2014年08月04日

「戦場に散った野球人たち」

私自身も含め、多くの人がその場にいたことがないから実感は湧かないだろうけれど、戦争が終わってから、たったの69年しか経っていない。今が西暦2014年というのを考えると、やはり“たった”69年前だ。


27歳の若さで逝った沢村栄治がもし戦火から逃れていたら‥‥現在97歳。長寿大国・日本にあって存命していても何ら不思議ではない年齢である。先発型の投手であれば誰もがその称号を手にしたがる「沢村賞」の起源となっているのは有名な話だが、この沢村。一部のチームメイトから当時、「栄ちゃん」と呼ばれていたのだそうな。

なんだか日ハムの小谷野栄一のようで(笑)、伝説の大投手に一気に親近感を持ってしまった。そんな微笑ましいエピソードも散りばめられた「戦場に散った野球人たち」(著:早坂隆)を読んだ。





1980年代頃までだろうか。今でこそ多くの記録が塗り替えられはしたけれど、NPBのレコード記録のほとんどは戦前、1リーグ時代のものが占めていた。私は内心「ズルい」と感じていた。見たこともなければ、あまり資料も残されていない。時たま目にする古ぼけた映像では、沢村にしても随分とゆったりとした隙の多い投球フォーム。打者にしても「大根切り」のごとく、決して美しいとは云えないフォームでブンブンと振り回している。

はたしてそんな彼らが本当に現代の大谷翔平と匹敵するくらいの160キロ近い剛球を放ったり、イチローばりな卓越した打撃技術を擁していたというのだろうか。アンタッチャブルな記録の数々を打ち立ててきたことに対して、私は正直“疑念”すら抱いていたのだ。いくら証人者が何と云おうとも、実際にこの目で見てみなければ、どうしても実感は伴ってこない...


しかし、そうした“ちっぽけ”なことは、本書に触れてみてどうでもよくなった。なぜなら本に登場してくる沢村ら、7選手が確かに「存在」していたこと自体に、大いなる意義があると感じたからだ。

巨人に在籍していた左足を高くあげる西本聖の豪快な投球フォームが好きで、江川より断然「西本派」だったが、あのルーツは沢村栄治にあったという。当時、私は西本に“栄ちゃん”の幻影をみていたのだ。内海哲也の祖父の話もある。半世紀近い長いときを経て、同じ背番号「26」を受け継いで東京ドームのマウンドに立っているのに感慨を覚え、また彼がプロ入り時に巨人へ強いこだわりを持っていた理由も、なんとなく判るような気がした。


7選手の内訳は以下のとおりである。

第一章 巨人軍第一期生の最期 新富卯三郎
第二章 戦前のタイガースを支えた元祖スラッガー 影浦將
第三章 墓碑に刻まれた「G」の文字 沢村栄治
第四章 ビルマに消えた炎の名捕手 吉原正喜
第五章 「伝説の大投手」の淡き夢 嶋清一
第六章 朝日軍のエースの行方 林安夫
第七章 特攻を志願した元プロ野球選手 石丸進一


六章「朝日軍のエース行方」とあるように、このうちもっともらしい遺品が残された家族の元へ渡ったのは一選手のみである。戦争のむごたらしさや酸鼻をきわめた様が伝わってくるようで辛くもなるが、いえるのは皆一様に野球を愛していた。志半ばで戦地へと赴くのはどれだけ無念だったろう。

“お国のために”自らの命をささげた石丸進一の章には涙せずにいられず、投打二刀流の元祖・影浦將の“最期”はあまりにも哀しかった。そして「戦前の大投手」と謳われた林清一が甲子園で披露した、途方もない快投劇...


明日も野球ができる、見れる悦びを噛みしめながら一読してもらいたい。熊本工時代に川上哲治とバッテリーを組んでいた吉原正喜捕手は、戦地で再会を果たした選手と、こんな言葉を交わしていたそうだ。


『帰ってもう一回、野球をやろう』


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posted by 羽夢 at 09:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 野球雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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