2009年06月13日

田中幸雄【Mr.ファイターズの光と影】

2007年5月17日、東京ドーム。
4回、楽天・山村宏樹から右前へ鮮やかな流し打ちをみせる!


ファイターズ一筋22年、田中幸雄
念願の2000本安打達成の瞬間。


1塁ベース上でナイン、日本ハムOB、関係者。
そしてこの日を待ちわびたファン・・
この偉大な記録を皆、我が事のように喜び、称えた。


誰もがその人柄を愛し、誰もがそのプレースタイルを好きになった
Mr.ファイターズ・田中幸雄。


田中にはそれだけのドラマ性と過去に熱い記憶があった・・


        y.tanaka
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苦難の道程の末に掴んだ栄冠、田中幸雄の英雄列伝・・・

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2009年06月06日

岩本勉【あの人に捧ぐ・・熱き想い】

現在行われている東京ドームでの読売対北海道日本ハム。
ちょうど同じ舞台で2005年、日本生命セ・パ交流戦元年だった
この年にこんな『珍記録』があった事を皆さま覚えていらっしゃる
でしょうか?



『パ・リーグDH制採用後日本人投手による初本塁打』



この『快挙』をやってのけた主はといいますと・・
CS放送GAORAでムッチャ日ハムびいき(?)な解説でお馴染みの
そう!あの岩本勉


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お茶の間でも有名なので皆さん、ご存知ですよね!軽快なトークで
大衆のハートを鷲掴みにする元祖・『球界のエンターテイナー』


実はあの試合も直後に連続ホームランを浴びてしまい敗戦投手になって
しまうとゆう『オチ』が付いてくるのも何ともガンちゃんらしい話。



今日はそんな岩本勉に纏わる英雄列伝・・・

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2009年05月16日

ジャイアンのサヨナラホームラン!【藤島誠剛】

いかつい風貌から言うと現在北海道日本ハムに在籍中の中田翔
『ジャイアン』そのものだが(失礼!)過去のファイターズには
正真正銘の『ジャイアン』がいた時期があった。


そのジャイアンと呼ばれていた男の名は藤島誠剛(ふじしま・せいごう)


山口県の岩陽高校から1987年、ドラフト3位で日本ハム入りした
右投右打ちの外野手。背番号『36


         s.fuzishima
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まさに鳥肌モノだった。
私は数々のサヨナラ劇、サヨナラホームランを目の当たりにしてきたが
この藤島が放った野球人生、最初で最後となったサヨナラホームランを
今でも忘れられずにいる。


あれは1997年4月22日。東京ドームでの福岡ダイエー4回戦。
1点ビハインドの9回裏2死1塁で打席に藤島が回ってきた。


ホークスのマウンドには当時守護神の役割を担っていた木村恵二
カウント1−2から投じた木村の甘く入ったカーブを藤島が豪快に
救いあげる・・・


打球は左翼席上段に突き刺さる劇的な逆転サヨナラ2ラン!
打った瞬間それと分かるまるでドライバーショットのように豪快で
凄まじい一撃がドームを震撼させた。


ファームでは長らく不動の4番として君臨していた藤島だったが
誰がこんな結末を予測できただろうか・・


それまでの10年間の通算成績が15安打で1HR。
この藤島が一世一代の大仕事をこの日、1軍の『晴れ舞台』でやって
のけたのだ。


上田利治監督に朗を労われ、プロに入ってから初めてとも言える
慣れない『ヒーロー』に嬉しそうに少しはにかんだ藤島の笑顔が
とても微笑ましかった。


97年は結局この1HR,2打点のみで終わってしまったのも元々、大器
晩成型だった『らしい』話だがこの藤島誠剛、実に印象深い一打を後に
数多く放ってきている。


99年には大社義規前オーナーのご当地、高松でL・西口から満塁弾を
含む2アーチを浴びせてチームを勝利に導くなど23のプロ通算HRの
うち、実に本が満塁ホームランとゆう勝負強さも光っていた。


【エピローグ】

現在は野球界から退きタクシー運転手をされているとゆう藤島さん。
住む『世界』は違えどいかつい風貌からは少し不釣り合いで根は
とっても優しい怪力『ジャイアン』は今日もお客に愛想を振りまき
ながら走り続けているのだろうか。


傍らで2009年も快調にペナントを走り続けるファイターズの動向を
きっと気に掛けているに違いない・・


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2009年05月07日

剛腕・ダルビッシュ有・伝説の左腕・近藤真一と共に・・【矢野諭】

ダルビッシュ有がルーキーだった2005年。
デビューから2連勝を飾った翌日のスポーツ紙に良くこの選手の名が
記事として取り上げられる事があった。


矢野諭 (やの・さとし)


愛媛県の帝京第五高校から97年に日本ハムファイターズ入りした
右投右打の投手。背番号は20



         s.yano


1997年5月31日、対千葉ロッテ戦。
私は矢野の1軍デビュー戦をスタンドから見届けていた。
考えてみたら1軍デビューはあのダルビッシュよりも早かったの
だから驚きだ。


元々前評判の高かった投手ではあったがつい数か月前まで高校生だった
若武者が一体どんな投球を披露してくれるのか大変興味深かった為に
実際に東京ドームまで足を運んでみた。


『ドラ1君』と言えどやはり人の子。
緊張感からか制球が定まらずに初回から無死満塁の大ピンチを招いて
しまう。


しかしそこから開き直ったのか、その日バッテリーを組んだ山下和彦
ゲキにも応えいきなり訪れた『試練』を無失点で切り抜けた。


その後も得点圏に幾度もランナーを何度も背負うなどピンチは続いたが
6回を投げ切って圧巻の零封ピッチング。

最後はリリーフに回っていた岩本勉が試合を締めて矢野は勝利投手と
なりお立ち台にも上がった。


矢野の『快進撃』は次回登板にも続き翌月6日の近鉄戦では8回まで
投げ切って勝利投手。


こうして高卒ではまだ5人しか達成していないプロデビューから
2戦2勝の快挙を達成する。
※参考記録
他4人は阪急・三浦広之、中日・近藤真一、ダルビッシュ有、千葉ロッテ・唐川侑己



・・しかしあの日の矢野に輝かしいファイターズの未来のエース像を
勝手に夢見てしまった管理人ですら予想も出来なかった、まさかその
2勝止まりで矢野の野球人生が終焉を迎えてしまう事になるとは・・


その年、2勝目を挙げた以降は故障をしたとゆう訳でもないのに
1軍で登板機会を与えられる事はなかった。


翌年の新人王を狙わせる為にあえて力を『温存』させたのだ。
私にはこれが悔んでならない。


『たら・れば』は野球界ではタブーだがもしあのまま矢野の若さ溢れる
勢いそのままに上で放らせていたらまた違った結果になっていた
かもしれないと思うのは私だけだろうか・・。



そういえば2005年、チーム名が北海道日本ハムとなってから
中継ぎとして一時的に復活を果たした矢野の姿があった。


デビュー当時から比べて投球フォームも球筋もスピードもすっかり
様変わりしていたが懸命に与えられた『持ち場』を低迷するチーム
の為に献身的にこなそうとしていた。


結局プロで『3勝目』を挙げる事は出来なかったがファイターズファンは
鮮烈すぎた矢野諭のデビュー当時の雄姿を忘れる事はないだろう・・



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2009年04月25日

王者・西武イズムをファイターズに!【奈良原浩】

私が見てきた中で遊撃の守備に関して言えば歴代の日本ハムの選手の
中でもNO.1だった思う。


1998年、当時エースだった西崎幸広との交換で石井丈裕と共に
西武ライオンズからやってきた奈良原浩
内野手、背番号は


        h.narahara



2006年まで北海道日本ハムに在籍していたのでご存知の方も
多いかと思う。


言い方は少々悪いのだが西崎×石井丈メインのあの交換トレードに
おいてどこか『オマケ』要素的兼ね合いの強かった同選手が数年間に
渡り、存在感のあるファイターズの主力選手としてあり続けてくれた
事は正直、あの時点では予想が出来なかった。


98年、ファイターズに移籍してきた奈良原は黄金期にあった
ライオンズ時代同様、内野の控え野手としてスタートする。


しかし前半は打撃不振に陥った金子誠に代わって二塁のポジションに
入るようになり後半は故障がちの田中幸雄の代役として遊撃の守備に
就くようになったりと1年目からチームに欠かせない選手となった。


とにかく野球に取り組む『姿勢』が素晴らしかった。
当時、どちらかといえばおとなしい選手が多かったファイターズの中に
おいて闘志を前面に出しガッツ溢れる、文字通りのファイターだった。


ベースランニングならチームでNO.1とも言われた韋駄天ぶりを
如何なく披露したのが98年7月。


この年唯一放ったホームランがランニングホームランだったとゆう
のが何とも奈良原らしい。


プロ通算でのホームラン数が13本。
いささか打撃に関しては非力のイメージも付きまとったがファイタ
ーズに移籍してきてから11本も『量産』した。


不思議と年を追うごとに攻守で若さに満ち溢れた奈良原の躍動する
姿に心惹かれたファンも多かったのではないかと思う。


1000試合出場達成時には古巣ライオンズの選手から祝福される
などナインからもファンからも愛された奈良原浩・・。


ファイターズでの退団の仕方は少し残念だったがまたいつか指導者
として北海道日本ハムのユニフォームに袖を通してくれる事を切に
願いたい。


         h.narahara2
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2009年03月23日

イチローの前に立ちはだかった男【下柳剛】

今や阪神タイガースで押しも押されもせぬ左腕エースとなった下柳剛


正直な話、日本ハムを去ってからこれだけ息の長い投手に
なろうとは予想出来なかった。


       t.shimoyanagi


色々理由はあるだろうが起用法も含め、あの頃と比べると下柳の
ピッチングスタイルもだいぶ様変わりした。


日ハム時代の印象はとにかく『タフネス』


主に中継ぎとして活躍し97年から年連続で60試合以上に
登板し下柳の顔を見ない日の方が珍しかったくらいだ。



     t.simoyanagi



今のような確固たる中継ぎ分業制はまだ強いてなく、また左が
他にいなかったチーム事情から回以上のロングリリーフも
数多くこなした。

97年にはリリーフのみで規定投球回数に到達(1試合で先発)


当時は現在のような緩球と制球力で勝負するノラリクラリ投法とは
まるで真逆な強気一辺倒の140キロ台後半のストレートで押しま
くっていた印象の方が強い。


日本ハム時代の下柳も有名なエピソードは結構存在するが、
下柳剛の名が語り継がれるあの『伝説』について今日は少し
触れてみたいと思う。



      下柳剛の英雄列伝
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2009年03月04日

『攻・走・守・歌』4拍子揃ったジェラシー男【広瀬哲朗】

打席時に寅さんでお馴染みの『男はつらいよ』のメロディが
応援団のトランペットによって奏でられる・・


元祖ヘッドスライディング男で名キャプテン・・・


広瀬哲朗


お茶の間でも有名なので今更私が紹介するまでもなくご存知の
方も多いだろう。


広瀬さんは1985年に本田技研からドラフト1位で日本ハム入団。
右投右打の内野手。背番号は


即戦力の触れ込みだったが入団から数年間は控えに甘んじていた。
内野ならどのポジションでもこなせるユーティリティープレイヤー

しかし打撃力に乏しかったのがネックとなり中々レギュラー定着と
まではいかなかった。


それが93年、大沢啓二監督就任と共に主将に任命され、それを
意気に感じたのか同年は遊撃のポジションに完全定着。


この頃から広瀬の派手なヘッドスライディングがメディアにも
注目され一躍有名になった。


だが以前からガッツ溢れるプレーを信条としていた広瀬。
入団時からそのエネルギッシュなプレースタイルは全く変わって
いない。


チームは惜しくも優勝は逃したが西武と最後まで首位争いを演じ、
上位進出の立役者となった。


この年に与えたインパクトは強烈だったが個人的に広瀬を語る上で
どうしても外せない、忘れられないシーンがある。


そのシーンとは野球人生、プレースタイル、人柄・・・
まるで広瀬哲朗そのものを象徴するかのような熱い出来事だった。


あの名選手が栄光に輝いた裏で広瀬のファイティングスピリッツが
キラリと光る・・・



      広瀬哲朗の英雄列伝

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2009年02月26日

イケメン・ファイター!【K・グロス】

現在北海道日本ハムに在籍しているB・スウィーニー
まるで映画スターのような甘いルックスをしているが同じ
助っ人・外国人投手で言えばこの男も中々の『イケメン』
だった。


1994年途中から日本ハムに入団し1998年まで在籍した

Kip Lee Gross(キップ・グロス)背番号は60


94年のファイターズは開幕当初から低空飛行を続け、
急遽そのテコ入れ策としてグロスを補強した。


このグロスという投手、前述のように当時はあまり見ることの
なかったロングヘアーをなびかせ、色白・長身のナイスガイ!


どちらかと言えばで押すよりはで交わすピッチングが
持ち味だったアメリカ出身の投手。


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とにかくタフな男で完投した次の登板でも平気で中4日で先発を志願してくる、
当時の首脳陣には何ともありがたい投手だった。


球は決して速くはなかったがムービングファーストボール
シンカーを得意とし、また普通のストレートを投げていても
打者の手元で微妙に変化する独特な球筋が特徴的。

現・ソフトバンクの小久保裕紀はグロスを大の苦手とし当時は
顔も見たくないなどと言っていた記憶がある。


特に夏場には滅法強かった。


1995年、この年16勝を挙げてパ・リーグ最多勝に輝いた年だが
8月には3試合連続完封を含む負けなしの勝、防御率1.02という圧巻の投球をみせて見事月間MVPを受賞している。



実はグロスについては様々な『武勇伝』が付いて回ったりも
するのだが今回は特に思い出深かった試合を挙げてみたい。

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2009年02月23日

イチローを完璧に封じた男【柴田保光】

柴田保光・・・


この男もまた長いファイターズの歴史の中で
とても思い出深い投手だった。
(しばた・やすみつ)


柴田は元々は西武ライオンズに在籍していた選手。
84年に江夏豊との交換トレードで日本ハムに移籍してくる。
背番号は13(F江夏⇔L柴田・木村広


西武在籍時は球は速いがとにかくノーコンピッチャーで
四球から自滅していくパターンも少なくはなかった。


それが日本ハム移籍後、フォーム改造に着手。
少し腕を横から繰り出すスリークウォーター気味に変更した事で
大幅に制球力も向上した。


管理人的にはハム時代を一番多く見てきているのでまるで
精密機械のようなコントロールを誇った柴田が入団当初は
ノーコンだったなんてにわかに信じがたくはなる。
イメージとしては平成に入ってからの巨人・斎藤雅樹
投球フォームに近かっただろうか。


田村藤夫の時も触れた事はあるが1990年4月20日の
東京ドーム、対近鉄戦でノーヒットノーランを達成している。


許したランナーは四球で与えた一人だけとまさに
準完全の完璧の内容だった。
最後の打者、近鉄・米崎を三振に斬って取り満面の
笑みを浮かべていたのが印象深い。

       ノーヒットノーラン達成時の柴田
       y.shibata




それから一か月も経たない5月9日の東京ドーム。
一人マウンド上で躍動し続ける柴田保光の姿がそこにあった。



        柴田保光の英雄列伝・・・続きを読む

2009年02月15日

捕手力!【田村藤夫】

ファイターズ史上、『歴代最高のキャッチャーは?』と問われたら
あなたなら誰を選ぶだろうか?


81年リーグ優勝に貢献した大宮龍男、強肩強打の野口寿浩
北海道移転後なら高橋信二・・

人によって返ってくる答えは様々だろう。

私なら迷わず80年代後半から90年代前半に掛けての主戦捕手、
田村藤夫を挙げてみたい。
(たむら・ふじお)


       f.tamura



田村は関東一高から78年に日本ハム入団。右投右打。
当時の背番号は35。

84年頃からレギュラーに定着し、以後長きに渡り正捕手の
座を守り続けてきた。

意外性のあるバッティング・強肩。そして、素人の私が言うのもなんだが
とりわけインサイドワークにおいては他の捕手より長けていたように思える。

田中幸雄(投手)、柴田保光西崎幸広。この3投手の
無安打無得点試合を『演出』したのも田村だった。

先ほど意外性があると言ったバッティングも86年には19本塁打、
89年にはサイクル安打を記録するなど当時の『打てない捕手』像とは
程遠い存在だったと言っても過言ではない。

こんな攻守でファイターズに貢献してきた田村藤夫を象徴するような
印象深い試合がある・・。

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2009年02月12日

落合遺産 〜これが神主「作法」だ〜【落合博満】

1996年オフ、日本ハムファイターズは大きな賭けに出る。


それは当時巨人を自由契約になっていた落合博満選手の
獲得に名乗りを挙げたのだ!


スワローズとの一騎打ちとなった争奪戦の末、11年振りの
パ・リーグ、ファイターズ入りが決まった。


2年の複数年契約、年俸3億円とゆう、大型契約。(背番号3)
実は翌年で44歳を迎える落合選手。
はたして落合が今後ファイターズでそのビッグな契約内容に見合う
成績が残せるのかどうか疑問を投げ掛ける人もいた。


確かに落合が在籍した2年間、最晩年だったとはいえ
数字的には散々なモノだったかもしれない。



97年 打率 .262 本塁打  打点 43

98年 打率 .235 本塁打  打点 18


しかも個人的に思い出したくもない98年の2位に8ゲーム差
離しての前半首位から歴史的な転落劇!
落合らベテラン勢はその戦犯的な扱いもされた。


しかし栄光の道を歩み続けてきた落合博満・・。
タダでは終わらない。
私はハムでの落合効果はもっと別のところにあった、
そう考えている。

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