ところでこの両年はある共通点があります。 ‥ピンときますか?
両年とも大沢啓二氏がファイターズの監督に就任された年なんですね。76年は新任で、93年はフロントでの業務を経て“再登板”。記事によると76年は全体の1/3以上メンバーを入れ替えたそうで、大きく顔ぶれが変わったことが、まず冒頭に記されています。長年チームの柱として君臨してきた張本勲さんでさえも、この年トレードでしたからね。
逆にかつて投打「二刀流」で話題になった永淵洋三さんは近鉄からの新加入。目の色を変えて(野球に)打ち込んでいると、あります。他には“泣いて”巨人を去ったと、高橋一三さん。それから服部敏和さんの名も。これらの選手が活躍して悲願の優勝に結び付くまで、ここから5年の歳月を要することになるのですねぇ...
一方の93年版。前年故障者が続出してしまったことを踏まえ、年間を通じてケガをしない、頑丈な体づくりに重点を置くというのが、まずキャンプの大前提だった模様。今季から韓国球界・起亜でコーチを担う花増幸二さんの号令のもと、選手たちは各々のトレーニングに励んでいたそうです。
続いてあった「自由練習」についての記載。ここにちょっと注目してみたのですね。
【自由練習についての評判はいい。主力選手の一人は「昨年は練習時間も長く、やらされている感じがした。今年は自分で考えてできるから、快い汗がかける」と明かす。
裏返せば、豪傑肌の大沢監督が選手に意外なまでの気配りをしている、という見方もできる。親分の背中に、「忍耐」の二文字が見えた】 ※原文ママ
記者の美しい〆方も、私なんかうっとりとさせられてしまうのですが、それよりもちょっと待ってください?これと似たような記事をどこかで見た記憶が‥‥。そうです、76年版にも大沢氏の「選手操縦法」を称える記述があったのです。
【十年選手であれ、新人であれ、少しでもたるんだ選手をみつけると、容赦なくどなりつける。これがまた不思議と受けがよい。「遠慮なくしかられる方があとくされがない。これまでのように、ベテランを特別扱いしないから‥‥」。べらんめえ調の怒鳴り声は日増しに大きくなり、早くもキャンプ前半でしわがれてしまった。いよいよドスの利いたハッパに、選手たちは酔いしれたように動く】 ※原文ママ
つまりは、いつの時代においても大沢氏は選手たちにとってひじょうに受けの良い監督であった...
時の変化やそれにともなって変わってくる選手の特性にも配慮・合わせながら、やり方を変え、うまく立ち振る舞っていたことが、この両リポートから透けて見えてきます。‥そうなんですよね、たしかに近くで接してきた人ほど、大沢氏のその人間性を称える人は数多くいらっしゃいます。優勝こそ1度だけでしたが【名将】と云われたる所以はきっと、この辺りにもあるのでしょうね。
それにしてもキャンプのトレーニング効果もあったのか、1993年という年には心底驚かされました。開幕前の評論家連中からの下馬評は最悪でしたけど、フタをあけてみたら首位・西武とわずか1ゲーム差の2位でしたから。ファンとてまさかの(?)大躍進!90年代でファイターズがもっとも輝いた年といって、差支えないでしょう。
真夏の首位攻防戦に3連勝し、うまそうにタバコふかしながらインタビューに応えていた親分、忘れられないなぁ...
またまたありがとうございます。
93年は数字だけを見ればそうなんですが、あれには裏があるんですよねぇ。実は9月の終わり頃の時点ではもうだいぶ差が開いていたんです。M1としてからライオンズが、たしか5連敗くらいして、先に全日程を終えていたファイターズと、最終的にゲーム差が「1」になっていた‥って感じで、実際にはそんなに“惜しい”という印象もなかったのです。でも8月までの戦いは本当に見事なものでした!
>>西崎幸広さんが大事な試合で怪我を理由に登板しなかったから
オフの年俸更改でもこの件は影響してしまったようで「ファン失望料」とかいう名目で、年俸もわずかに1億円に届かなかったらしいです。天王山で2つ取って『さあ!』って時に、初回降板でしたものね...