2015年10月24日

ミカンの男

11年前に行われたドラフト会議での胸の高鳴り、高揚感‥‥今でも憶えてる。


甲子園の投打の2大スター、ダルビッシュ有と鵜久森淳志の「両獲り」に成功したからだ。まさかダルを単独で指名できるなんて思ってもみなかったし、さらに甲子園の観衆を魅了した済美のアーチスト・鵜久森が同一のチームに所属する。しかも、それがファイターズだなんて...

そう遠くない未来のうちに、このモデルのような容貌をした男ふたりが、札幌ドームのお立ち台に居並ぶことを夢みてた。それがとうとう一度も実現しないまま、鵜久森までもがチームを去ってしまう。

プロ入りから10年‥‥。順調にスターの階段を昇っていったダルビッシュに対し、一方は「未完」のままだった。いくら済美高のある、愛媛の名産品がミカンだからって、何も鵜久森が“ミカン”のままで終わることはないだろう。開花を待ち望んでいたファンたちの、無念な表情が浮かんでくる。


ダルは、もちろんドラフト1位で鵜久森は8巡目。意外にもプロの見方は低評価であったようだが、今おもうと頷けてしまう部分も少なからずあった。ファームでは20発も打った経験がある、スラッガーとしての資質は十二分に持ち合わせているのに、一軍では打てない。一軍と二軍では相手投手の力量の差が歴然だとはいえ、それ以前に、何か欠けているモノが鵜久森にはあったのではないか。


たとえば代打で登場してきて、ファーストストライクを簡単に見逃してしまう。結果、一度もバットを振ることもなく三振に倒れ、すごすごとベンチへ引きさがって行く。テレビ解説者の嘆きや怒りを買った、そんなシーンを幾度か目にしたことがあった。もっとガムシャラになれ----

おそらく、その半ば“消極的”とも受けとれるような姿勢が、彼の成長を妨げいていたのでないかと感じている。‥もったいない。まちがいなく力を持っているのに。その証拠に、球団も10年待った。8人いた同期で、今もチームに残っているのは、鵜久森だけ。かならず浮上してくるだろうと、開花のときを根気よく待ち続けていた。


プロ2年目に訪れた2006年4月18日の、デビュー戦が忘れらない。まだファームで大した成績も残せていなかったが、鎌ヶ谷からも近い東京ドームで試合があったために、一軍に引きあげられた。代打で3球三振‥。でもスタンドのファンは彼の登場に大歓声を送っていた。

奇しくも新庄剛志が「引退宣言」を行った日。そんな試合でデビューを飾った鵜久森も、いつか新庄のようなスーパースターになってくれるだろう。あの日、あの場所にいた皆が、彼の大きな背中を見ながら似た想いを抱いていたはずだ。


ファイターズでは叶わなかったが、まだ若い鵜久森の野球人生は当然、これで終わりではない。今後どこかの球団で、大輪の花を咲かせることだって、あるいはあるのかも知れない。それでも俺は夢見ている。いつか、ダルビッシュと、札幌ドームの眩しいスポットライトを浴びながら、お立ち台にのぼる二人のスターの姿を。

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posted by 羽夢 at 10:57| Comment(0) | TrackBack(0) | FSコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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