まず“所信表明”から。せっかく週刊ベースボールを毎週欠かさず読んでいるのだし、少量ではあるが、その感想などを今後、記事と併せて載せておきたい。アレ読むと、毎回何か書きたくなって仕方なってくるんよ。需要があろうがなかろうが、推し進めていくのでよろしく。
記念すべき「第一弾」は、わりと長文でいこう。時期的にもタイムリーなネタからどうぞ。
2015年のオールスターは8年ぶり?東京ドーム開催であった。周知のとおり以前は日ハムも本拠地としていたから、東京ドームで行われる頻度が他球場と比べ、異様に高かったわけだけど。したがって19年前の1996年のときは、パ・リーグ(日ハム)のホーム扱い。
斎藤雅樹と伊良部秀輝、両先発投手のすばらしい快投がかすんでしまうほどの大事件が、最終回に起こった。あの有名な「投手・イチロー」 である。これについて野村克也氏が自身の連載の中で吠えていた(笑)
まあ全セの監督を担っていたノムさんは一応、当事者であったからな。熱くなるのも判るけど、未だに根に持っておられたとは。今回も憤慨っぷりがハンパではない。読んでいて、たしかにノムさんの云いたいことも理解できるし、冷静になって考えてみれば仰木サン(全パの監督)の方が間違っていた‥のかも知れない。
ただ、当時の‥まだ青かった頃の私は松井秀喜に代打を送った彼を、到底許すことができなかった。仰木流パフォーマンスをフイにさせたのはもちろんだが、実は他にももっと大きな理由がある。イチローの前に投げていた西崎幸広の“好アシスト”をも、台無しにしてしまったのだ。
あの場面、9回表の全セの攻撃は3人目の打順のところで、ちょうど松井に回ってくる。ゴジラとの「夢対決」を実現させるには、前の二人の打者を、西崎氏が絶対に抑える必要があった。出塁を許してしまえば、イチローは松井と、以下の複数の打者と対戦しなければならない。これは現実的ではないだろう。勝負を“松井限定”にしたとしても、イチローの後に投げる“本業”の投手があまりにも気の毒だ。
はたして西崎氏が松井の前に走者を出さず、9回2アウトランナーなし。あとひとりでゲームセットにこぎつけられるという、仰木サンからしてみたら筋書きどおりのシナリオでイチローにバトンを渡せたわけだ。これで形は整った!さぁ固唾を呑んで夢対決の行方を見守ろうと思ったところで『代打・高津』のコール。一同、なんじゃそりゃと(笑)
拍子抜けしたのか、相手が投手で遠慮したのか‥キャッチボールごとくの投球をしていたイチローの姿が妙に印象に残った。「週ベ」によると『オールスターを祭と思うな』ということだから、そもそも我々野球ファンとは概念が違うのだ。だから、仕方ないといえばそれまでなのだけれど、ノムさんとはまた別の意味で、19年経った今もあの無念さは忘れられないでいる。
他には以前ここでも触れたこともある【セカンドキャリアの球人力】に、元ハムの鈴木慶裕氏が登場。現在は球界から離れ、飲食業界に活躍の場を移している。唯一出場したオールスター(1992年)での思い出話もあり、今号の人選は個人的にかなり嬉しかった。御年、52歳。久々にお姿を拝見したけれど、さすがに歳をとった(笑)
練習中の不慮の事故が引き金になって、シーズン中での引退を決意したオリックスの丸毛謙一選手。瀬戸山隆三が綴った未来のある、前向きな記事もなかなか良かった。それと、初めて訊いた情報なんだけど、巻末にある小林編集長のコラム!斎藤佑樹の「先発再転向」ってマジ?ですか‥。たしかに“迷走”しちゃっているのかもな‥。「高校野球芸人」みて、元気だそうっと。