2014年11月22日

背番号「8」物語 【エイトマン伝説】

今シーズン自身初となる規定打席にも達した西川遥輝(22)の背番号が、来季より「8」に変更されるそうだ。

現代人らしく細身の体形は丸っこい数字よりも‥また2014年は外野守備に就く機会も多かったことから、かつて坪井智哉から糸井嘉男へと受け継がれた「7」の方が、彼にピッタリなのではないか? 当初はそんなふうにも思った。

さらに長らくチームを支えてきた“前任”の金子誠のイメージがどうしたって根強い。一部では時期尚早といった意見もあったが、過去の「エイトマン」たちを追ってみると、これは“必然”であった可能性が高い。いってみれば西川が背番号8を背負うのは、運命的に決められていたということだ。


そこで今記事では球団名が日本ハムファイターズとなった1974年以降の、エイトマンを掲載しておこう。西川と同じ左打ちの巧打者に、球界屈指の俊足を誇った韋駄天選手。見えてきた「必然性」とは...


1974 相本和則
1975 渋谷通 ※広島から移籍
1976 後藤和昭 ※阪神より移籍
1977-1979 久保俊巳 ※広島より移籍

1980-1990 島田誠 ※「24」から変更 
1991-1992 B・ベイス ※新外国人
1993-2002 片岡篤史 ※「38」から変更
2003-2014 金子誠 ※「30」から変更
2015 西川遥輝 ※「26」から変更


球団が誕生してしばらくは、移籍選手に充てがわれている。数年で退団してしまう選手も多かったことから、当時の日ハムにとっての「8」は、それほど重要な“位置づけ”でなかったのが、おぼろげに浮かびあがってくる。

状況が一変したのは島田誠からだ。1979年に不動だった盗塁王・福本豊に肉薄する55盗塁をマーク。この活躍が認められて、翌年から背番号も一ケタに“昇格”した。筆者が憶えているのは当の島田誠からなのであるが、もともとセンターを守っていたこと(一般的に高校野球などでは「8」が中堅手を指す件)。身長170センチにも満たないという小柄な体型もあいまってか、丸っこい数字がとてもよく似合っていた。


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@Calbee

しかし、打撃面においてはこの島田をも超す打者が登場してくる。卓越したバットコントロールで長らくビックバン打線の核として君臨していた片岡篤史がそれだ。まだ「38」を背負っていた一年目から.290の高打率を記録し、新人王候補にもなった逸材に対しては、さっそく主力らしい番号が球団から与えられた。双璧のスター選手であった田中幸雄ですら「6」になるのに6年も要している。今考えてみれば異例の“大出世”だった。

ちなみに島田・片岡、両者の間にいるビル・ベイスは捕手もこなせるという触れ込みだったけれど、日本でマスクをかぶる機会はなかったと思う。少し前にフェイスブック経由でコンタクトをとってみたが、愛犬たちにも囲まれ、元気に過ごされている。


慕っていた片岡が阪神へFA移籍して、空き番となっていた「8」の継承を金子誠自らが望んだという。背番号とか、あまりそういった部分においては無頓着そうにみえる彼であったが、片岡へのつよき想いが本人を駆り立てたのかも知れない。以後の活躍は周知のとおりで、ショートを守る背番号「8」は常勝時代のシンボルとなった...


このように「チームの顔」的な選手が身につけ、しかも約10年単位で“不動”であった、ハムでは大層縁起の良い番号なのだ。入団時はそれぞれ異なる背番号を背負い、成績を残すことによってエイトマンとなったのも、共通している。島田誠に片岡篤史、そして金子誠から西川遥輝へ‥。はたして西川は由緒あるこの背番号を、先代たちのように「自分色」に染めあげることができるだろうか。

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posted by 羽夢 at 10:08| Comment(0) | TrackBack(0) | FSコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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