2015年05月30日

若き、親分

大島康徳が中日からやってくると訊いたときは、嬉しかった...


かつての本塁打王。「燃えプロ」では三冠オチアイのあとの、5番を担っていたほどのプレイヤーだ。そんな選手が日ハムに“来て頂ける”のだから、歓喜しないわけがない。おもえば私が物心ついて初めて味わう、ハムにおいての「大型トレード」でもあった。

代わりに名古屋へ行ったのが、田中富生と‥大宮龍男。81年リーグ優勝時の正捕手も、田村藤夫の台頭もあって2、3年は代打要員に甘んじていることも多かったから、まあ妥当といえばそうだったろうか。大宮にとっても当時伸び盛りだった田村と勝負するよりも、新天地で心機一転レギュラーを目指す良い機会‥。

ところが中日では中村武志、のちに移籍した西武では伊東勤という強力な壁が立ちはだかる。けっきょくハムを去ったあとも“2番手”のまま現役を退いたわけだが、今なお後楽園時代に魅せた、とりわけパワフルな打棒を記憶している方は多い。


この大宮氏、最近では「親分」の愛称で親しまれているそうな‥。ハムで「親分」といえば、筆者世代では大沢啓二氏でしかなく、正直違和感もなくはないのだが、氏のそれを受け継いだような感じなのか、はたまた“親分っぽい”イデダチをされるときがあるからそう呼ばれるのか‥‥真相は謎である。


有名な大沢・大宮“両親分”。実はもうひとり、「親分」の呼称で慕われる有名人が、“かつて”居たのはご存じだろうか。

元AV女優の、美咲沙耶(みさき・さや)。今から8年前に亡くなった彼女は、北海道出身だったということもあり、一部では熱烈な日ハムファンとしても有名であった。その経緯と、まるで「元祖」のような、豪快なキャラ性も文字って、女性なのに親分...


ブログで愉しそうに、観戦レポートを綴る美咲さんは、本当にどこにでもいそうな“ファイターズ女子”だ。しかし、最期が若くしての自死という形であっただけに、それもどこか物悲しげに映ってしまう。

ただ、生前、札幌ドームで最後に観戦したのが2007年6月の試合らしいからブログ参照)、前年の日本シリーズで中日をくだし、44年ぶりに成し遂げた日本一の瞬間も、きっと見届けてくれたはず‥‥。“同志”として、本当にそれだけは救いだ。

‥私がそうだったから。生があるうちにハムの栄光を目にできてよかったし、これから近い将来、仮に何か起こったとしても、あの最高なときを迎えられたことで、おそらく半分くらいは悔いなく旅立ってゆける‥自信がある。それくらい日ハムの応援だけに、人生のほとんどをかけてきた。

でも、やっぱり私には「欲」がある‥‥。まだまだファンとともに感動を分かち合いたい。歓喜の瞬間を見届けたい。おもえばあれから一度も頂点に立てていないではないか。そろそろ“二度目”があっていい。「親分」は天国にいって、幾分気長になったろうか---

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ラベル:大宮龍男 親分
posted by 羽夢 at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | FSコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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