日の流れが本当に早く感じます。



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2012年07月18日

【ハム目線】 史上最強の...

週刊ベースボールで組まれていた企画 「史上最強の変化球」はお読みになりましたか?事前に現役選手、コーチ・監督などにアンケートをとり【どの投手の、どの変化球が一番すごかったか】を誌上で公開したものです。

メジャーリーグでも大活躍し、今や“偉人”となりつつある野茂英雄氏と佐々木主浩氏のフォークボールが現場レベルでもダントツの評価だったそうですが、皆さんの胸に刻まれたのは誰の、どの球種だったでしょうか。



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2012.7月23日号より


拙者は実際に打席に立ったことがないので肌で感じたわけではありませんけど、画面上で見るかぎりではダルビッシュ有投手のカーブが好きでしたねぇ。あのドロップに近い、ドロンとした方のカーブ!キレの良さはもちろんですが、何よりあの球速差!150キロを超すストレートと実に40キロ近く差があるんですものね。速い球を待つ打者に緩いカーブを放って、前のめりになってしまうバッターの姿を見てるのがもう痛快で(笑)

私自身元々カーブが好きで、思い入れがある球種っていうのもあります。ほら野球経験者が最初に覚える変化球が、カーブだったりするじゃないですか。拙者でも投げられますからね。ヘナチョコカーブなら(笑)。それと今はあまり見掛けませんけど、ストレートとカーブだけで飯を食ってきた投手も数多くいました。往時の江夏豊投手や江川卓投手もその部類でしたよね。カーブには男の浪漫があります(?)


やはりファイターズ戦を多く観戦してきましたので、ここからは日本ハムの選手に関する“史上最強の変化球”について触れてみましょうか。先のカーブですと、岩本勉さんも武器にされてましたよね。1軍戦に出始めてきたころは緩いカーブと速球とのコンビネーションで打者を手玉に取っていました。

でもカーブといえば、現在は埼玉西武にいるマイケル中村!守護神だったファイターズ時代はカーブで相手の右バッターを震え上がらせていましたよね。一度浮き上がってストーンと落ちてくるような、あのボールの軌道はまさに「魔球」でした。

あ、そうそう!魔球で思い出しましたけど、多田野数人の超スローボールは「スカイツリーボール」なんて呼ばれているのですか(笑)‥これは世界レベル。彼を国宝にすべきです! ※多田野投手が墨田区出身で、これが由来なんだそう


現役投手なら武田勝の【チェンジアップ】も絶品です。フォークボールのように地面すれすれに沈んでいく、あの精度の高さ!右バッターでもなかなかバットに当てることができません。フォークとともに落ちる球の代表格【シンカー】を得意としていた建山義紀投手の切れ味も抜群でした。

建山投手と同時期に活躍されていた芝草宇宙氏は【シュート】。併殺を狙いにいくなら氏のシュートに賭けてみるのが一番(笑)。左腕投手がよく武器とする【スクリュー】の使い手が高橋憲幸さん。地味に井場友和氏の【フォーク】も好きでしたよ。それこそ大魔神ばりの落差はあったのですが、抜け球も多く‥(苦笑)

忘れちゃいけない、現代ではほとんどの投手が球種の一つとして持っている【スライダー】。スライダーだと西崎幸広さんのが飛びぬけていた印象です。“ビューン”とうなりをあげて曲がっていきますからね。しかも高速! “ビューン”とか“ドロン”とか“ストーン”とか‥。何か今日の拙者はN嶋元監督みたいですね。擬声語を文字であまり上手く表現できなくてすみません(笑)


それでも結局のところはどの球種にしたってダルビッシュ有投手の変化球が“最強”になってしまうわけですよ。これは仕方ありません。だって、彼は変化球の教本まで出してるくらいですからね(しかも若干22才のときに)

クライマックスシリーズで猛威をふるった打者の懐をえぐるツーシームに、ちょうど2年前のオールスターで披露してくれたジャイロカッター‥。今まで目にしたこともないような変化球を、同投手はたくさん我々に見せてくれました。あんな“実写版”星飛雄馬のような投手は今後もう二度と現れないかもしれませんね‥。あらためて史上最強の投手であったと、感じてしまいます。


≪参考≫




posted by 羽夢 at 21:39| Comment(2) | TrackBack(0) | FS特別企画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月31日

神宮とあの世界にいた、本当の“怪物”

甲子園とともに、野球の「聖地」とも云われている明治神宮野球場。野球好きでありながら、実はまだ一度も足を踏み入れたことがないんですよ。お恥ずかしい限りです。ファイターズ戦が年間2試合しか組まれていないのと、それと根っからの出不精な性質もたたりまして‥。今年こそはレッツ神宮!(自分自身に発破をかける意味で)


ですので、これらは映像等で確認しただけの話。子供のときから見ていて、神宮球場は何か劇的なホームランが多い印象があります。お父さんが見てる前でプロ初ホームランを打った長嶋一茂や応援歌が特徴的だった呂明賜の初ホームランもそう。あと有名な「バット投げ」の原辰徳、頭部死球翌日の試合で満塁ホームランを放ったクロマティ選手などなど‥。ヤクルトの本拠地なのと、当時はほぼ巨人戦の中継しかなかったので、必然的にこの両球団のエピソードのみになってしまうのですが。


でも、やっぱり「神宮の衝撃」というと、あの方を思い浮かべてしまいます。パッと日本にきて、サッと母国に帰っていってしまった夕立のような助っ人、ボブ・ホーナー選手。デビュー戦で挨拶代わりのホームランをかッ飛ばしたあと、次戦では球場狭しと3発も打ちこみました。現役バリバリのメジャーリーガーが日本にやってくるケースはそれまでもありましたけど、額面通りの働きしてくれる選手がほとんどいない中で「さすが!」と唸らせる活躍と、周囲に強烈なインパクトを与えましたよね。



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1987カルビープロ野球チップスより


“実物”もすごかったけど、個人的にホーナーでよく覚えているのは、以前にも話したことのあるテレビゲーム「燃えろ!!プロ野球」通称【燃えプロ】。萌えプロ?




発売したタイミングもよく、彼もスワローズ打線に名を連ねていたんだけど、これがもうハンパじゃなかったのですよ!ゲームの中だと太ってて(実物もややポチャか)威圧感もあってね。三振以外、とにかくバットに当てさえすれば、間違いなくスタンドインさせてしまうんだから。おそらく三冠王のオチアイやバースよりも上の能力で設定されていたんじゃないかな。そんな気もしてきます。


ここからは“ホーナー級”のインパクトはありませんが、ファイターズ関連に話を戻します。“韻”を踏んでいる名前の持ち主で、かつての【ドラ1】住吉義則選手を覚えていますか?アマ時代はプリンスホテルの主砲で、全日本の4番も務めていました。

ファイターズでは一桁の背番号「5」をもらい、大いに期待をかけられていた選手です。残念ながらプロでは思うようにその力が発揮できませんでしたけど、この住吉さん!1軍戦で唯一ホームランを打ったことがあるんです。その場所が神宮球場でした。‥といってもオープン戦での話なんですけどね。現在は少年野球の監督をされているそうなので、将来は【ドラ1】で指名されるような選手をぜひファイターズへ!


31日の東京ヤクルト戦は神宮で育った斎藤佑樹が先発します。このところ勝ち星から見放されている印象ですが、早大以来となるマウンドでどんな投球を披露してくれるのでしょうか。白とエンジからゴールド色のユニフォームを着替えた背番号「18」に、当日は注目してみます。




posted by 羽夢 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | FS特別企画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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