2013年02月13日

プレイバック 【キャンプリポート2003】

球団創立40年...


振りかえってみると、ここ10年間のうちにファイターズを取り巻く環境はずいぶんと変わりました。毎年優勝争いに顔を出せるような強豪チームに変貌したのも驚くべき変わりようでしたが、何より、本拠地を東京から北海道へ移転したこと!これがもっとも大きな「変化」だったといって、良いのではないでしょうか。


移転を翌年に控えていた、今からちょうど10年前‥‥のちの明るい未来へと繋がっていく、ひとつのターニングポイントがありました。それは球団初の外国人監督、トレイ・ヒルマン氏の監督就任です。



trey.hillman88.jpg
2003年2月17日 【朝日新聞】スポーツ14


当時はまだ外国人の監督なんてそれほど馴染みがなかったし、氏もメジャーでの監督経験はなかったこともあってか、ファンの間でも賛否はありました。しかし、私はこの決断を支持しています。今となっては“結果論”みたいに訊けてしまって恐縮なのですが、ちゃんと根拠はありました。


これくらい大きな「維新」をしなければ、ファイターズは変われないだろうな‥‥と。

誰がやっても、どんな名将と呼ばれた監督が務めてきても‥実に20年以上もの間、ファイターズは優勝できなかったのです。いい線までいくときは何年かに一度あるのだけど。これはチーム力がないわけなのでは決してなく、もっと何か他の目に見えない部分が欠落していたのではないか?

‥そんな「負の流れ」を断ち切るには、外部からの血を‥いっそ、異国からの“風”を呼びこんでみるのもアリなのでは?そう感じていた次第です。


選手との意思疎通や米国野球との戦術面での違いなど、まったく不安がなかったといえば嘘になりますけど、あれはキャンプが始まって少し経った頃でしょうか。当時、中心選手のひとりだった小笠原道大が、こんなような言葉を口にしていたのです。


『このボスについていけば必ずチームは強くなる』

これをきいて何ともいえない安心感を覚えました。選手がこう言っているだから、ヒルマンなら大丈夫!彼なら絶対チームを、ファイターズを優勝させてくれる...


その私にとって十数年来の夢が、わずか3年後に果たされました。就任当初はメジャー流を推し進めていた感もあり、球数制限や送りバントを多用しない野球を実践していた記憶があります。

それでなかなか結果を残せないでいると「スモールベースボール」と呼ばれた“日本式”に戻して花開いたのは皮肉といわれればそうだったかもしれません。しかし、また別の見方をすると上に載せた記事にもあるように【日米融合】を、ついに結実させた形でもあったのです。

ファンサービスも積極的に行っていたヒルマン‥‥東京ドームでの握手会。緊張の面持ちでいた私を、彼は青の瞳で見つめ、とてもにこやかに『アリガトウ』と、言ってくれました。あのとき触れた厚くて温かい手、その感触はいつまでも自分の脳裏に刻まれています。


さて、この2003シーズン。ホーム最終戦、すなわち東京本拠時代の東京ドームラストゲーム(9/28 対L)にすべてが集約されていたかと。終盤までリードをしておきながら、押し出しによって勝ち越し点を許すという、なんとも後味の悪い幕切れとなってしまいました(苦笑)

後半戦は5度にわたる「勝率5割」の壁を乗り越えられず、最後は6連敗もあって借金12の5位でフィニッシュ。個人成績では坪井智哉が.330の高打率をマークし、小笠原道大が2年連続首位打者。エチェバリアなんていう、わすれがたき助っ人選手も活躍していました。彼らの働きによってもたらされた4試合連続二桁得点!(5/23〜5/26 25日のM戦は、なんと19-1)。これも良き思い出になりましたね。





posted by 羽夢 at 15:12| Comment(4) | TrackBack(0) | FS特別企画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
羽夢さんお疲れ様です。その年は東京ドームに20回位行きましたよ(笑)。その年で印象的だったのは、前大島監督時代は主に先発で起用されていた立石投手や清水章夫投手を中継ぎ投手や先発が崩れた後のロングリリーフで起用した事です。ヒルマン監督は先発でくすぶっていた投手を中継ぎに回してその結果、中継ぎ陣が強くなり、それまで中継ぎ陣が弱くて先発投手を引っ張り過ぎざるを得ない状況を打破し、先発投手・中継ぎ投手・抑え投手・左キラー・ロングリリーフと投手の分業制に成功し、今ではファイターズの投手陣はパ・リーグで1番か2番です。この礎を作ったのは間違いなくヒルマン監督です。余談ですが先発が崩れた後のロングリリーフ投手ですがヒルマン監督時代は立石投手・清水章夫投手・建山投手・押本投手・伊藤剛投手が活躍し、この流れは梨田監督・栗山監督にも引き継がれ、梨田監督時代は坂元弥太郎投手・江尻投手・ミスタースクランブルこと榊原投手・多田野投手が活躍し、栗山監督時代は森内投手・矢貫投手が活躍しています。
試合の流れを変えるロングリリーフ投手が充実しているからこの10年近くのファイターズはAクラスの常連・常勝軍団なのだと思います。
Posted by 東京のキャロット at 2013年02月14日 22:58
>東京のキャロットさん

そうですね。この年は私も結構ドームに足を運びました。そういうファンも多かったと思うのですが、そのわりに観客動員数は今ひとつでした(苦笑)

ストッパーが中々固定できないでいたんですよね。マイケル投手以前までは。東京のキャロットさんもおっしゃっていた伊藤投手や建山投手、それから阪神から移籍の伊達投手も、一時期務めていましたっけ!

あと併せて武田久投手という、中継ぎの「核」ができたのも大きかったですよね。先発を後を継ぐ、武田投手の安定感は絶大なものがありました。
こう色々と考えてみると、やはりヒルマン氏が果たした功績はとても大きかったと思います。
Posted by 羽夢 at 2013年02月14日 23:46
羽夢さん、こんにちは。

Fsが北海道に来て10年になりますが、今のFsがあるのも東京時代の30年の歴史とそれを支えてきたファンの皆さんの力があったればこそ、との思いを強くしました。

ビジターゲームの中継を見ていても外野席でFsを応援するファンの数が他球団より多いと感じてます。その応援がFsのビジターゲームでの強さ=成績の良さに結び付いているのではと思ってます。

思えば2004年は巨人ファンばかりの北海道にFsが来て、平日のナイターではあまり観客が入らない中、監督選手をはじめ球団をあげてファン獲得に取り組んでいました。

その中で駒大苫小牧高の甲子園優勝が道民の野球熱に火をつけ、地元チームが活躍する喜びを教えてくれたのもFsには追い風になったと思ってます。(駒苫の優勝報告会には道庁赤レンガ横に7000人も集まりましたものね)

もちろん新庄選手の被り物も効果抜群でしたが(笑)

昨年はスタンドがまばらな試合も目立ってましたが、北海道のTV視聴率はナイターでもデイゲームでもコンスタントに15%を超えてます。以前に比べプレーが淡白に見える一部の選手に喝を入れるためにも、球場に足を運ぶファンがもっと増えて欲しいものです。
Posted by sunrise_V at 2013年02月15日 10:32
>sunrise_Vさん

>>今のFsがあるのも東京時代の30年の歴史とそれを支えてきたファンの皆さんの力があったればこそ...

これは嬉しいメッセージですね。東京時代から応援してきてる人は、きっと泣いて喜びますよ(笑)。伝えておきます。(闘将会のHPが消えた‥なんて情報を聞きましたが、どうしたんでしょうね)

>>その中で駒大苫小牧高の甲子園優勝が道民の野球熱に火をつけ...

なるほど‥「苫小牧効果」もあったのですね。参考になります。あの頃の苫小牧はたしかに強かったですね。でも私はソレを聞くたびに「T投手がハムに入っていたら‥」なんて、今でも夢想してしまうことがあるんです(苦笑)。もちろん現在はS投手の方を、熱烈に応援していますけど。

>>もちろん新庄選手の被り物も効果抜群でしたが(笑)

そうですね‥新庄氏には本当感謝しています。氏の加入によって、チームの雰囲気とか、何から何まで変えてくれましたもの。獲得は大正解だったと思います。いつかまた北海道に遊びにいらしてほしいですね!
Posted by 羽夢 at 2013年02月15日 11:50
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