2015年07月02日

哀しき「F」 -古希のあなたへ-

オールスター休み以外で、シーズン中に3日間も試合がないとは珍しい。ただ交流戦明け、しばらく流れがよくないときが続いたから、これを良いプチ・リフレッシュ期間と捉えたい。唯一、生で観る機会を失われた函館の野球ファンは残念だったろうが。


あの日は残業で帰りが遅くなり、翌朝になってから知ったのだけれど、新幹線車内で火災?男が焼身自殺を計ったとかで。‥哀しいなぁ。他人まで巻き込んだ、あの男がしたことは決して許されることのない行為だ。しかし、その「背景」を知ったら、私はますます哀しくて仕方がない。

“狂行”に及んだ経緯。詳しい事情は分からないが、一説によると、年金受給額の少なさに対する不満を日頃から周囲に漏らしていたらしい。‥とても他人事とは思えない。ひょっとしたら今後、あの男のように自暴自棄に陥ってしまう高齢者が増える可能性だってある。同情はできないが、再発防止に向け、そういった部分に今一度、目を向けてみる必要性はありそうだ。


野球が好きだったのだろうか---


野球のユニフォームに身を包んだ写真。ずいぶん若い頃に撮ったもののようだが、胸に「FIGHTERS」の文字が見える。‥もちろん日本ハムファイターズに一切関係はないのだけど、帽子に描かれた「F」のロゴが旧・東映フライヤーズのと少し似ていた。

折しも、私は一冊の本に夢中になっていた最中。近藤唯之著「引退 そのドラマ」がそれである。ここに収められていた大杉勝男氏にまつわるエピソードを読み、のちの夭折してしまう遠因を知ったと同時に、私には“無念”の感情が一層募った。『なぜ氏ほどの人物を、ファイターズは放出してしまったのだろう』 と。


大昔にありがちだった現役を退く間際、故郷の球団や憧れの巨人軍に“移籍させてあげる”のとはワケがちがう。まだ脂が乗った30歳手前、みすみすヤクルト球団にやってしまったのだ。本書にもある「武勇伝」であったり、色んな人から話を訊けばきくほど、大杉氏くらい「ファイター」に相応しい選手はいない。

少し大袈裟にいうなら、現代の中田翔をトレードするような感覚ではないか。当時のファンから球団へ抗議の電話が殺到した‥か、どうかは分からない。

以前、西武が球団OBでもある稲尾和久氏の功績を讃えて、選手全員が背番号「24」のユニフォームを身にまとって試合をしたことがあった。とても高貴な景色をみせられた思いもしたが、ファイターズは‥こと大杉氏に際してはそれも叶わぬ夢だろう。どちらかといえば後年の“ヤクルト色”イメージの方が強くなってしまったのだから。ファイターズナインが東映のユニフォームで背番号「51」をつけている姿、一度でいいから拝んでみたかった。

生きていれば、今年でちょうど70歳‥か。古希の大杉氏は、一体どんなだったのだろう。

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posted by 羽夢 at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | FSコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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