2013年03月04日

甦る元Fs戦士、そして「小池ドラフト」

「小池ドラフト」...


インパクト大でした。小池秀郎さんの交渉権獲得をめぐり、8球団が競合した1990年のドラフト会議。これだけでもすごいことなのですが、その前後に起こったドラマは20年以上経過した今でも、よく覚えています。

亜細亜大学に在籍していた小池秀郎投手は西武・巨人・ヤクルト。3球団のどれかに指名されたらプロ入りすることを明言していました。‥‥まだ子供だった私は分からなかったんですよね、この発想。

巨人とヤクルト(東京ホーム)がOKで、何でハムはダメなの?西武(パ・リーグ)が大丈夫で、なしてハムがダメなの?ヤクルト(当時弱小)でも可能なら、どうしてハムがNGなのさ!? と。‥あとで冷静に考えてみたら、この3球団にあってファイターズになかったのが、人気!でしたね(苦笑)


あと、これはたしか会議後の発言だったと記憶していますが 『もっとも入りたくなかった球団』として、ロッテの名を挙げていたんです。もうビックリしましたよ。巨人以外はお断り!そんな選手なら昔からたくさんいましたけど、普通そこまで言っちゃう?みたいな。愛甲さんなんかコレ訊いて激怒してたらしいですけど(笑)。今だったら考えられませんよね。そういえばあの頃はバブル期だったな...

皮肉にも毛嫌いしていたロッテが当たりクジを引き当ててしまうのですが、まさにその瞬間です!小池投手とともに講堂に集まっていた亜大の学生たちが一斉に『えぇー?』の、『ふざけんなよ』の大合唱。ほんと、凄まじかった‥‥。テレビモニターに映っている、大喜びの金田正一監督の姿が逆に痛々しくみえてしまったほどです。 参考動画


当時を振り返って、のちに小池さんは『あの頃(自分は)とんがっていた』とおっしゃっていましたが、当然といわんばかり入団を拒否して社会人・松下電器へ。実はこのとき、ファイターズが小池投手の外れ1位として指名していたのがプリンスホテルの主砲で全日本で4番を打っていた経験もある、住吉義則さんでした。

オープン戦開始直後に打ちまくり打率5割、神宮球場でヤクルトのエース・川崎憲次郎投手から1号ホームランをかッ飛ばした際の記事が、こちらです。



sumiyoshi.1.jpg
1991年3月11日 朝日新聞【スポーツ】14版より


結局主力クラスの投手が続々と登場してくるオープン戦中盤以降、当たりがパッタリと止まってしまい、「ドラ1開幕スタメン」を逃してしまいましたが、住吉さんにとってこれが最初で最後となる、1軍戦でのホームランとなりました。プロ初出場は5月、貴重な(?)ロッテ時代の阿井投手(現ヘッドC)の前に三振。おまけに金やん「最多退場記録」樹立試合(当時)。様々な“因縁”もありました。

同じプリンスの先輩でもある中島輝士さんと、大型選手同士によるクリーンナップ形成を夢みていたファンも大勢いたと思います。現在は少年野球で未来の全日本選手育成を目指し、子供たちの指導にあたっています。とてもお元気そうですよ!


話題を小池さんに戻すと、どうだったのでしょう‥。当時の雄姿を見たいのですが、動画サイトなど漁ってもなかなか見つかりません。8球団も競合するくらいだし、亜大時代の同僚・高津臣吾さんの“証言”にもよると、大学のときは(プロ入り後と比べて)あんなもんじゃなかったと?

一体どんな球を放っていたのか、お目にかかりたかったですね。他に目撃された方、是非ご教授ください。






posted by 羽夢 at 15:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 野球雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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