ダルビッシュ有がルーキーだった2005年。
デビューから2連勝を飾った翌日のスポーツ紙に良くこの選手の名が
記事として取り上げられる事があった。
矢野諭 (やの・さとし)愛媛県の帝京第五高校から97年に日本ハムファイターズ入りした
右投右打の投手。背番号は
20 
1997年5月31日、対千葉ロッテ戦。
私は矢野の1軍デビュー戦をスタンドから見届けていた。
考えてみたら1軍デビューはあのダルビッシュよりも早かったの
だから驚きだ。
元々前評判の高かった投手ではあったがつい数か月前まで高校生だった
若武者が一体どんな投球を披露してくれるのか大変興味深かった為に
実際に東京ドームまで足を運んでみた。
『ドラ1君』と言えどやはり人の子。
緊張感からか制球が定まらずに初回から無死満塁の大ピンチを招いて
しまう。
しかしそこから開き直ったのか、その日バッテリーを組んだ
山下和彦の
ゲキにも応えいきなり訪れた『試練』を無失点で切り抜けた。
その後も得点圏に幾度もランナーを何度も背負うなどピンチは続いたが
6回を投げ切って圧巻の零封ピッチング。
最後はリリーフに回っていた
岩本勉が試合を締めて矢野は勝利投手と
なりお立ち台にも上がった。
矢野の『快進撃』は次回登板にも続き翌月6日の近鉄戦では8回まで
投げ切って勝利投手。
こうして高卒ではまだ5人しか達成していないプロデビューから
2戦2勝の快挙を達成する。
※参考記録
他4人は阪急・三浦広之、中日・近藤真一、ダルビッシュ有、千葉ロッテ・唐川侑己・・しかしあの日の矢野に輝かしいファイターズの未来のエース像を
勝手に夢見てしまった管理人ですら予想も出来なかった、まさかその
2勝止まりで矢野の野球人生が終焉を迎えてしまう事になるとは・・
その年、2勝目を挙げた以降は故障をしたとゆう訳でもないのに
1軍で登板機会を与えられる事はなかった。
翌年の新人王を狙わせる為にあえて力を『温存』させたのだ。
私にはこれが悔んでならない。
『たら・れば』は野球界ではタブーだがもしあのまま矢野の若さ溢れる
勢いそのままに上で放らせていたらまた違った結果になっていた
かもしれないと思うのは私だけだろうか・・。
そういえば2005年、チーム名が北海道日本ハムとなってから
中継ぎとして一時的に復活を果たした矢野の姿があった。
デビュー当時から比べて投球フォームも球筋もスピードもすっかり
様変わりしていたが懸命に与えられた『持ち場』を低迷するチーム
の為に献身的にこなそうとしていた。
結局プロで『3勝目』を挙げる事は出来なかったがファイターズファンは
鮮烈すぎた矢野諭のデビュー当時の雄姿を忘れる事はないだろう・・