2013年06月15日

「伝説の幕開け」 vs広島東洋カープ

12、13日と仙台でのゲームを観戦する機会にも恵まれたのですが、今カープに勢いがありそうです。これから対戦しなければならないのに、ファイターズは大丈夫でしょうか。

普段からセの野球を観る機会が少なくって、カープの選手もあまりよく存じていないのですけど、なかなか良さげな選手がいましたねぇ。13日の試合で9回に勝ち越しタイムリーを放った丸佳浩しかり、個人的には抑えのミコライオ投手なんかいいなぁと思いました。投球もそうですが、同投手は見た目からして何か、インパクトがありますよね(笑)。‥まあファイターズ側からすれば、彼を出させないような展開にしないといけません。

あとカープの陣容を観ていたら、少し前のファイターズに似ている印象も持ちました。ビックネームは決して多くはないのだけれど、似たようなタイプの好打者が多くて、コツコツ得点を重ねていく系?「華がない」といってしまうと聴こえはよくないのですが、こういったチームは何かひとつきっかけをつかむと、革命を起こしますよ〜。おそらく‥。




なんて、他球団のことを気にかけている場合ではありませんよね。なんてたってこちらは現在パの最下位なんですし(苦笑)。ただ、カープとハムは交流戦が始まってからわりと記憶に残る試合が多くないですか。そんなことない?昨シーズンの土壇場での大逆転勝利とか、多田野がシーボルに投じた超スローボールが報道ステーションで大々的?に取りあげられたり、カープ目線なら前田健太投手がプロ初勝利をあげた試合も、たしかハム戦でしたよね。まだ市民球場時代の話‥‥。いやいや、懐かしいですなぁ。ブラウンさんお元気でしょうか。


ファイターズファンの間で忘れられないカープ戦はやっぱり、あの試合じゃないですか。

ダルビッシュ有のプロ初登板初勝利。今や世界的な投手となった、ダルさんの第一歩目ですよ。あれが2005年の6月15日。今からちょうど8年前の、今日に当たるんですねぇ...


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2005年6月16日 朝日新聞【スポーツ】14版より


感動もしたし、安堵もしましたよ。プロ入り直後に故障やら何やらありましたから。ようやくここまで来れたなと。お立ち台でのダルビッシュの言葉をきき『これから大きく羽ばたいていけよ!』って心の中でエールを贈っていたのが、つい昨日の出来事のようです。将来これほどまでの大投手に育ってくれるなんて、さすがにあの時は予想できなかったなぁ。


新庄選手や小笠原選手もホームランを放ってルーキーの初勝利に花を添えてくれた一戦でしたが、ちょっとこの試合での出場メンバーを眺めていると、今現在も残っている選手が、もう稲葉篤紀さん一人しかいないんですね。まだ8年しか経っていないのに。まあカープも似たようなもんですけど。されど8年ってことでしょうか。

そういえば2005年はファイターズにとって、結構“暗黒”でした。黄金期に入る前の年ですが、交流戦期間中に11連敗があったりで年間5位。当時の「希望の星」がダルビッシュ有で、まさに今の大谷翔平のような感じ。

誰かも云っていましたが、スター選手が去ってしまったとしても、あらたなスターはまた現れてくるものなのですね。18日のカープ戦で大谷が1試合の中での「二刀流」を解禁するといった報道もありましたが、ここからまた、新しい伝説の物語が幕を開けていくことになるのでしょうか...


【関連】
ダルビッシュ有の思い出≪2005≫

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posted by 羽夢 at 02:35| Comment(0) | TrackBack(0) | あの日のFS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月03日

東映フライヤーズ “奇跡の一戦” 【1971 5/3 VSロッテ@東京スタジアム】

2009年のクライマックスシリーズでスレッジが放った逆転サヨナラ満塁本塁打。あの試合もかなり「奇跡的」でした。土壇場8、9回で8点とって試合をひっくり返したわけですからね。自分が目にしてきた中でもトップクラスの奇跡です。ただ、41年前の今日‥ファイターズの前身・東映フライヤーズに起きていた奇跡は、もはやそれどころの騒ぎではなかったかもしれません。


【5者連続本塁打】

野球は9人でやるスポーツです。そのうち半分以上にあたる5人の打者が、連続してホームランをかッ飛ばしてしまうという、とんでもない記録が誕生しました。今でも日本記録として残っているので、ご存知の方も多いかと思います。しかし、あらためてこの試合を振り返ってみると、これ以外も実に様々な奇跡が折り重なって、フライヤーズに勝利をもたらしていることが分かりました。


1971年5月3日、場所はオリオンズの本拠地「東京スタジアム」。なんでもこの球場は構造上の問題でホームランが出やすかったらしく、両軍合わせて12本のアーチが乱れ飛んでいます(ロッテ・江藤慎一選手は1試合3本!)。ちなみにあまりにも“投手不利”な同球場なので、2年後にオリオンズの監督に就任する金田正一氏は本拠地として使用するのをやめたそうです。

メインディッシュに行く前に、まず試合経過の方を辿ってみるとロッテの5点リードで迎えた東映最終回の攻撃。大杉勝男選手がホームランを放って4点差としたものの、すでに2死で無走者。ここから安打と四球、次の打者が遊ゴロで万事休すかと思われた矢先、二塁ベースに入った名手・山崎裕之選手がまさかのエラー(捕球ミス)。さらに連続安打で畳み掛け、またしても相手のまずい守備にも助けられてこの回一挙5点。土壇場で試合を振り出しに戻しました。実は先の山崎選手の失策のシーン。最初はアウトの判定でした。それが東映側からの抗議によって判定が覆ったそうです。考えてみたらこれも“小さな奇跡”といえますよね。


そして、迎えた延長10回。東映の攻撃は前の回と同様、2死無走者‥。それでもヒットと四球で満塁のチャンスをつくるとピッチャー・皆川康夫さんのところで代打、作道烝(当時はDH制なし)。作道さんはこの日、ベンチに残っていた最後の野手です。前年66試合に出場して3本のホームランを打っていましたが、どちらかといえば控えに甘んじていた選手。

そんな作道さんがレフトスタンドへ豪快なグランドスラムを放って試合を決定づけます。伏兵の一撃で東映打線はますます活気づき、ここから出るわ出るわ‥。次の大下剛史から始まり、大橋穣張本勲、最後は大杉勝男が締めて、これで5打者連続ホームラン!

2死ランナーなしから、なんと8得点をあげる猛攻をみせたのでした。この4名の打者は他チームに移って優勝にも貢献するなど、第一戦として活躍し続けていましたが、作道さんにかぎっては生涯ホームラン数は5本。そのうちの1本が球史に名を刻む一発となったのだから、かなりの“持ち具合”です。ただ、当時のナインは記録よりも何よりも!チームの勝利が一番うれしかったでしょう。東映はそれまで泥沼の9連敗中だったのですから(苦笑)



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1971年5月4日朝日新聞【スポーツ】より


『野球は2アウトから』を実践してくれたかのような、41年前の東映の奇跡。栗山英樹新監督は最後まで“魅せる”野球を目指しているそうです。私たちもそれに応える形で、最後まで諦めずに応援していれば、いつか【奇跡】の目撃者になるかもしれません。


≪文中一部敬称略≫
※あなたが見た野球の奇跡!ぜひ教えてください。


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2011年10月13日

【10月13日】 -栄光へ、結実-


「10.19」

ひょっとしたら【あの日のバファローズファンと同じような心境になっていたのではないか?】そう想いを馳せることがあります。


1980年10月7日。この試合に勝つか引き分けで、無条件で後期の優勝が決まる、運命のシーズン最終戦。先制をしながら、それまで22勝をあげていた2番手の木田勇が球のキレを欠いて、5失点KO。ファイターズはその試合に敗れてしまい、優勝は持ち越し。結果、息を吹き返したバファローズが残りの西武戦に連勝して逆転優勝をはたしました。

翌年、優勝決定戦(プレーオフ)に駒を進めたファイターズはロッテと激突。2勝1敗1分、19年ぶりのリーグ制覇まであと1勝。ファイターズの先発は木田でした。本調子ではないながらも、6回途中までを4失点で乗り切って、勝利投手。1981年10月13日。前年“あと1勝”に泣いたファイターズが、今度は木田の手によって栄光をつかみました。

翌年にペナントを勝ちとったところも10.19のバファローズとも似ているし“投”の主役だった阿波野秀幸は、前年の雪辱に燃えた、あの時の木田ともどこか重なってみえます。


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日本ハム球団となってからは1981年が初めての優勝でした。ビールかけに参加していた当時のオーナー、大社義則さんの嬉しそうなお顔が目に浮かびます。かつての沢村賞投手にして別の名を優勝請負人、アノ江夏豊を獲得しにいったぐらいですからね。この年の「本気度」がうかがえます。

木田や江夏以外で他に在籍していたメンバーはV9時代の左腕エース・高橋一三や“負けない男”の異名をとった間柴茂有、ノーヒッター・成田文男にマッシーこと、村上雅則。打つ方でも“キャプテン”柏原純一に、サモアの怪人・トニーソレイタ、さらには代打職人・井上弘昭。そして、この泥臭い連中を束ねた指揮官が大沢啓二‥。往年の野球ファンだったら、名前を聞いているだけでヨダレが出てきてしまいそうな、なんか男のロマンみたいなものを漂わせてくれる面々です。

後楽園決戦となった日本シリーズでは巨人に敗れ、結局この年以降は周知のとおり、北海道に移転するまで一回も優勝することができませんでした(後期のみ優勝なら82年にあり)。それだけにとても思い入れのある、忘れがたき1981年のリーグ優勝です。もし当時のメンバーが皆全盛期の頃だったら、巨人なんか目じゃなかったでしょうね(笑)


PS.
今シーズンの順位が決まりました。当面の目標でもあった「CS本拠地開催」に向け、ボロボロになりながらも最後は這いつくばって、何とかゴールに辿りつくことができました。CSでは地元ファンの力強い声援が後押ししてくれるはずです。

もう9月はそれこそ「泥沼」でしたので、これ以上チーム状態が悪くなることはないと思います‥ 思いたいです。CSまでは故障者はリフレッシュして、また若手選手の可能性を見極める期間にあてていきたいですね。選手・スタッフ・ファン、3者一丸になって2位からの日本一を目指していきましょう!
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2011年10月07日

【10月7日】 -さらばオレ流・落合博満-

ファイターズの梨田監督同様に、8年間ドラゴンズを率いてきた落合博満監督も今シーズン限りをもって退任されるそうですね。【勝利こそが最大のファンサービス】と常に言い続け、実際に在籍した期間は4度のリーグ優勝を含む、すべての年で3位以上。今年だって優勝を狙える位置にいます。退団の真相は定かではありませんが、監督自身に人気がないとか、お客が呼べない(新聞が売れない?)などの理由で契約を打ち切られてしまったのだとしたら、どこまでも“勝利至上主義”を貫いてきた落合監督には少し気の毒な気もします。

“監督の人気”ってイマイチ私には分かりませんけど、やはりチームが強くなければもっとファンは球場に足を運ばなくなるし、支持だってされないと思うのですが、そこはプロ野球の世界。そうもばかりは言ってられないということなのでしょうか。過去に同様な理由で当時のオーナーから冷たい言葉を浴びせられた、西武時代の森祇晶監督を思い出します。

野球界の“天皇”といえば400勝投手・金田正一氏らしいのですが、私らの学生時代は落合博満がその球界の天皇のような存在として君臨し続けていました。破格の年俸もそうだし、応援歌にもあった『三冠オチアイ〜広角打法』、有言実行で3度も三冠王を取ってしまうような、雲の上にいた不世出の天才打者。有言実行といえば、監督になってからも就任した年に『補強はしなくていい。今の戦力で十分勝てる』と断言し、実際に優勝してしまったこともありましたよね。あの眼力には正直驚かされました。

ちょうどこの頃に「落合博満の超野球学〈2〉」という、一冊の本を出されています。内容はもちろん打撃に関する“オレ流”な技術的なことをメインで綴られています。ただ、随所に現役時代に苦手にしていた投手や、なぜその投手を打てるようになったか?なども書き記されていて、すでに“観る専門”の野球ファンとなっていた私は、こっちの方を興味深く拝読していました。


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本の終わりに、監督になった決意表明としてこんな言葉で締めくくられていました。

【中日ドラゴンズを率い、心を尽くして戦います】

こうなったら最後までオチアイらしく、どこまでもオレ流を貫き通していってほしいと思います。「落合さんの野球が好きだった」というファンは名古屋に、きっと全国にもたくさんいたはずですから。

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posted by 羽夢 at 10:06| Comment(3) | TrackBack(0) | あの日のFS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月18日

【9月18日】 -まだまだ死ねない-

9月に入ってからスワローズの快進撃が止まりません。躍進ぶりをみていると『あぁ、こういうチームが優勝するんだなぁ』とか、シミジミ感じてしまいます。優勝するチームって、勝負どころの大事な時期では負けないんですよね。スワローズは優勝経験者が少なく、多少“意識”をしだした先月はバタついていた印象もありましたけど、それも今は勢いの方が勝っている印象です。振り返ってみれば、25年ぶりのリーグ優勝を遂げた2006年のファイターズも似たような感じで、9月以降は勝ち続けていましたよね。

優勝を目前にしたチームの勢いを止めるのは容易ではありません。それが場数を踏んだ“経験豊富”なチームであれば尚のことです。黄金期だった1980〜90年代の西武ライオンズが秋口にスパートをかけ、大型連勝を飾ってそのままゴールに向かって一直線!なんてシーズンも、昔はよく目にしました。


そんな猛者たちをも沈めた、あのとき放ったファイターズ選手の一打を、今でも覚えています。

それまで首位を走っていた近鉄バファローズを破竹の12連勝で一気に追い抜き、首位に躍り出たのが1991年9月の王者・ライオンズ。この連勝を止めたのは、首位から20ゲーム差以上も離された4位・日本ハムファイターズでした。

9月18日。地元の東京ドームで、いよいよマジックが点灯したライオンズを迎え撃つ一戦。前日の試合はエース・柴田保光を立て善戦するも惜敗。この日は5年連続二ケタ勝利を狙う西崎幸広と渡辺智男の投げ合いで始まっています。

1-2。1点のリードを許した、ファイターズの6回裏の攻撃。渡辺の後を継いだ2番手・潮崎哲也が4四球の乱調で勝ち越しに成功、なおも満塁と攻めたてていました。ここで打席が回ってきたのは中島輝士の代打・大島康徳

この一振りにかけた大島は潮崎の“初球”に狙いを定めていました。四球のあとの初球‥【必ずストライクをとりにくる】

快音を残した打球はレフトスタンドに飛び込む、値千金のグランドスラム!この時期あたりからスタメンを外されていた40才の大ベテラン、意地の一発でした。これで突き放したファイターズは8-3でライオンズを退け、マジックを消し連勝も阻止させるといった白星以上の金星?にファンは歓喜しました。

殊勲の大島は中日ドラゴンズ在籍時代から代打本塁打「16」本も記録した、まさに一振り稼業の職人。翌年以降からはファイターズでもその腕を存分にふるっていくことになりました。


最後にあの代打満塁弾を打ったあとに、大島氏が残した試合後の談話を紹介しておきます。

『これでオレの存在価値を認めてくれるだろう。まだまだ死ねない』

現在(いま)のファイターズにも、こんな気概を持った選手がでてきてほしい。チームが苦境に立たされた現在こそ“オレの存在価値”を前面に出せる選手、そしてその選手に風を変えてほしいと願います。それこそ、まだまだ死ぬわけにはいかないのだから‥


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2011年09月16日

【9月16日】 -サヨナラホームランの“味”-

私の家の近くにはドン・キホーテがあります。よく思うことがあるのですが、どうしてあそこはいつも“アベック”が多いのでしょうか?何かソレ系のグッズとかでも置いてあるのですか?(失敬!)まぁ、私は独身で一人で買物に行く機会の方が多いで、余計にそう感じてしまうだけかもしれません。

そんなアベックたちに聞いてもらいたいのですが、どうも「結婚」をするという行為は「サヨナラホームラン」を打った時の心境と、通ずるものがあるみたいなのです。前述のように私には経験がないので(サヨナラホームランも含めて)それがどういった意味なのかは、まだ理解できていませんけど。‥経験者の方、わかりますか?


『サヨナラホームランは初めて。結婚した時のような感じ』


これは今から26年前の今日、後楽園球場の南海戦で矢野実投手から生涯初となるサヨナラ本塁打をライトスタンドに叩きこんだ、マイク・パターソン選手が試合後に残したコメント。 ※9-7 勝:川原 敗:矢野 本塁打:(H)山田・湯上谷・山本・ドイル (F)クルーズ・岩井・パターソン

名前“P系”は何となくP・パットナムのイメージが強いし、“マイク”はイースラーがあまりに有名で、ハムファンでも彼のことを記憶している人は、そう多くはないかもしれません。

このパターソンは自らを売り込むためにわざわざ自費で来日し、テストまで受けて入団に至ったという、当時としては異例なアメリカ出身の外野手。在籍していたのはこの1985年の1年間のみ、それも「第3の外国人」扱いだったので、1軍と2軍を行ったり来たりしていました。

9月の半ばという、時期的にも来季への生き残りをかけて“当落線上”にいる外国人選手は皆、最後の追い込みをかけてきます。パターソン唯一の“見せ場”となったサヨナラ弾も実は代打によるもので、必死にアピールをしようとしていた中で放った一撃でした。

残念ながら翌シーズンの契約は勝ちとれませんでしたが、それでも88試合の出場で16本塁打も放ったのだから、そこそこの長打力は兼ね備えていました。その後の足取りは分かっていませんが、年齢もまだ当時27才と若かったので、どこかで野球は続けていたのではないでしょうか。


いつのまにかそのパターソンの年齢を超えてしまいました‥。私もなるべく早いうちにその「結婚=サヨナラホームラン」という心理を、少しでも味わってみたいと思います。まずはとりあえず、一緒にドン・キホーテに行ってくれる人から探さなければ! にほんブログ村 野球ブログ 北海道日本ハムファイターズへ
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2011年07月22日

【7月22日】 昭和版・日ハム1の球宴男

今年もオールスターの季節がやってきた。以前ほど興味も薄らいできたが(お陰さまで近年はペナントの方が好調なので)ファイターズ戦士の動向はやはり気になるところではある。だいぶ前にも書いたような覚えはあるが、この晴れの舞台で一気に顔と名前を売るチャンスなのに、昔からファイターズの選手はなかなか活躍できずにいた。1982年に柏原純一がMVPを獲得してから、20年以上にも渡ってファイターズからMVP選手は現れていない。ようやく2004年に派手なホームスチールを決めたSHINJOが獲得したけど、それ以降また音沙汰なし。(2009年に高橋信二があと一歩のところまでいったが‥)2011年は3試合もあり、8名も選出されているので後半への景気づけに、是非ともファイターズの選手には頑張ってもらいたいと思う。


今日は7月22日。例年この時期にオールスターが行われているのだが、31年前の今日、1980年7月22日は後楽園球場でのオールスター第3戦が行われていた。この日の全パの先発を務めたのは、前半までに早くも11勝をあげ、まさに飛ぶ鳥落とす勢いだったファイターズのゴールデンルーキー・木田勇

対する全セの先発が巨人の江川卓。江川が3回を打者10人に1安打7奪三振とパの強打者を圧倒すれば、木田も負けてはいない。得意のパームにカーブ、変化球を主体に3回を被安打1の零封投球。大いに江川を意識していたという木田は昭和の怪物とも互角に投げあった。

実は第1戦の西宮球場でも木田は投げている。ファン投票1位で選出されただけに「顔見せ」の意味合いもあったかもしれないが、最終回のあとワンアウトという場面で全パの西本幸雄監督は木田を登場させていた。最後の打者はなんとあの王貞治。さすがの木田も偉大な打者を前にビビったのか、いきなりカウント0-3とボールを先行させてしまう。しかし強心臓ルーキーはここで尻ごみせず、真っ向勝負を挑んでいった結果、見事世界の王を三振に斬ってとった。木田の実力は本物だった。



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≪プレイバック≫
全セ1点リードの最終回の守り。無死満塁、絶対絶命の局面で登場してきた江夏豊(広島)が鮮やかな3者三振締め!最後の打者はまさかの南海の投手!山内新一(笑)この試合のMVPを獲得した江夏は縁あって翌年、木田ともチームメイトに‥


翌1981年もファン投票1位で選出。木田にとって地元でもある横浜での第2戦に先発登板。ここでも3回を1被安打3奪三振と、完璧な投球を披露。3年連続選出(監督推薦)となった1982年は第1戦(後楽園)で再び江川と激突。江川が柏原の本塁打などで1回で退いたのに対し、3回に連打を浴びて2失点こそしたものの、球宴“初勝利”を手にした。この時に木田が残したコメントも興味深い。『出場できる成績じゃないのに、第1戦の先発ときいてビックリ。気合いが入りましたよ』1982年は規定投球回数には到達したが、わずか6勝に終わっている。今思えば新人年に酷使させてしまった大沢啓二監督(全パの監督でもあった)せめてもの罪滅ぼしであったのかもしれない‥


オールスターでの通算成績は4試合に投げ1勝0敗、防御率2.00。とにかくリーグの顔ともいえる「先発」を3度も務めているのが木田の凄いところ。突出した1年目の成績ばかりがクローズアップされているが、ファイターズが誇った立派な“球宴男”でもあった。


≪関連記事≫ -野球カード語り- 伝説のサウスポー
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2011年04月08日

【4月8日】 ドラマチック・ハム!

最近はどうなっているのかよく分からないけど、筆者の学生時代は4月8日に入学式や新学期が始まるパターンが多かった。プロ野球も現在みたいに試合数が多くなく、130試合で統一されていた頃は大体この辺りの時期に開幕日を迎えていた。今回はそんな今日、4月8日にスポットを当ててみた。


1981年。この年はファイターズが19年ぶりのリーグ優勝を遂げた年だけど、なんといっても前年のオフに広島からやってきた江夏豊が目玉選手の一人だった。江夏の加入でファイターズは一気に「優勝候補」となったわけだけど、その江夏が春先立て続けにリリーフに失敗して周囲を不安がらせた。ここでも「シーズン前の下馬評が高いと本番悪くなる」といったジンクスが垣間みえる(結局後半に盛り返し、前後期2シーズン制という制度に助けられた)

江夏のエンジンがかかるだいぶ前、絶不調だった頃の4月8日の後楽園球場。対西武戦で1点リードの8回から登板。まずは8回に同点とされ、前日に続いての救援失敗。そして続投した9回、因縁のアノ男に決勝アーチを浴びてしまう‥


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ドラマだねぇ‥ 江夏豊と田淵幸一!

タイガース時代は黄金バッテリーなどと呼ばれ、ONたちとも幾多の名勝負を演じてきた両雄がお互いユニフォームを変えて、観客もまばらな後楽園で「敵」として相対峙するなんて。

ちなみにファイターズの先発を務めたのが間柴茂有。なんとこの日は1回持たず、2/3イニングで西武打線にKOされている。それがすっとこどっこい!終わってみればシーズン負けなしの15勝、勝率10割。打線が中盤に追いついたから間柴に負けが付かなかったわけだけど、間違いなく1981年は「強運」も持ち合わせていた。

その負けない男、間柴がリバンジを果たしたのが5年後の1986年4月8日、後楽園球場の対西武戦。ドラマだねぇ‥。5回を投げて1失点。後続をリリーフに託して勝利投手となった。当時、野球界の話題を独占していた18才の清原和博(この日がプロ初スタメン)から初三振を奪ったのが間柴って、知ってた?


時代は昭和から平成へ‥ 後楽園スタヂアムからビックエッグへ‥


激動の1988年と1989年の両年は4月8日が開幕日。記念すべきドーム元年、開幕投手の西崎幸広が終盤につかまって、ファイターズは初陣を白星で飾れなかった。ドーム初白星は翌9日で白井一幸が8回に満塁一層のタイムリーを放って試合を決めた。ちなみに筆者にとっての「初ドーム」がこの試合!まぁ、これはどうでもいい。

1989年「平成初ゲーム」はファイターズファンにとっては忘れられない幕開けとなった。ちょっとすましたニヒルな新背番号『7』。カレがいきなりとんでもないことをしでかした。


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ドラマだねぇ‥

開幕戦では33年ぶりとなる、新人選手によるサヨナラ本塁打。これは凄い選手がやってきたぞ!新人王はお前に間違いない。五輪で全日本の4番を務めた男の実力をとくと魅せてやってくれ。中島輝士!

‥結局この年は故障もあって9本塁打に終わった。アマチュア時代はほとんど経験のない、不慣れな外野の守備の方にもだいぶ神経を使わせてしまったのだろうか。だが「テルシー」はあの一撃で燦然と球史に名を刻んだ。貴方の方が年上なのにエースの西崎には平身低頭でしたよね。そんな貴方も忘れない‥



※いかがでしたか。4月8日には色々なドラマがありましたね!あぁ古き良きあの時代‥。なんだか野球が恋しくなってきました。同じく当時を懐かしく感じてくれた方はどうぞワンポチのご協力を、よろしくお願いいたします人気ブログランキングへ
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2011年04月05日

【4月5日】 黒星にサヨナラ!

首位から28.5ゲーム差、前年は借金33リーグダントツの最下位。4億もの大金をはたいて現役メジャーリーガーを獲得した、某球団のような目立ったオフの大型補強もなし。おまけにキャンプ中から故障者が続出、オープン戦は13試合戦ってわずか2回しか勝つことができなかった。シーズン前、評論家たちが口を揃えて最下位予想をしていたのも、まぁ当然のなりゆきだったかもしれない。ファイターズ、1995年の春‥

4月。開幕カードは敵地・藤井寺球場での近鉄戦。上田新監督が先発の柱と目論む西崎幸広・グロスを立てながらもいいところなく連敗を喫する。対象的に思惑通りの連勝スタートを切った鈴木啓示監督のファイターズには勝って当たり前かのようなコメントに、反論できる材料も、元気も湧いてこない。

3戦目は本拠地に帰ってのブルーウェーブ戦。久しぶりに戻った東京でこの日は打線が奮起し、接戦にまで持ち込んだ。しかし、頼みのリリーフ陣が踏ん張りきれず、9回に決勝点を奪われて敗戦。投打がかみ合ってこない。これで球団史上38年ぶりとなる開幕3連敗。これでもかと云わんばかりの負の連鎖は一向に収まる気配はなく、さらに主力の金石昭人と白井一幸が故障により相次いで戦列から離れることになった。


『もうこのまま、ずっと勝てないんじゃないか‥』


そんな悲愴感すら漂い始めていた翌4月5日のブルーウェーブ戦。先手を取られる苦しい展開も、ようやく息を吹き返してきた打線が粘りをみせて、1点を争う攻防。試合は同点のまま延長戦へと突入した。

それまで好投をしていた長冨浩志が12回につかまり、得点を奪われた。スコア3-4。土俵際にまで追い込まれたファイターズ。『また今日も‥』 誰もが口には出さないが、そんなことも脳裏をかすめてしまう。その裏、ひたすら勝利を願うファンの想いを背に、最後の攻撃が始まった。

1死後、14年目の伏兵・渡辺浩司がヒットで出塁。3番・小川浩一が四球で繋いだ。得点圏にランナーが進む。このままでは終われない。1死1、2塁。打席にはこの年から4番に座る主砲・田中幸雄。 『今日で止める!』


幸雄の目の色が変わった。カウント1-1からブルウェーブのクローザー、渡辺伸彦のストレートを豪快に引っぱたいた打球が高々とレフト方向に舞い上がる。一塁へ向かう途中、「いけー」「届けー」幸雄の口ぶりがそう叫んでいるように見えた。


幸雄の祈り‥ ファンの願い‥ ファイターズに初勝利を!


幸雄の打球は色んな人の想いを乗せて、レフトスタンド最前列まで届いた。シーズン初勝利をもたらす、劇的なサヨナラ3ラン!『ファイターズの逆襲がここから始まる!』そんな期待をも抱かせる、幸雄の虹を描いたような放物線は、みんなの心に希望を灯した。


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※この1995年という年は結果的には4位ながらとても印象的でした。前述のように闘将・上田利治が監督に就任。戦力的には苦しかったけど、積極的に若手を起用して井出・上田・金子誠・岩本らが芽を出し始めてきていた年でした。9月には借金1にまで減らし、大多数の最下位を予想をしていた評論家連中を見返してやるかのような「反抗」は痛快でした。翌年以降に大いに期待を抱かせてくれるものでしたね。
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