2016年01月25日

ピノが「ピノ」でなかった件

澤宮優著「東京スタジアムがあった 永田雅一、オリオンズの夢」という本を読んだ。


同スタジアムに浪漫を感じ、こち亀にも登場して、先日めでたく野球殿堂入りされた故・榎本喜八氏についてもわりと深いところまで詮索していた筆者にとって、特別、目新しい項はなかったけれど、この人の書く文章は好きだ。ノンフィクション作家らしく「主観」はできるだけ避けて事実をありのままに記している。当時を知る貴重な“資料”とすれば、一見の価値があると思う。ロッテファンならずとも。

私が本書で得た最大の収穫は、あの飯島秀雄氏。陸上選手からプロ野球に“転身”した、プロ野球の歴史好きの方なら一度くらいは耳にしたことがある名前だろう。わずかな証言を頼りに現役時代の様子や、退団してからの心境を知れたのは良かった。とりわけ【スプリンター飯島秀雄の苦悩】が秀逸。氏は、どうも野球選手時代の記憶は消し去りたいようだ。その理由の一端をうかがい知ることもできる。




永田雅一オーナーの奇抜な発想で東京(現千葉ロッテ)入りした飯島氏であったが、期待された盗塁数は実働3年、117試合で23盗塁。これを多いとみるか少ないと見るかは人それぞれである。だが、注目すべきは失敗した回数‥つまり「盗塁死」の数が17もあった。「成功率」にすると.575。一般的に.700超えなら高い率とされ“走り屋”と呼称されるのに、代走専門の飯島氏が5割強にしか過ぎなかったのは、なぜか?

‥やはり“ただ足が速い”だけでは厳しいという裏付けなのだろう。塁間を駆けるだけでなく、まして盗塁となれば、プロでも相当な技術と訓練が必要だ。それはピッチャーのモーションを盗むものであったり、牽制をかいくぐって、いかにして一歩二歩大きなリードをとれるか‥等々。一応、野球経験はあったそうだが飯島氏の場合、あまりにも“場数”を踏んでいなかった。科学的に検証されることも多い現代でなら、まずありえない、スプリンターのプロ野球チームへの入団。


少し気になったので、歴代の“走り屋”たちの成功率を調べてみた。私が野球に興味を持ち始めた時期、盗塁王の常連だった屋鋪要(大洋他)。327の盗塁に対して失敗が106、.755。西村徳文(ロッテ)が盗塁数363、失敗が107で.772。長年チームの切り込み隊長を担ったハムのチャボ・島田誠も.724(成351 失134)。‥どれも「さすが」の数字で圧巻。

飯島氏ほど顕著ではなかったけれども、代走専門といえば川名慎一も近い起用法ではあった。彼が.761(54-17)。一時期「球界最速」とも謳われた紺田敏正とて.738(31-11)。意外だったのは「ファミスタ」1の快速男に擬えたピノこと、村田和哉のNPB時代が.567と低かったこと(17−13)。サイクルスチールも可能だった“本家”なら、この率はちょっと考えられない。


一方、現役の選手でみると、これまた日ハムの選手たちが凄い。昨季盗塁王に輝いた中島卓也が.830(88-18)で、一昨年の盗塁王・西川遥輝は実に.836(102-20)。ちなみに球団初の盗塁王となった陽岱鋼も.816(129-29)である。主力3選手が驚異の8割超えだ。彼らこそ「スーパーカートリオ」の称号を与えるに相応しい。

‥もっとも、加齢とともに脚力は衰えていくので“率”は年々下がる可能性はあるが、まだ、しばらくは安泰ではないか。今のパ・リーグは昔とちがって、広大なスタジアムが多い。ハムはまさに「現代向き」のチームといえよう。

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posted by 羽夢 at 20:43| Comment(0) | TrackBack(0) | FSコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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