2012年06月20日

【雑感】 選手登場曲

16、17日の選手プロデュースデー。なかなか好評だったようですね。様々な企画が催されていたけど、実際に球場に足を運べなかった身としては打席時や登板時に場内でかかる、選手登場曲!こちらの方を楽しませてもらいました。


ファンの投票で決められた今回の登場曲。個人的に稲葉篤紀さんには是非ゆずの「栄光の架橋」をと、推していたのですけど‥B'zでしたね(笑)。意表をつかれたのは中田翔のゴジラのテーマ曲ですか?何かすごくインパクトがありましたよね。守備に打撃にと、当日はホント“本家”松井秀喜選手ばりの活躍ができてよかったと思います。


他に曲を選んだファンのセンスの良さに唸ってしまったのは陽岱鋼「The Next Episode」。かつてこの曲を登場曲として使用していた新庄剛志氏に近ごろ良く似てきたなぁと、拙者も感じていたところだったのですよ。

今シーズンからポジションもセンターに変更し、赤のリストバンドとか氏に被っている部分もあるのですけど、なんかそれ以上に“たたずまい”とでもいうのでしょうか。守備での身のこなしや打撃スタイルまで、ファイターズ時代の「SHINJO」とダブって見えてしまうときがあります。陽さん、いっそオフにでも背番号「1」への変更を打診してみてはどう?


そうそう!選手登場曲といえば、近ごろあの曲にハマっております。マリーンズ・今江敏晃「a far-off distance」。海風の影響でしょうか‥。マリンフィールドにおいて、あのボーカルの高音がよく通るんですよねぇ。ですので、前々から気にはなっていたのですが、あらためて曲を聴いているうちに、すっかりガルネリウスの虜になってしまいました。最近では1日3回くらいは聴いてますね、えぇひたすら同じ曲を(笑)

併せてごく最近になって知ったのは“ガル”のボーカルが小野正利さんだったってこと!カラオケで挑戦はしてみるのだけど、息が続かなくていつも途中で打ちきってしまうハメになる「You're the Only…」の、あの小野さん。どうりで高いわけだ。





いくら良い曲だからといっても「a far-off distance」はもう今江選手のイメージで定着してしまっていますから、他の選手が登場曲として使用するのは気が引けるでしょうね。このところ曲が“被っている”選手も多々見受けられますけど(笑)


‥と、Fs以外の選手についての情報を長々とつぶやいてまいりました。でも、今回のファンの公募によって登場曲を決めるって企画は面白かったですよね。どの選手のが“マッチ”していたとお感じになったでしょうか。是非また来年(?)も継続してほしいと思います。


≪関連リンク≫
北海道日本ハムファイターズ 選手登場曲ベストコレクション 2012
ファイターズ選手登場曲ベストコレクション2011



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2012年06月04日

【雑感】 部屋と涌井秀章と阪急ブレーブス

ブレーブスの復刻ユニフォーム!

今更なネタですが、感動しました。とてもセンスが良いでしょう?黒と赤と白のバランス感が絶妙のですよ。個人的に見て、阪急・オリックスを通じても、あれが一番かっこよかったのではないか?と感じておりました。

そして、いつの間にか日本に“帰って”きていたボビー・スケールズ。彼がまた似合うこと!なんでしょうね‥。黒人選手はとりわけあのユニフォームが映えてみえます。もしかしたらブレーブスの英雄・ブーマー・ウェルズの影響なのかもしれません。先日、京セラで始球式もされてた、あのブーマー氏。

氏の現役時代は凄かったですよ〜。右バッターでは歴代最強と言ってる野球ファンも結構いるくらいですからね。山のような巨漢なのに、とても“柔”なバッティングをするんです。だから打率も残せる。三冠王を獲ったのもよく頷けます。



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1987カルビープロ野球チップスより


野球以外で印象に残っているのが、身体のサイズ。公表では2メートルの体重100キロとあったんだけど、キリが良すぎるしどうもきな臭い(笑)。ちなみにそのサイズはファイターズで活躍したシャーマン・オバンドーとまったく一緒です。‥ブーマーさん、実際のところはもっとあったでしょう?


交流戦で抑えに転向した埼玉西武・涌井秀章。ぶっちゃけてしまうと“以前”までは彼のことが嫌いでした。忘れもしない、あれは2007年のシーズン....

ファイターズ打線を完璧に抑え、シャットアウトした試合がありました。そこでお立ち台に登場した涌井が、まぁ性格の問題といってしまえばそれまでなのだけど、無愛想どころか何かムスッとしていて喜ぶ素振りをこれっぽちも見せなかったんです。言っておきますが、ホームでですよ?

初回に1死2塁というピンチ?を迎えたのですが、そこが気にくわなかったと、たしか彼はそう言ってました。ライオンズファンだって、あんまりそういう姿は見たくないだろうし(インタビュアーが一番困ります)、逆にやられたファイターズファンからしてみたら、あまりにふてぶてしい涌井の態度に余計に腹が立ってしまった記憶があります。


ただ、世間を賑わせている“例の騒動”については同情してしまうかな‥。同じ男として(笑)。涌井だって独身だし、女遊びくらいするでしょう?今回は相手が悪かったとしかいいようがありません。もっともこんなんで堕ちてしまうほど、彼の精神力はヤワじゃないと思いますが。

“涌井絡み”でもっと驚いたのが某紙のトレード報道。その移籍先として、ファイターズが浮上しているんだとか‥。実現性はなさそうだけど。けど、来てくれるのならやっぱり歓迎しちゃうかな。“噂”に挙がっている選手と比べてみても、シビアに現実をみると普通にファイターズの方が得をすると感じます。彼は若いし、何より「投手力」がある。これは認めるしかない。それにダルビッシュが日本時代に「唯一のライバル」と公言してきた投手が仮に北海道にやってくるとしたら、ネタ的には最高でしょう(笑)


‥と、こんな風に色々「夢想」もしていたら、なんだか涌井のことが少し愛おしくも思えてきました。もし!もしですが、彼がファイターズにくるとしたら、あなたは歓迎しますか?交換相手にもよるでしょうか。

野球がない日に、阪急ブレーブスとブーマーと涌井秀章を語る‥。 平松愛理の歌のようなてんこもり。あぁ、プロ野球は永久に不滅です。


ブーマーの「応援歌」をお楽しみください♪



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2012年04月25日

『ユニフォームフォトグラフティ』 in野球体育博物館

24日は今季初、東京ドームで試合を生観戦してきました。後楽園駅に着いてからのアノ高揚感‥。昔は外周でファイターズ讃歌もかかっていて、一層胸が高鳴ったものです。私たちのかつての“庭”。今でも年間数試合組んでくれるファイターズ球団には本当に感謝。



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東京ドームで試合が行われた場合、私は必ずといっていいほど事前に寄るところがあります。それはドーム内にある野球体育博物館。ほとんどの時間は大昔の資料を集めるために「図書室」なる場所に閉じこもっているのですが(笑)、せっかくですので今回は館内にあった展示物などを少々、エピソードを交えながらご紹介してみたいと思います。



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2000本安打が間近に迫った稲葉篤紀選手のユニフォーム。この日の試合でもあわやホームランという3塁打を放ってスタンドを沸かせてくれました。例年だと夏ごろから調子を上げてくる傾向が見られるのですが、今年は出だしから打撃好調です。モチベーションの違いでしょうかね。とにかく頼もしい、今季40才を迎える大ベテラン。偉大な記録を達成した暁に、稲葉選手についてはまたあらためて語ってみたいと思います。



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WBCで着用していたダルビッシュ有選手のユニフォーム。同選手は北海道移転後に入団してきたので、左右非対称のあの“白黒”ユニフォーム姿しか普段は見る機会がありませんでした。そのため、何かとても新鮮に映った印象があります。現在着ているレンジャーズのユニフォーム姿も似合っていますよね。“イイ男”は何を着ても絵になってしまうのだから、ホント得です(笑)



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『おっ!』と思わず立ち止まって見入ってしまったのが、横浜DeNAの新ユニ。日頃からあまり熱心にセ・リーグ野球を見ていないので、初めてじっくりと見てみました。1993年に新調されたモノもかなりスタイリッシュなデザインで驚かされたのですけど、今回もなかなかセンスの良さが光りますね。個性もあるし。いやいや、カッコイイ!これを着た森本選手や菊地選手と会える交流戦が楽しみです。



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近鉄バファローズの背番号【11】といえば野茂英雄投手。今でも往年のトルネード投法が目に浮かんできます。ファイターズもよくやられたっけなぁ(苦笑)。この当時のユニフォームが何かもっとも“近鉄ぽかった”印象も受けます。実際に輝いていたというか、一番強かった時期でもありましたしね。かつては吉井理人コーチや真喜志康永コーチも着ておられました。



ユニフォーム繋がりで当日、こんな方を見かけたんですよ!


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一瞬【岡持】(オカジ)と見せかけて、オヤジだって。大先輩!シャレを効かせてますな(笑)。対抗して今度私は【DANSHI】で行きましょうか?


試合の方は1点差負け。やはり終盤迎えた絶好の得点機を逸してしまったのが痛かったですね。先発・多田野数人投手も好投していただけに、惜しい敗戦です。それでも8回のチャンスでは稲葉ジャンプでスタンドも大いに盛り上がり、見せ場は何度もありました。栗山野球、今後も期待できそうです。

東京ドームでは6年前のちょうど今頃、新庄剛志選手が突然試合中に引退表明をしまうなんて試合もありました。田中幸雄選手の2000本安打、ただ今ブレイク中の吉川光夫投手がプロデビューを果たした場所もココ。昨シーズンはダルビッシュ投手と田中将大投手の投げ合いも実現しました。さて、2012年はどんなドラマを東京で魅せてくれるでしょうか。


※今週は更新頻度が高くなると思います。“新旧ネタ”を織り交ぜていくので、是非またお立ち寄りください。よろしくお願いします。


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2012年03月05日

永遠の一球 -甲子園優勝投手のその後-

4日の札幌ドーム、東京ヤクルト戦。NPBに戻ってきた正田樹投手が登板したようですね。なんでも実際に同球場のマウンドに上がり、打者に向かって投げたのはファイターズに在籍していた2005年以来なんだとか。これには本人も感慨深いものがあったでしょうね。同じく以前ファイターズに在籍していた木下達夫投手も登板したそうですし、小川監督の粋な計らいに、さぞスタンドも湧いたことでしょう。


試合を観戦できなかった私は先週末、移動時間の退屈しのぎに読書をしていたのですが、偶然にもその本には正田が歩んできた野球人生が書かれていました。「永遠の一球 -甲子園優勝投手のその後-」。 タイトルの通り、かつて甲子園で頂点を極めた投手たちの“その後”が描かれています。


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本書で取り上げられているのは以下の選手です。

1980年優勝  愛甲猛 (横浜高→ロッテ→中日)
1974年優勝  土屋正勝 (銚子商→中日→ロッテ)
1989年優勝  吉岡雄二 (帝京高→巨人→近鉄→楽天)
1982年優勝  畠山準 (池田高→南海→横浜)
1999年優勝  正田樹 (桐生第一高→日本ハム→阪神→興農)
1984年優勝  石田文樹 (取手第二高→日本石油→大洋)
1991年準優勝 大野倫 (沖縄水産高→九州共立大→巨人→ダイエー)
※右は出身校とその後の主な球歴


ご覧のように大野倫さんだけが準優勝投手なのですが、この方も甲子園でのエピソードには事欠きませんからね。順当な“ノミネート”といえるでしょう。この手の関連本によく登場してくる正田。ファイターズ退団後は自由契約あり、台湾球界に渡ったりと、わりと波乱万丈の野球人生を歩んでいてその時の心情なども記されています。優勝投手の「肩書き」以外に、松坂大輔とダブらせていた周囲の視線やプロ入りの後のファイターズとタイガースでの“扱われ方”の違いに、苦悩していた時期もあったそう。松坂とは容姿が似ていたことで優勝時、ちょっとした話題になっていた記憶がありました。不思議とプロに入ってからはほとんど言われなくなりましたけど、やはり私の“記憶違い”ではなかったようです。


横浜高の愛甲投手や甲子園で江川卓に投げ勝った土屋投手はけっこう有名ですよね。特に愛甲さんは自分の半生を綴った本も出してますし。土屋さんはロッテ在籍時の話が大変興味深いものでした。吉岡雄二さんの項は読んでいると 『あぁ..この人は本当に野球が好きなんだぁ』 というのがしんみりと伝わってきます。楽天退団後に単身で渡ったメキシコでの生活・現地の人との交流話は心が温まります。


筆者が特に関心を持ったのは池田高の畠山準さんと取手二高の石田文樹さんについて。両投手が甲子園で輝いていたシーンは私もまだ幼かったので、リアルタイムでは見ていないのですが、この近辺の時期の「高校野球」って相当な盛り上がりをみせていたそうですね。愛甲と決勝で投げ合った荒木大輔、その荒木を打ち崩した池田打線。池田を負かした全盛時代のPL学園に勝ったことのある、取手二高‥

本書にでてきた球児たちが複雑に繋がっており、ある種の「ドラマ性」を感じました。84年夏の決勝で敗れた1学年下の桑田真澄が石田さんの家を訪れにきたというエピソード、早稲田大を中退していたという事実も初めて知りました。そして壮絶だった闘病生活も‥。 取手二高のような自由奔放(すぎる)チームは、もう甲子園では見ることも叶わないと思います。石田文樹さんのご冥福をお祈りいたします。


畠山さんはベイスターズ時代、中心選手として活躍していたのをよく拝見していました。投手をされていた池田時代をみたくなり、さっそく当時の映像を確認してみました。本の中にもありますが、堀内恒夫似のダイナミックな投球フォーム!いかにも「本格派投手」の姿がそこにありました。打線が超重量級なら、エースも豪快な“池田らしさ”があって、なんかいいですよね。野球漫画みたいな夢があって。

プロ入り後になかなか芽がでなくて腐りかけそうになったとき、指導者を含めて『周りの人たちに恵まれた』と何度もおっしゃっていました。色々な噂が飛び交っていましたけど、ダイエー・田淵監督と畠山さんご本人との“やり取り”もここで知ることができます。「リストラの星」とも一時期呼ばれていましたが、 ここではそういった野球面以外で気づかされることも多いです。


それでは本書で印象に残った文章を最後に。

【この甲子園優勝投手に対してここぞとばかりマスコミは“不運”“悲運”の活字を躍らせる。輝かしい栄光に陰りが見え始めてきたときこそ、“不運”“悲運”が逆にクローズアップされるからだ】 ※P143

マスコミが“その後”をどんなに面白おかしく書き立てようとも、私たち野球ファンにとって【甲子園優勝投手】たちの栄光の記憶が色あせることは決してありません。だから、“その後”にどんな困難が待ち受けようとも、優勝投手の名を誇りに感じて、負けずに乗り越えていってくれるのを、切に願います。


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2012年02月26日

燃える星野仙一 【1970年代後半の銭闘】

2月も終盤に差し掛かり、いよいよオープン戦が始まりだしましたね。25日の東北楽天戦。ファイターズはいきなりベストオーダーを組んできました。先月予想していたのとだいたい同じでしたけど、さすがに稲葉2番は読めませんでした。あまり経験がないわりには犠打も上手ですし(陽よりよっぽど 笑)、もしかしたら公式戦でも見られるかもしれませんね。

ファイターズナインはともかくとして、相手のイーグルスは同一リーグに属していますし、気になる選手・初めて目にする選手も何人かいたので「選手名鑑」と照らし合わせながら観戦していました。そんなこんなで試合展開そっちのけで気になってしまった、名鑑の項目‥

それは選手の 年俸。普段あまり気にしていないというか、あまり興味は湧かないのですけど、その時にかぎってやたら気になってしまいました。『どの選手がいくらくらいもらっているのか?』 『去年よりどれくらい上がったのか?』 また、『ダルなきあとファイターズの高給取りが誰なのか?』とか、それさえも知りませんでしたので。

意外にも?2億円プレーヤーが3名(武田久・田中賢・稲葉)もいたのですね。さらに1億9000万の糸井、1億7000万の武田勝と続いてきます。イーグルスでいうと25日の試合に出ていた中でのナンバー1は松井稼頭央の1億5000万。松井とトップタイの年俸をもらっているのは、選手ではない星野仙一監督(笑)。今の時代、監督も結構もらってるんですねぇ。一方のファイターズ・栗山英樹監督は星野さんの半分以下、7000万円也。まぁまだ監督としての実績がないわけだから、この大差は仕方ないかもしれません。(ちなみに梨田前監督は1.1億)


星野さんといえば‥ この前調べ事をしていた最中に、こんな過去の新聞記事を見つけました。


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朝日新聞 1977年12月28日 【スポーツ】



今から35年前の記事ですので、まだ星野さんが現役をされていた頃ですね。【星野二千万円余でノー】。よく読んでみるとこんなことが書いてあります。


【星野は30%アップの二千八十万円を提示されたが、首をタテにふらない。この数字は中日初の二千万プレーヤー(外人を除く)だが、星野は「打者にくらべて投手の評価が低いプロ球界の傾向を打破したい」とがんばっている】


星野さん強気ですねぇ‥この頃から(笑)。『ドラゴンズ投手陣よりも野球界にいる全投手のために!』 まさにそんな感じです。それよりも気になったのが【中日初の二千万プレーヤー】の文字。


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遡って当時の新聞記事を読んでいくと、この前後の時代は年俸3000万がどうやら「大台」と呼ばれていたそうです。事実前年度の時点で3000万プレーヤーは王貞治(7800)張本勲(3700)田淵幸一(3200)の超大御所3名のみ。1978年になってのちの名球界プレーヤー、鈴木啓示山田久志山本浩二らがようやく“大台”に到達しました。


もちろん金額で当時と現代とを比較することはできませんけど、今もこの辺りのラインで働いてくれたら赤字になることもなく、球団経営もさぞ楽になるんでしょうねぇ。参考までに2012年度のファイターズナインで3000万超えは全選手の約1/3にあたる21人。2年目・斎藤佑樹も“大台”に乗せました(笑)

野球界は不景気知らず。本当どこまで年俸は上がり続けていくのでしょうか。羨ましいけど、見ているだけのこちらとしては、球団の懐具合の方を少し心配してしまいますよね‥‥


※北海道日本ハム・東北楽天の選手年俸は週刊ベースボール増刊 2012プロ野球全選手カラー写真名鑑 2012年 2/24号を参照。


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2012年02月03日

『ドラゴンズ裏方人生57年』 足木敏郎

マネージャーや広報として、長年ドラゴンズを陰から支え続けてきた足木敏郎さんが書かれた本、『ドラゴンズ裏方人生57年』を読みました。


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他の方のレビューに「ドラゴンズファンなら楽しめる一冊」とありましたが、いえいえどこのファンであっても確実に楽しめます。過去に色々な球団の“球団史”みたいなものは読んできましたけど、これほどまでにトリビアの泉のごとく『へぇ』を連発させてもらった本は初めてでした。タイトルにもあるように、やはり57年という歴史は伊達ではありません。


本当どこから話していいか分からないくらいですが、面白かった箇所を何個が挙げると、足木さんは通訳も務められていた時期もあって、外国人選手と接する機会が多かったそうです。契約更改のときは日本人選手よりもお金にシビアで難航を極めるらしく、そこでの苦労話(裁判を起こされたこともあるそう)や、バースやオマリー、デストラーデは『本当はウチに入団するはずだった』などの恨み節?のような裏話まで聞けてしまいます。特に今でもドラゴンズファンに愛されているケン・モッカについてはだいぶ長いこと語られており、足木さんからも愛着を感じ取れます。ブライアント‥‥痛すぎましたね(笑)


モッカ選手
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ドラゴンズの選手はそれこそ戦後から活躍された杉下茂さん絡みのエピソードから、現在もプレーヤーとして頑張っている山崎武司山本昌まで網羅しています。一応ファイターズファンとして少し気になったのは、長年ドラゴンズの主砲として君臨し続けた大島康徳さんについての記述が見当たりませんでした(宇野氏はあるのに)。あれっ?足木さん!?(笑)

あとファイターズ繋がりでいうと、1983年のドラ1・藤王康晴さんについても触れられています。現役時代から引退後に至るまで、あまりよろしくない(野球外を中心に)噂ばかり立っていましたけど、いい意味で藤王さんの見方が変わりましたね。足木さんがおっしゃるのだから、きっと間違いありません。※P223

ファイターズで長らくコーチを務められていた今津光男さん。今津さんが一世を風靡した昭和の喜劇俳優・伴淳三郎氏にそっくりだったそうです。あの今津さんがおもわぬところで登場してきました(笑)。私も大好きだった近藤貞雄さん。「投手分業制」を発案した監督としても有名なお方ですが、近藤さんの背後でそれを助言した人物がいたそうな‥。これなんかもう『90へぇ』モノです!P153


『ナインを優勝に導いた「燃えよ、ドラゴンズ」』 『追っかけギャルを誕生させた男』ですとか‥ 『水原茂さんは下着にこだわっていた』 なんか、ドラゴンズファン以外でも気になりません?“現場”にいらした方ならでは視点と語り口で、板東英二の話を聞くよりタメになる!?

なんだか私、最後は本の営業マン‥ いえ、まるで「ドラゴンズ広報」と化してしまいましたが、ご容赦ください。でもそれくらい!自信を持ってお薦めできる一冊。


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2012年01月29日

「勝率10割」投手を冒涜するライター

「にわかファン」とか「にわかオタク」って、呼ばれる人いますよね。何にでも興味を持つのはいいことだし、別にそれを否定するつもりはないのですけど『にわか仕込み』の知識を振りかざす‥のはやめてほしいですよね。特にマスコミ関係の方とか、ライターの人たち?


『杉内俊哉と工藤公康がダイエー時代に一緒にやっていた』
『落合博満からポジションを奪った小笠原道大』


これらは以前、実際にテレビでアナウンサーが言っていたことです(杉内が即座に否定する一幕有り)。公の場で真実ではない情報を流すのだけは、つくづくやめてほしいですよね。彼らは「伝える」を仕事にして、金銭を手にしているのだから。


「野球の記録で話したい」という、広尾晃さんが運営しているサイトでこんな記述を見つけました。

1981年に間柴茂有が勝率10割を記録。大洋、日本ハム、ダイエーで投げた。スリークオーターの細身の投手だと記憶している。81年のこの記録には、宇佐美徹也さんが「狙って取ったもので価値は低い」とかみついていた。宇佐美さんにしてみれば杉浦忠の38勝4敗こそが神聖な勝率の記録であり、間柴はそれを冒涜するものだ、という思いだったと思う。間柴は通算81勝83敗と負け越している。この年がフロックだと言われても仕方がないところだ。 投手、圧勝の記録より


広尾さんよりもまず、この宇佐美徹也さんが言っていたとされる 『狙って取ったもので価値は低い』という言葉に耳を疑ってしまいました。勝率10割なんか、狙ったってできるものではないでしょう。ましてや間柴茂有さんは先発専門の投手です。

規定投球回数到達後も投げ続けました。到達後に登板を回避すればそれは「狙って獲った」とも言えます。ただ、チームが優勝争いをしている最中で、先発の柱だった間柴さんはマウンドに立ち続けなければならなかったのです。それこそ当時の監督・大沢啓二氏にケツをひっぱだかれながら。 ※間柴茂有wiki参照


宇佐美さんは記録、いや“数字”でしか間柴さんの「1981年」を見ていないのでしょう。通算の記録を持ちだしてくる広尾さんもしかり。防御率だけをみればたしかに3点台(3.46)。それでも 「負けないピッチング」を積み重ねてきたのです。結果の勝率10割。それを『価値が低い』とはいかがなものか。戦後は間柴さんただ1人しか達成していない、実に神聖な「記録」なのです。むしろ冒涜されたのは間柴さんの方ではないでしょうか。


そこにあった真実と、語り部ならぜひ数字に現れないような“物語”も、後世に伝えていってほしいと願います。

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2012年01月24日

土井正博 【悲運の大砲】 -野球カード語り-


【田中幸雄と初芝清の共通点】

ともに現役最終年にチームが優勝したんですよね。初芝にいたっては自身初の優勝経験。それぞれ22年と17年という、長いプロ生活‥。その多くを低迷したチームの中心選手として、常に支え続けてきました。野球の神がいるとするならば、これは2人に与えた「ご褒美」だったのかもしれませんね。

一方で“同種”の神から見放されてしまった感すら受けてしまう選手が、歴代12位の通算465本塁打を記録した土井正博氏。名球界プレーヤーでもあり、指導者としては清原和博松井稼頭央の「恩師」であることも有名です。

近鉄バファローズ時代はプロ2年目から4番に座り、以後も主砲として活躍し続けながらも、チームは万年Bクラス。1975年にこれまた当時はBクラスが指定席だった、太平洋クラブライオンズに移籍。後年、古巣が連覇を果たすような強豪球団となっていたのは皮肉。1981年を最後にユニフォームを脱ぐと、その翌年にチームは西武ライオンズとなってからは初となる、日本一の栄冠を手にする‥


実働20年にも及んだプロ野球生活のなかで、結局日本シリーズの舞台に立つことは一度もありませんでした。そのときのチーム状況などによって「優勝経験」がない選手は球界にも多数いますが、土井氏のような名球界プレーヤーにもなって美酒を味わえなかったのは、野手では他にタイガースで活躍した藤田平氏くらいです。


『コーチ時代に何度も優勝できたんだからいいじゃないか』 なんて見方もあるかもしれませんけど、やはり現役時代のそれとはまったく違うのでしょうし‥。これは土井氏の太平洋時代の貴重な一枚(コレクション)です。


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当時のライオンズは今とは対照的に、真っ赤なユニフォームで戦っていたのですね。折しも土井氏が太平洋に移籍した1975年はカープの『赤ヘル旋風』が巻き起こっていましたが‥

誰かの代名詞ではないけど、それこそ「悲運」 だったとしか言い様がありません。



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2012年01月20日

ダル移籍! 【急転直下型】トレード大胆予想

ダルビッシュ有投手のレンジャース入りが決まりましたね。メジャー挑戦の夢がかなって『おめでとう!』を言ってあげたいところですが、やはり根本は「日本ハムにいたから」好きでしたし、心から応援できていたので、正直複雑な気がいたします。まだ「ユニフォームが変わっても‥」などと、綺麗事をいえる心境ではなく‥ すみません。

ダルビッシュ投手個人についてはまた落ち着いてから触れるとして、早速球団に“動き”が見られましたね。なんでも川上憲伸井川慶ら「日本人メジャーリーガー」の獲得に乗り出すんだとか。まぁ彼らがどうのこうのではなく、この姿勢については感心というか、安心をしました。





この時期にもなると日米の球団がほぼ補強が完了していることもあって、FAなどによる大物選手の獲得は困難ですし、今オフに関しては『目立った動きも見られないのでは?』と、個人的に感じていました。ただ、現状をみると毎年のように2ケタ勝利(2ケタ貯金)を見込めていた投手の流失は相当な痛手で、このままならCS圏内の3位以上すら2012年は危うくなってきます。ましてや栗山英樹監督も就任1年目で、今季に賭けたい思いもあるでしょう。少しでも上位を狙うならやはりピッチャー、特に先発型投手の補強は必須です。


まず川上投手。昨シーズンは満足な投球ができていませんでしたし、肩を痛めていた点も気掛かりです。体調が万全ならそれなりには勝つかもしれませんけど。それと川上は背番号「11」にこだわりがあるそうですが、どうでしょう。球史に名を残した大投手のあとを継ぐだけに、できれば生え抜きに背負わせるか、本音をいわせてもらえばファイターズ球団における「11」番は準永久欠番にでもしてほしいくらいなのですが‥。

井川投手はつい先日の報道では「日本球界の復帰はない」とありました。タイガースを去ってからしばらく経つし、最近の投球を見ていないので何とも言えませんが、まだ年齢も若いですし、左腕投手であるというのも魅力的ではありますよね。たしかに補強ポイントと合致する選手ではあります。


それからデイリースポーツに掲載されていた記事。


「ダルビッシュと同等のピッチャーを取ろうと思うと、それ相当の出血をしないといけない」と島田球団代表。日本人大リーガーをはじめ、外国人、トレードなど、あらゆる方法を視野に入れながら、最善の手を打つ構えだ


出血覚悟の?大型トレード案。ファイターズに移籍してきた選手がおもうような結果を残せていない、近年のトレード事情。非常にリスクの高いものとなります。ファイターズの野手陣を眺めていると、主力と控え選手の力の差は相当開いている感もあり、仮に野手を放出するとしたら“まさかのビックネーム”が飛び出してくる可能性もなきにしもあらず‥。

“相手”となるのは昨今だと巨人・DeNA・東京ヤクルト、数年前までは阪神との交流も活発でしたよね。ただ、「菅野問題」もあって、巨人との関係は今後どうなっていくのか先行き不透明。それでももし交渉に応じてくれるというのなら昨シーズン、じゃっかん干されかけていた感もある、東野峻投手あたりも匂いますね。野間口・福田ら、毎年トレード候補に名前が挙がってくるような選手は他にもたくさんいますが、杉内・ホールトンの加入で一気に層が厚くなったことからも、「東野を目玉に‥」 も考えられそう。

阪神は粋の良い若手投手が豊富な印象もあります。でもそういった選手は出さないだろうし、しいて言うなら久保田智之投手あたりが候補として挙がってきそうか。あえて中継ぎ専門の久保田を獲得して、兼ねてから噂のあった増井浩俊を先発に回すプランもますます現実味を帯びてきますよね。もっとも久保田本人は不満でしょうけど(笑)

ヤクルトも駒は揃っています。考えられそうなのが左腕の中澤雅人、質量豊富な中継ぎ枠からは松井光介らを絡ませた、複数トレード。「ダルビッシュの穴を埋める」という観点からすると、さすがにDeNA相手は厳しいか。ちなみにすべて根拠に基づかない、個人的な見解ですのでこの4チームのファンからの苦情はご遠慮ください(笑)


ダルビッシュのレンジャース移籍で遅まきながら熱を帯びて始めてきた北海道日本ハムのストーブリーグ。『メチャクチャなオファーをしている』 という、栗山監督の言葉が、今は少し不気味でなりません。



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2012年01月14日

“1ハム”ファンがみた【藤井秀悟ブログ】

今オフは“元”の肩書きがつく、FS戦士の移動が目につきますね。高橋信二がオリックスに行き、マイケル中村が埼玉西武、橋本義隆と稲田直人が東北楽天にいけば、ファイターズでも大いに将来を嘱望されていた木下達夫・正田樹が東京ヤクルト、さらには高口隆行までもが巨人‥

“出戻り”のスレッジ・紺田敏正も含めれば、もう「どんだけ」状態です。おもえばよくこれだけ多くの選手を短期間のうちに放出しましたよね。若干複雑な思いもしますが、どの選手たちもまだそれぞれの球団から“求められて”新天地に移られるのですから、もう一花咲かせてくれることを切に願います。


それから2009年のファイターズV戦士でもあり、昨シーズンまで巨人に在籍していた藤井秀悟投手のDeNA入りが決定したんだとか。このことについて先日、知人と議論を交わしました。

移籍を伝える本人のブログ記事【日ハムをクビになって】という記述を見つけて、私は『自分でFA宣言しておいて、そりゃあないだろう』と、憤慨していました。宣言時に手を挙げる球団が現れなくて、挙句たしかにファイターズ残留の道も閉ざされていた‥。でもそれを「クビ」と呼ぶのはどこか筋違いではないか?そう感じていたのです。

知人によるとFAとは名ばかりで、あれは「事実上の戦力外だった」と告げれられました。「戦力外」では藤井投手の体裁が悪くなってしまうのと、過去の実績や貢献度も考慮して“自らFA宣言をする”といった形をとって退団してもらおう‥。つまり、ファイターズ球団からの“好意”でもあったのだと。


球界で似たような話は過去にいくらでも聞いたことがあったので『なるほどな』と頷きつつ、その情報の出どころがどこなのかは定かでありませんけど、今になって本人の口から【クビになった】なんて語られてしまうこと自体に、一抹の淋しさを覚えました。

退団の経緯はそれが真実なら、たしかに後味のよくないものだったでしょう。ただ、藤井投手のブログは現在でも多くの“日ハムファン”も閲覧しているでしょうし、あの記述を目にしたら悲しい思いもさせられてしまいますよね。すでに有名だった話なのかもしれませんけど、経緯を知らなかった私や一部の人たちにとっては、それこそ「知らぬが仏」のままでいた方が幸せでした。


冒頭に記した昨今の選手の大量放出や大型トレード敢行のせいか、他チームのファンからファイターズは「非情」「冷酷」などといった意見も、近ごろよく耳にします。そのたびにファイターズファンは返す言葉に困り、心中穏やかでなくなります。そんなことも積み重なって思いの丈を綴ってみましたが 【クビになった】裏側には、書かれていない隠れた球団の“温情”があったことも、今回の件に関しては忘れてほしくありません。

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2012年01月09日

君はソレイタを見たか! ≪助っ人を極めるんダ!≫

本のタイトルに釣られて読んでみました。





著者によるとタイトルに「ソレイタ」の名前を起用したのは、特に深い意味はなかったそう。だから「君はブーマーを見たか!」とか「君はハモンドを見たか!」でも‥ まぁ誰でもよかったわけです。喜んで本書を手にしたのはおそらく、(1980年代からの!)日ハムファンくらいでしょうけどね。


最初に『歴代助っ人“勝手に”偏差値ランキング』という、助っ人偏差値審議委員会の方たちが独自に算出した投打別の助っ人ランキングが登場します。この算出法が今までにない異質もので、ランキングを見ていてもあまりピンとこないかもしれません。おかげで投手部門なんか抑え投手ばかりだし、郭泰源がまさかの38位!シュールストロム様が堂々の4位ですよ(笑) 打者部門はブーマーやソレイタを差し置いて、元ヤクルトのテータムが4位にランクイン。 ‥大体わかったでしょう?この項目はササッと流し読み。


次が『これが助っ人外国人ドリームチームだ!』。研究会(?)の4名が、文字通り歴代の助っ人たちでドリームチームを編成してみようという企画です。ただ、あくまで主観!彼らが実際に目にしてきた外国人選手のみ。ノミネートされているのはそんなに古くない時代の選手ばかりです。


【投】郭泰源 
【抑】ロドニー・ペドラザ
【捕】マイク・ディアズ
【一】ランディ・バース
【二】ロバート・ローズ
【三】レオン・リー
【遊】ボビー・マルカーノ
【左】チャーリー・マニエル
【中】ラルフ・ブライアント
【右】レロン・リー
【指】オレステス・デストラーデ


リー兄弟を選出したり、マルカーノをショートに回すウルトラCも飛び出すなど 「さすが!」と、うならされる部分もありました。内野はいいとして外野陣の守備は投手側からみたら、かなりの“恐怖”ですけどね。センターがブライアントって‥(笑)

スターターの泰源は文句なしですよね。抑えにペドラザですか。いい投手でしたけど、少しインパクトに欠ける気もしました。どうせなら宣銅烈にして“アジアンリレー”にする方がサマになった?仮に現在ならこの部門にファルケンボーグやサファテの名前も挙がってきそうですよね。(本が出版されたのは2003年) 笑えたのはキャプテンにフリオ・フランコを指名したことと、通訳担当のバルボン先生(笑)
※捕手の選出に困っていましたが、研究会の皆さん!マッキントッシュもいます(笑)

ドリームチームが編成し終わったところで、名助っ人を回顧したコラムへと続いていきます。取りあげられたのはバースクロマティリー兄弟マニエル泰源&源治ホーナーアップショー&バナザード、そしてオオトリがソレイタです。

ある程度この手の知識がある方なら、すでに知っているエピソードの方が多いかもしれません。クロウの頭部死球翌日の試合でホームラン‥ とか、バースの退団理由であったり。あ、あとアップショーとバナザードについてですが、彼らは1回ずつしか退場経験がないと記述がありました。バナザードは1回どころの騒ぎではなかったですよね?詳しい方どうなんでしょ。


それから『元同僚が語る助っ人面白エピソード』金村義明氏、パンチ佐藤氏、デーブ大久保氏の3名が実際に関わってきた助っ人たちの懐かし話をします。どれも読みごたえありましたけど、デーブ氏の西武時代。バークレオとの“道中記”はかなり面白いですね。必見かもです!

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2012年01月05日

池山隆寛のブンブンブン!夢、ありがとう

ファイターズの現打撃コーチの田中幸雄氏が、ある雑誌の企画の中でこう話していた。現役時代に自身がベストナインやゴールデングラブ賞の常連だったことに触れて 『自分は恵まれていた。その当時は固定された遊撃手がいなかったから‥』

もちろん氏の性格からして、謙遜して言ったのものと推測できる。ただ、当時のパ・リーグを見渡してみてもレギュラー遊撃手として君臨し続けていたのはライオンズの田辺徳雄ぐらいで、頷けてしまう部分もたしかにある。

80年代後半から90年代前半、パ・リーグを代表するショートストップが田中幸雄なら、セ・リーグは何といってもヤクルトスワローズに在籍していた、池山隆寛氏になるのだろう。

その池山氏が引退直後に書き記した自伝本、「池山隆寛のブンブンブン! 夢、ありがとう」を時間のあった正月に読んでみた。



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まずは幼少のころから尼崎高時代。これを氏は第1章「幸運」と題されている。失礼ながら筆者は池山氏が甲子園に出場していたのは知らなかった。いくつもの“奇跡”が積み重なって、甲子園に出場することができたのだという。

それから第2章「運命」。ここでは主にドラフトについて。2位で3球団が競合(巨人・近鉄)するのもわりと珍しく思えるが、やはりそれだけの逸材だったのだろう。“当事者”からのドラフト目線、それこそ運命を左右したドラフト会議での数奇な人間模様がおもしろい。ちなみに池山少年は巨人ファンだったそう。


第3章・第4章は「ブンブン丸」の全盛時代。もっと細分化すると3章はスワローズでの「弱小時代」、4章は「黄金時代」とでもいえば収まりがつくだろうか。

弱小時代とは関根(潤三)政権のときを指す。少し聞こえは悪いが。当時は女性にモテてモテて仕方がなかったのだそうだ。たとえばこんな感じ。


『西崎さんも阿波野さんもぼくもスリムで、お尻も顔も小さい。その「ジャニーズ系」の容姿も若い女性に受けたようだ』 P92より


‥じゃっかん鼻につく(笑)。容姿のことは筆者にはわからないけど、華のある遊撃手であったのは間違いない。それとプロ入り当初、伸び悩んでいたブンブン丸の打撃を“開眼”させたのは、関根監督の意外な言葉だった。

黄金時代とはご存知、野村克也が監督に就任して以降。当時のスワローズナインはテレビ等の露出もかなりあって、選手同士が和気あいあいとしているイメージもあったけど、人気主力選手「F」とはどこか壁みたいなモノを感じていたらしい。これは少し意外だったかも。

今おもえば“ブンブン”のニックネーム通り、三振が多かった池山氏はいかにも野村監督が好きこのんで使うようなタイプにも見えなかったが、就任当初は選手層もそれほど厚くなかっただけに、起用せざるをえなかったのだろう。主砲の広沢克己もろとも、弱かったのが幸いした?


第5章・6章は選手生活晩年。故障とのたたかい、控えにまわり“一振り稼業”に生きた喜びや葛藤。2軍生活でのことや家族の支えなどが描かれている。筆者は「引退試合」のエピソードはそこまで詳しく存じてはいなかったのだが、あらためてアノ“感動”を再認識した。

立っていることさえ困難だった足を引きずって、なんとか辿りついた第4打席の2ベース。それよりも1打席目と最終打席が3球空振三振だったことの方が、なんとなく往年の“ブンブン丸”を彷彿とさせていい。


2012年はスワローズの2軍打撃コーチとして再出発する池山氏。本のあとがきに「監督として皆さんの前に戻ってきます。そのときを楽しみに待っていて下さい」と記されていたが、はたしてその“夢”が叶うときはやってくるのだろうか。

これは余談だが、氏のご子息は現在、埼玉県の強豪校・浦和学院の選手。筆者の出身地が埼玉だから妙な親近感を覚えたのだが、本書を読んで池山一家が“サイタマ”にいた理由もわかった。

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2011年12月30日

プロ野球の 「光」

薄暗い駅の構内で、西武の若手選手たちが義援金を募っていた。通りに出るといつもの明るさがない。街はちょうど計画停電の真っ最中だった。暗闇に包まれた街を歩く。先の見えない不安‥


『野球をしてる場合じゃない』


開幕を間近に控えていたプロ野球。某人気選手がつぶやいていた。たしかにそうだったかもしれない。野球に「希望」を見出すなんて状況ではなかった。それでも開幕を望んでいた野球ファン。もはや希望なのでなはい。“プロ野球がある”いつもと変わらない「日常」こそを、きっと多くの人は求めていたのだ。


あの日から1ヶ月後。野球の周りには常に明るい光があった。電気の明るさなどではない。キラキラ光る選手の汗の光、選手の熱いプレーに胸を熱くした感動の光、人の心に火を灯す‥あたたかい光。

決して頭から離れることはないのだが、少なくともボールパークでの2・3時間は選手と一緒、みんなが白いボールの行方を夢中に追った。


ひいき球団が試合に敗れてしまっても 『また明日』といえる、プロ野球のある“日常”。今年はいつもなら当たり前のその幸福を、どれだけ噛みしめたことだろう。勇気を持って前へ進んだプロ野球は、私たちに生きる活力を与えてくれた。


『野球の底力』 と、発信した選手が開幕戦でホームランを放つ。スポーツには筋書きのないドラマがある。映画館では味わえないリアルな感動もある。来年もそのドラマを見に行こう。できれば一点の曇りもない、そこが光に満ちた空間であることを願って。



2011年、最後の更新となります。今年1年間本当にありがとうございました。2012年もよろしくお願いいたします。よいお年を!!
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ラベル:プロ野球
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2011年12月19日

『ライオンズ進化論』 松沼雅之

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あれ‥

『ここって日ハムファンの人が書いてるんじゃなくって?』


ごめんなんさいね。埼玉に住んでるもんで、必然的にこういった出版物を多く目にしてしまうのです。本当よく西武ファンにならなかったなと、今更ながら自分でも思います。

以前たまたま書店で見掛けた、松沼雅之氏著『ライオンズ進化論 西武にいてよかった』この本があまりに良書でしたので、触れてみたいと思います。松沼氏といえば“ネット裏の球種チェック”でもおなじみ、私もブラウン管を通じて昔からよく存じておりました。

若くして現役を退かれたので、実際にプレイする姿を見たのはたしかリリーフを務められていたころでした。あらためて氏の経歴を辿っていくと「5年連続2ケタ勝利」を記録するなど、ライオンズの第一期黄金時代(でいいのかな)に先発の柱としてご活躍されていたそうですね。


松沼氏はライオンズが所沢にやってきた1979年にドラフト外で入団されました。入団に至った(西武を選んだ)エピソードも本書で語られているのですが「ドラフト外」といえば、当時はもう西武の「専売特許」でした。のちにV戦士となった兄・博久、秋山幸二もそうでしたよね。これも故・根本陸夫氏の働きかけによるものが大きかったそうです。

西武ライオンズが誕生したころは、それにしても偉大な選手が多くいらっしゃったのですね。野村克也・田淵幸一・土井正博・山崎裕之・東尾修etc。この方々や、先日現役引退を表明された工藤公康氏のこともたびたび触れられています。参考までにコノ本が発行されたのは1992年です。‥‥さすがは実働29年の工藤投手、本当にお疲れ様でした。


このような昔話をうかがっているだけでも目から鱗なのに、松沼氏の視点というか、これが実に面白いんですよね。たとえば第6章≪今だから言える球場を離れると選手も人の子≫ の項目を挙げてみますと‥


思わずうれしくなるプレゼント

プロ野球選手がコロっといきそうになる女性

この球団が女性人気NO1

意外!西武選手が参考にするスポーツ新聞

初公開 球場外での人脈


どうです?すごく気になりませんか?どれも普段選手の口からはほとんど語られることのない話題です。選手として、また評論家として外からも野球を見てきた松沼氏ならではの見解で、非常に説得力があります。ただ、「プレゼント」に関してはいかんせん20年近く前の情報なので、現在は通用しない可能性が高そうです(笑)


読み進めていくと、野球ファンなら誰しも一度は疑問を抱いたであろう『2年目のジンクスはどうして起きる?』 『連覇はなぜ難しい?』とか、『ブルペンでは調子がよかったのに、本番になると打たれてしまう理由は?』 さらには『姉さん女房を選ぶ真意』 にいたるまで、こちらも大変わかりやすく「解説」してくれています。

随所に登場してくる下ネタ?や“ちょっとシャレにならないようなギャグ”までも、切れ味は抜群です(例P119.桑田真澄は借金がパワーの源になった 笑)


ラジオやテレビで温和で「ソフト」な印象を持っていたのですが 『えー!松沼さんってこんな人だったの!?』てな感じで驚いてしまいました。この方にフリートークなんかせたら、大盛り上がり必至でしょうね(笑)

せっかくですので最後に“ハムネタ”を振って、おしまいとしましょう。90年代前半、野茂英雄投手よりも上をいく‥ 厳密にいうとライオンズ打線がパ・リーグでもっとも苦手としていた投手がファイターズにいたそうなんです。それは誰か?答えはぜひ本書にてお確かめください!
≪文中一部敬称略≫
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2011年12月05日

ダルビッシュ有への願い

最近少しばかりナーバスになっている“ネタ”のためか、いとも簡単に釣られてしまった。


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ダル残留」って(笑)

どうやら記事を読んでみると『ポスティング申請はするけど、入札した球団との年俸面などの交渉がうまくまとまらなかったら、ファイターズに残留しますよ』という意味らしい。つまり、昨年オフにアスレチックスとの契約が破談になり、東北楽天に残留した岩隈久志と同じパターンのことのようだ。


今からファイターズ残留の可能性も匂わせておいて、岩隈のようなケースを回避させるための、代理人の陰謀?

‥なんて、少し勘ぐってみたりもしたのだが、たとえそれでもどんな形であっとしても!ファイターズにとどまって欲しいと願っているのが、ファンの本音なのではないだろうか。

一方で「ダルビッシュをメジャー見てみたい」と思う野球ファンも数多くいるだろう。私もファイターズを応援する立場にいなかったら、もしかしたらそう感じていたのかもしれない。

それでも心のどこかで「いつかはダルビッシュもメジャーに行くのだろう」と、覚悟にも似たものは常に抱いている。彼の実力をもってすれば海外でも十分にその能力を発揮できるであろうし、昨今は松坂にしろ上原にしろ、プロ野球界で頂点を極めた選手はメジャーリーグへ行く図式が出来上がってしまっているからだ。

だから心構えはあるのだけど‥ 昨年といい、オフになるとこうも決まって“ポスティング騒動”が続くとファンとしたら正直憂うつな気分にもなってしまう。もし本当にメジャーに行く(気がある)のなら、この際キッパリと表明してしまう形をとるのはどうだろう。


『2013年からメジャーリーグに挑戦します』 と。


分かっていればファンも気持ちの整理もつくし、それならこころよく送り出してあげようと思うのがファン心理ではないか。また、マスコミたちがシーズン中の段階から『メジャー×2』と、はやし立てることもなくなり、野球に集中できる。

また、球団側としてのメリットもあるはずだ。ダルビッシュの“ラストイヤー”を目に焼き付けておこうと、今まで以上に多くのファンが球場に訪れることは目に見えている。

ここまでハッキリとは宣言していなかったが、オリックスからマリナーズに渡ったイチローのときも、たしかにそんな空気はあった。


‥チームメイト絡みの倫理上の問題であったり、私たちのみえないところでメジャー球団とダルビッシュ側、そして北海道日本ハム側とのあいだで様々な“駆け引き”があるのかもしれないから、なかなか簡単に“発信”できることではないことも、わかってはいるが‥。


さっきの『2013年からメジャー挑戦』は、実は私の願いでもある。本当なら「生涯ファイターズ」を貫いてくれるのが一番だけど、それが叶わないのなら2012年からのメジャーリーグ行きだけはどうしても避けていただきたい。

2012年は若手スター選手が次々と海の向こうへ飛び立つというし、もしこれでダルビッシュまでもがメジャーへ行くことになったら、もはやファイターズ云々などではなく、日本プロ野球界の危機である。

逆にいえば、仮に和田と川崎、岩隈や中島がいなくなったとしても、ダルビッシュさえいれば、来年もまだ何とか持つ。それほどの圧倒的な存在感が、彼にはある。

“とばっちり”を受けたと考えるのではなく、むしろこれをチャンスと捉えて、2012年は「オレが日本球界をけん引していく」くらいの気構えで、ぜひ臨んでいってほしい。それを見届けることができたなら‥ 私たちもこころよく彼を送りだしてあげようではないか。
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2011年11月22日

2人の“ユウ”ちゃん 【今井雄太郎・斎藤佑樹】


『ユウちゃん』

野球界で最初にこの愛称が定着したのは、阪急ブレーブスなどで活躍された今井雄太郎氏ではなかっただろうか。あまりにも有名な、パ・リーグでは2011年までで完全試合の偉業を成し遂げた最後の投手である。

かろうじて今井氏の現役時代を見たことはあったが、もう晩年に差し掛かっていたころ。当時の印象としては、いかにも町内を取り仕切っていそうな、やや強面の“おっちゃん”(失礼!)。見た目は本当どこにでもいてそうなおっちゃんだった。事実、私が以前勤めていた職場にも今井氏そっくりな人がいた。ポジションはもちろん、工場長。

投球スタイルはすでにベテラン投手だったこともあってか「技巧派」のイメージでしかない。それでもアマチュア時代からプロ入り当初にかけては豪速球投手として鳴らしていたらしい。今井氏が現役を退いた際に書いた自伝、「野球の虫」の完全試合にそれが記されてあった。


【「野球の虫」の完全試合】より
y.imai
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本の内容を一言で表現するならば「野球と酒」。これを一言とはいわないか。まぁ、とにかく野球と酒の話題が“交互に出てくる”といっても過言ではないくらい、ベースボール&アルコール。 ‥ちょっと語呂が悪い。なかなかチャゲ&飛鳥みたいにはうまくいかない。

今井氏を語る上で欠かせなくなってくるのは「完全試合」と、やっぱりこの「酒」にまつわる話になってくるだろう。往年のプロ野球ファンなら一度は耳にしたことがあるはず。


【登板前に酒を飲む】


登板前といっても本当の直前だ。ブルペンでビールを『グイッ』と一杯飲み干してから(今井氏風に言うと喉をうるおしてから)初回のマウンドに向かっていたそうだ。本番で思うような結果が残せていなかった若き日の雄ちゃんに対し、梶本投手コーチが登板前の“飲酒”を勧めたことが、すべての始まりだったらしい。

初めて飲んだ試合で勝利投手となり、以後雄ちゃんは勝ちに勝ち続けた。その年は初となる二桁勝利をマーク(13勝)、この中にはアノ完全試合も含まれており、日本シリーズでの登板もはたした。さすがに毎試合飲んでいたわけではないと思うが、あの時の梶本コーチの「酒のススメ」がなかったら、雄ちゃんはここまでの大投手にはなれていなかったかもしれない。


でもどうなんだろう‥。たしかに酒の勢いを借りて気が強くなった部分もあったのかもしれないが、今思うと変な“力み”も消えて、「ほろ酔い」な具合が今井氏にフィットしたのではないか?そんな気もしてくる。実際、投げていても体調は悪くて仕方がなかったそうだ。私も経験はあるが「昼間飲み」はわりと身体に負担がかかる。

ひとつ言えることは今井氏のようにアルコールに相当強い人でないと、試合前なんかに飲んでも気持ち悪くなるだけで、かえって逆効果となってしまうだろう。マウンド上での「メロメロ」だけは観客もゴメンだ。いずれにしても“一般人”にはあまりお勧めできる芸当ではない。(ちなみに今井氏の酒の強さは本を読むかぎり、ちょっと尋常ではなさそう‥)


今だったら考えられないけど、古き良き時代というか、こんな漫画みたいなプロ野球も昭和にはあった。一方、平成のユウちゃんといえば、なんといっても日本ハムの斎藤佑樹。昭和の野球漫画の主人公には到底なれそうもない“王子”キャラだが、“元祖”ユウちゃんと意外な共通点を発見した。


今井雄太郎氏のご子息の名前が‥ 「ユウキ」

しかも、あの大エースと足して2で割って漢字の有樹!(50%ユウキ?)

斎藤についてはもっと書きたいことはあったが『ユウちゃんはやっぱりユウちゃんだった』という、なんだか訳のわからないオチで、今回は終わりにしときます。


パで今井氏に続くのは一体誰になるんだろうか‥

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2011年11月14日

雑感 【たかが部外者ですが】


現在行われている日本シリーズは見ていない

【部外者】なので、どちらが勝とうがあまり興味が湧かない。むしろオフの杉内俊哉和田毅の動向の方が気になっているくらいだ。‥正直にいうと少しくらいは気にはしている。ただ、今季ファイターズがボコボコにされたホークスの晴れ舞台なんか、見ていたくないっていうのが大部分を占めている。結構あちこちで“シリーズ論”を語っているようなファンを目にするけど、真のファンなら悔しくてまともに見ていられないんじゃないの?とか思いつつ、本当は自分の心の狭さを痛感している今日この頃。


ジャイアンツが今、大変みたいだ

これも客観的にみている【部外者】だからこそ、いえることなのかもしれない。各方面で叩かれている(?)渡邉恒雄氏、実はそれほど嫌いでもない。「嫌いでもない」という言い方も変だが、特別好きってほどでもないし、うーん‥ 表現の仕方に困る。

ジャイアンツが勝利を収めたとき、または選手が活躍したときに特別席から身を乗り出し、手を叩いて喜んでいる“お姿”をよく見かけるのだが、あの時ばかりは『野球好きのお爺ちゃん』にしか見えなくて、微笑ましく感じてしまうこともある。野球というか“ジャイアンツ”を心から愛していらっしゃる方なのでしょうなぁ。

部外者の私でも、江川卓氏のユニフォーム姿なら見てみたかった気もする。原辰徳と江川のタッグなんか、1980年代を見てきたG党にはおそらくたまらないんじゃないの。ともあれ、この件に関しては円満に解決していただくことを望むしかない。


最近G絡みの話題が多いような。
ついでに‥といってはなんですが、もう一ついかせてください。



新生・横浜の監督に桑田真澄氏の名前が挙がる

野球哲学者・桑田の監督も面白そうだ。「何か変えてくれそう」な雰囲気を漂わせている。サムライ・ベアーズでは選手からの評判があまり芳しくなかったクロマティ氏より、はるかに良いと思いますよ?【部外者】の私がいうのもなんですが。ノムさんじゃないけど、試合後の談話にも注目してみたい。「桑田真澄が何を語るのか?」案外と試合に敗れてしまったときの方が、興味深いことを言ってくれそうな気もする。なにせ彼は【神の声】を聞ける男なのだから。


それにしても、ファイターズの栗山英樹といい、『子供の頃からみてきた選手がついに監督になる時代がやってきたのか!』と考えると、感慨深いものがある。思えば自分もそれだけ多くの年を取ったんだなぁ。栗山といえば桑田もプロでの指導者経験はないが、大丈夫なのだろうか。哲学者には『そんなの関係ねぇ』ってか? う〜ん‥ 相変わらず古い。


ベイスターズ関連で心配しなきゃいけない点が、ちょっと“身内系”でも。
GAORAだ。高田繁がベイのGMに就任することがほぼ決定したらしい。昨年からファイターズ戦を担当する解説者陣の流失が激しい。光山・福間に今度は高田‥。ちなみにワタクシ、西山さんの解説は少々苦手としております。次の行き先が決まるまで、よかったら空きありますけど?梨田さん。


ブログという特性を生かし、
せっかくなので今さっき届いたホットな情報を最後に


田中将大が沢村賞を受賞

これにはまったく異論はない。ただ、『なぜダルビッシュ有“も”選出しなかったのか?』ということに対して疑問を感じた。ひいき目なしに。『絶対に一人しか選んじゃいけない!』というのなら田中の“ソロ”も分からなくないけど、過去に目を向けると2人が受賞した年だってあったわけだし。以前も選考の基準とされる項目をすべてクリアしながら受賞できなかった年(2008)もあっただけに、今年は余計にそう思ってしまった。



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2011年11月09日

ドラフト1位の半分憂鬱‥


「巨人」「浪人」「ドラフト1位」 

キーワードはこの3つ。澤宮優著によるドラフト1位---九人の光と影、この本の終盤で紹介されていた2人の元野球選手。荒川尭・小林秀一についての記述が、どこか今の「菅野問題」とリンクしている部分が多いような気もして、色々と考えさせられてしまった。


まず小林秀一という選手。また違った視点でみると日本ではかなり有名な“元プロ”ではない、元野球選手だ。なんといってもアノ巨人のドラフト1位(1973年)を蹴った、現在まででたった一人の男なのだから。

愛知学院大ではエースとして名を馳せたが、当初からプロ入りする意思はなかったのだという。そこで獲得に意欲をみせる球団に対しては指名をしてこないように、自らその意思を伝えておいたが、事前に挨拶にも訪れなかった巨人が強行指名してきた。

この“事前挨拶がなかった”は最近になってまたよく耳にするフレーズだが(あるお方の口から特に)本人の話によると、それよりも『ウチ(巨人)なら絶対入団してきてくれるだろう』という、そこに“驕り”みたいなものがあるのを感じ取ったそうだ。

V9を達成した球界の盟主、小林と同郷(熊本)でもある川上哲治監督の存在といい、たしかに入団の傾きかけた時期もあったらしいが、最後は「将来アマチュアで指導者になる」という自分の夢を、意思を貫き通した。

この小林秀一のケースを「菅野問題」に当ててみる。

ルールに乗っ取ったものとはいえ、北海道日本ハムが巨人“志望”の選手を半ば強行指名してしまったのだから、球団幹部は“驕れる”はずもなく、誠心誠意を持って今後本人サイドと交渉に挑んでいくと思う。それが菅野に届くかどうかは分からない。本人の意思は尊重しつつ、ただ球団側も指名に至った思いの丈は伝えていってほしい。


それから荒川尭(たかし)。結論からいうと、小林同様にドラフトには翻弄されながらも、自分の意思を貫き、願いは叶った。が、「しかし」と言わざるを得ないのが、荒川の悲しき野球人生‥

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2011年11月06日

【プロ初ホームランの向こう側で】 -小笠原道大-


『クラさん、お元気ですか』

現在はCS放送やインターネットの普及のお陰で、お茶の間でもプロ野球が全試合見れるようになった。ほんの少し前まで実際にスタジアムに赴く以外、私には観戦する術がなかったので、比較的家からは遠いマリンスタジアムでの試合においては、テレビ観戦する機会の方が圧倒的に多かった。そんなわけで、千葉テレビ(CTC)は昔からよく見ていたのだが、当時解説を務めていたのはほとんど試合で倉持明氏だったような記憶がある。

あの方は見た目もかなり怖いのだが、喋らせたらもっと怖い。試合中(解説中)にキレることもしばしばあったし、ロッテが劣勢になるとあからさまに不機嫌になったりもする‥。なぜかこっちまでもヒヤヒヤした。関西地区にはわりとそういった感じのお方が多い印象もあるけど、関東ではあまり目にしないタイプの解説者だった。私がこれまたよく世話になった、ソフトな語り口がウリの(?)テレビ埼玉・宇田東植氏とはまるで対極していたような、倉持氏の奔放な解説っぷりは、それはそれで楽しかった。


テレビ埼玉で宇田氏の後任だったか、一時期日本ハムOBの嶋田信敏氏が解説を務めていたこともあった。嶋田氏はなんていうか、現代風でいうならば‥ ちゃらい? 日テレの中畑清氏とか宮本和知氏とか、あぁいった感じともまた違う。どこか「ダルそうな」語り口が特徴的だった。もちろん本人に“その気”はあるのだけれど。今でこそ「ちゃらい」喋り方をする解説者はたくさんいるけど、当時はあまりいなかったせいか、慣れるまで多少の時間を要した。


ちょうどそんな頃、この嶋田氏解説の試合で忘れられない試合がある。
小笠原道大が記念すべきプロ第1号を代打で放った1998年、七夕の夜。一見、強打者にも捕手にも見えない、髭もない。華奢だったガッツの驚愕アーチ。今でも鮮明に覚えている、東京時代からのファンの方は多いと思うが、ちょっとこのシーンを振り返ってみた。



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橋上とか小川とか、懐かしい名前がたくさん登場してきているけど、ここでは近鉄のピッチャーの方に注目してもらいたい。背番号「21」の盛田幸妃。小笠原の打席時、嶋田氏は盛田の投球を見て『かったるい』と表現していたが、それもそのはずだ。この時期に盛田が侵されていた脳腫瘍はかなり進行していて、足の痙攣などといった症状もひどかったらしい。小笠原に第1球を投じた時も、その様子は垣間みてとれる。本来なら野球をするどころの騒ぎではなかったはずなのだ。それをひた隠し、懸命に投げ続ける盛田の姿‥。あらためて今見てみると、色々と考えさせらてしまうものがある。


‥と、嶋田氏の解説は“どこへやら”といってしまった感じなのだが、この同点劇直後の解説?がなかなか面白かった。OBの嶋田氏に対して、2年目のガッツは一切挨拶をしてこなかったそうだ。本人もそれを少し気にしていた様子だったが‥。もしかするとガッツは嶋田氏のことを「元野球選手」だったという、事実すらも知らなかったのではないか?そんな風にも思えてきてしまい、なんとなく両者らしいエピソードだなぁと、笑ってしまった。

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2011年09月03日

【もしイチローが現代の「パ・リーグ」にいたら】

近頃、イチローをオリックスで見てみたいと思うことがある。いや、別にオリックスでなくてもいいのだが、多分オリックスがベストな球団なんじゃないかなと感じる。

平成以降、今のパ・リーグは“史上最高”ともいえる投手たちが、大体どの球団にも属している。その史上最高の投手たちと平成のヒットメーカー・イチローとの対戦を見てみたい‥ 最近そんな衝動にかられて仕方がないのだ。

ダルビッシュ有の多彩な変化球にも対応できるのか?とか、左腕から繰り出される杉内俊哉のキレ味鋭い速球を打ち返せるのか?とか、ここのところ“奪三振マシーン”と化した田中将大だってそう。そんな彼らと、もしイチローが“真剣勝負”をしたら一体どんな結果になるのか。実に興味深いものがある。

結果はあまり想像できないが、ふとこんな“妄想”を抱いた。もし全盛期のイチローが彼ら好投手が在籍している現代のパ・リーグにタイムスリップしてオリックスに在籍していたら、かつてのように高打率を残せ続けられるのだろうか。


ichiro
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振り返ればイチローが世に出始めた1994年、翌年には野茂英雄が渡米し、伊良部秀輝もほどなくして海外球団に移籍。2000年までイチローはオリックスに在籍していたが、落合博満が『彼がいれば日本球界はなんとか持つ』とまで評した斉藤和己も、のちの21勝投手・岩隈久志もまだまだ“ブレイク”の前だった。

イチローと多く対戦し、当時球界を代表する投手と呼ばれていたのはせいぜい松坂大輔くらいだろうか。その松坂でも対戦期間は2年のみ。3点台の防御率でもタイトルが獲得できるような時代だったから、イチローは相当恵まれていた時を過ごせていたのかもしれない。

だからこそ、今のパ・リーグでイチローを見てみたいのだ。防御率1点台でいることがそれほど珍しくもなくなった、現代のパ・リーグで。昔のように他の追随を許さず、首位打者を獲得できれば『やっぱり天下のイチロー』 ということになる。


もっともイチローが現役でいるかぎり、これはバーチャルなんかでも何でもなく、近い将来、ひょっとしたら海の向こうで彼らと1対1の真剣勝負を繰り広げることもあるだろうし、日本球界に復帰することだってまったく考えられないわけでもない。

昨今のパの投手事情とは対照的に、今のパの打者陣はどうもパッとしない。誰もがその対決に心躍らせ酔いしれた好投手対、その“獲物”を目をぎらつかせて睨む“野武士”のようなバッターとの対決‥ それが古くからパ・リーグ野球の醍醐味でもあった。今はそんなバッターがなかなか見当たらない。

‥やっぱりイチローを日本でみたい。
posted by 羽夢 at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 野球雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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