2014年05月23日

【交友録】 大洋ホエールズ御中

20日からセパ交流戦が開幕。


2005年に始まってからしばらく日ハムは交流戦を苦手にしていた。したがって当初は制度そのものをあまり好ましく感じてはいなかったのだが、近年は比較的得意としているので歓迎している。“ドル箱”と云われるような阪神戦や巨人戦があるので、営業サイドもウハウハだろう。交流戦、色んな意味でありがたや〜。


きょう23日からはホームで横浜DeNAを迎え撃つ。野球王国、キューバの至宝・グリエル獲得の噂がまことしやかに囁かれ、私も最初はデマかと思っていたが、どうやら本当らしい。‥グリエルが合流する前でよかった。国際大会で残してきた成績が示すように、彼はおそろしいバッターだ。日本球界にアジャストするかどうかは、また別問題だが。


さて、ここからはベイスターズという球団について少々。前身の大洋ホエールズ時代、私が物心ついた頃には長期にわたる「暗黒期」の真っただ中で、パの日ハムやロッテ同様、このチームも二度と日の目を見ることはないのではと、子供ながらに感じていた。しかし1998年に日本一の栄冠を勝ち取り、一気に「マイナー」球団の域から脱することに成功。‥心底羨ましかった。日ハムが優勝するのはそれから更に8年後のことである。


当時、大洋球団とは弱小同士?わりと交流が盛んであった。北安博や若菜嘉晴を譲り受けたし、逆にトレードで松浦宏明や島田直也を横浜へ送りこんだこともある。日ハムにとって最大の“ヒット”は70年代に敢行された野村収と間柴茂有+杉山知隆の交換トレードであるが、とりわけ間柴さんの偉業に関しては今まで散々触れてきているので、当記事では割愛する。

80年代の木田勇投手との交換で来た金沢次男という投手も印象深い。金沢さんは移籍年に二ケタ勝利を達成するなどの活躍は、たしかにあった。ところが日ハム前後にいた球団でピッチャーの堀内恒夫の引退試合でホームランを打たれたり、同じくピッチャーの木田優夫にまさかのサヨナラ弾を浴びたりと、どうもそっちの“負な”インパクトが強いのは‥致し方ないか。


そして90年代前半、「事件」が起こった。“ホエールズの顔”とも呼べるべき存在だった、あの高木豊がやってきたのだ。パ党の自分でも知っていた、大洋球団きってのスター選手である。


シックな紺色ユニフォームも好きだった‥
takagi.yutaka3.jpg
1987カルビープロ野球より


本職のセカンドには当時“一年おきの選手”とも揶揄されていた白井一幸がデンとおり、また白井が前年たまたま目覚ましい活躍をしていたため、高木は外野に回された。この判断は私にとっていささか残念だった。レフトを守る高木豊なんて、違和感アリアリで。

あたかも既定路線となっていた感もある二塁・白井に、“勝負”をさせてほしかった。そうしたらもう少し、日ハムでその姿を拝めていたかもしれない。引退試合すら行われないような、バットマンの淋しい幕引きが哀しくてならなかった...


話を現代に戻そう。ベイスターズとは交流戦通算23勝16敗1引分けと大きく勝ち越し、カープ戦に次いで高い勝率をあげている。下位に低迷するチーム相手に二つとり、週末からの敵地連戦に向けて弾みをつけたいところ。

初戦の先発はともに今季両チームでエース級の働きをしている上沢直之と井納翔一、大型右腕投手同士の対決。ベイスターズOB北篤の出番もあるだろう。三十路となった林昌範が、どれだけ堺雅人に似てきたのかチェックするのもひそかな楽しみだ。あぁ、This is 交流戦!


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ラベル:金沢次男 高木豊
posted by 羽夢 at 10:23 | TrackBack(0) | FSコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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