2015年09月28日

「ありがとう」の言葉とともに

さすがにグッとくるものがあったなぁ...


2年間という短い在籍期間だったし、あまりLionsなイメージはなく、そしたら案の定、若干F色の濃いセレモニーであったせいか、最後の「ひちょり劇場」‥感動してしまった。森本のために、あのような引退試合を企画してくださった西武球団には私からも感謝申し上げたい。

唯一無二の?稀哲という名前。ケータイで変換しても出てこないし、字を探すのも一々面倒臭いから大抵の人はこうしていると思うんだけど「ひちょり」 って、ひらがな表記にすると、奇妙に可愛い。


監督がヒルマンになってたくさんチャンスもらって、のちに人生の師匠となる新庄剛志とも出逢い、苦節8年‥。ついにその才能が開花した。左翼のレギュラーに定着してチームの日本一に貢献。右から稲葉、新庄、森本のトリオはまさに鉄壁といってよかった。

打つ方では不動のトップバッターとして君臨。筆者とすれば、正直いってここには不満もあった。たしかに率は劇的に上がったけれども、バッティングそのものが何だか小ぢんまりになってしまったからだ。1番打者として出塁を第一に考えるのは判る。ただ本来、森本の持っている力をもってすれば、それこそ新庄や、今でいうと陽岱鋼のようなもっとスケールの大きいバッターに、なれたと思っているから。少なくとも生涯ホームランが「33」で止まる選手ではなかっただろうと。

‥まぁこれはあくまで理想論。森本が出塁し、次の田中賢介が繋ぐことで、当時ヒルマンが掲げていた「スモールベースボール」が結実したのも、紛れもない事実なのである。中日との日本シリーズで森本がウイニングボールをつかんだあの瞬間は、今も瞼に焼きついている。彼のおかげで優勝を待ち望んでいた全Fsファンは本当に良い夢をみさせてもらった。私たちファンからも、森本に対しては心から「ありがとう」の言葉を贈りたい。


2006年の日本一といえば、忘れられない選手がもうひとり‥。小笠原道大。ガッツなくしては間違いなく、チームに栄光のときは訪れなかった。ファイターズ時代は故障知らずの強靭な肉体を誇っていた彼も、ついに最後の日を迎えた...

首位打者のタイトルを獲得した2002年。球団では何せ、あの張本勲氏以来という快挙を成し得てくれたのだから喜びもヒトシオだった。東京時代末期‥弱小球団にあって、打撃職人・ガッツだけは我々の誇りであり、希望の星であった。許されるのであれば、またいつか‥あのスピリッツをFsの若手選手たちに継承してほしい。


それにしても今年はそのガッツしかり、ともにパ・リーグで一時代を築いた和田一浩や西口文也、さらには谷繁元信や山本昌といったビックネームが次々と現役引退を発表。ファイターズでは他球団より一足先に、稲葉・金子両選手が引退をした昨年にあたったが、日本プロ野球も今‥ひとつの「転換期」を迎えようとしているのかも知れない。

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posted by 羽夢 at 07:49| Comment(0) | TrackBack(0) | FSコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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