2013年02月10日

プレイバック 【キャンプリポート1998】

古くは加藤哲郎や川口知哉といった選手たちのように、もしかしたら彼も、マスコミによって“キャラ”をつくり上げられてしまったのではないか‥‥そんな風に感じてしまったときもありました。



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1998年2月15日【朝日新聞】スポーツ14版より


西浦克拓さん...

まぁもちろん、直に接してきたわけではないので彼の“人間性”といったところまで、正直わかりかねますが、傍から彼を見てきた身といたしましては、どちらかというと寡黙で今でいう、優男のような印象すら抱いていたものです。それが記事では以下のように書かれていました。


【来年も開幕は落合さんでしょうけど、結果を出して欲しくない。つぶれて欲しいというのが本音です】 (原文ママ)

こんなことを言える選手だったのかと(しかもオチさんに)、当時は驚いてしまいましたね。記者によって“誘導”された発言なのでは‥つい色々と勘ぐってしまいましたけど、西浦さんにとって「勝負の年」であったのは間違いないし、云ったのはおそらく事実でしょう。

‥のちによぎったのは、もしかしたら彼は「上田(利治)監督好みの選手になろうとしていたのでは?」こんな風に考えたこともあります。上田氏は闘志を前面に出すような選手を特に好んでいましたから。現に記事中でも【あのぐらい言っていいんですよ】と、氏はおっしゃっています。 まあ推論に過ぎない部分ではありますが。


しかし、これも性質なのかもっと別の問題なのか‥‥落合選手が退団した翌年、いや、厳密にいうとその前の同選手がレギュラー争いから脱落してしまった時期あたりから、西浦さんの成績も下降線をたどっていきました。

これらを踏まえてみると、やはり上田さんのような常に発破をかける人が必要で、「落合博満」という大きな目標があったのは西浦さんにとって、プラスに転じていたのかなと、今はそう感じています。

‥15年前、懐かしい1998年の「キャンプリポート」からでした。


さて、この98年というのはファイターズファンにとって、また別の意味で忘れられないシーズンとなったでしょう。前年のエース・グロス投手がオープン戦で離脱するも、岩本勉・芝草宇宙・関根裕之、それからこの年一気に飛躍を遂げた金村暁ら、若手投手陣の活躍とビックバン打線が猛威をふるって、前半首位を快走していました。

2位に8ゲーム差をつけて前半を折り返すも、“地獄”の9連敗あり、上位チームとの直接対決にはことごとく敗れるわ、とうとう9月にはライオンズに首位を明け渡してしまいます。あの時ばかりは「この球団は優勝なんて、夢のまた夢なのではないか‥」そんな風に悲観してしまいましたよね。

だって一昨年の96年も前半戦終了時で5ゲーム差つけながら、最終的にはオリックスに栄冠をさらわれ、この年は最大10ゲーム差もあったのに、それでも優勝できなかったのですから。だから前半どんなに調子がよくても、後半には失速してしまうのだろうといった「悪夢の観測」が、当時のファイターズファンの中にはありました(苦笑)


昔を思うと、現代のFsは本当にたくましいチームなりましたね。今後も“年間を通じ”、強いファイターズでいてくれることを、ひ弱な時代を目にしてきた古いファンたちは、強く願っております。


≪関連≫
「煌めき」西浦克拓
「00年型」ビックバン打線





posted by 羽夢 at 12:45| Comment(6) | TrackBack(0) | FS特別企画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは。
このプレイバックシリーズ、良いですね。

西浦選手はもっと成績を残せた筈です。あれで終わる選手ではなかったですよ。でも、あの落合に挑戦状とは、凄い(笑)。発言はおそらく要約されたんじゃないですかね。加藤哲郎と同じように。あまりにも直接的すぎるような気がします。

因みに加藤哲郎のキャラは作られたものではないようです。あの発言も要約されたものですが、阿波野は言います。あれは普段通りの哲郎なんですよ、と。
Posted by EILEEN at 2013年02月10日 20:34
>EILEENさん

そうですね、加藤さんは“キャラ”とはまた違うかもしれませんね。実際誤解を招くような発言も多かったみたいですし(笑)。川口投手は結構あることないこと記者に書かれていたという話を、聞いたことがあります。因みにこの両投手、触れる予定ではなかったのですが、直前になって貴ブログの記事を思い出したので(笑)

>>西浦選手はもっと成績を残せた筈です。

ひいき目なしのEILEENさんが言われるのだから、きっとそうなのでしょうね。西浦選手はわりと足も速かったので、外野1本で育てていっても面白かったんじゃないかな‥なんて、今更ながらですけど、感じてしまいます。
Posted by 羽夢 at 2013年02月10日 21:45
羽夢さんお疲れ様です。1998年懐かしいですね。実はこの年の途中までの快進撃がきっかけで僕はファイターズファンになったのですよ。
この時毎日、新聞を読み片岡・田中幸雄・奈良原・金子・ウィルソン・上田・井出・岩本勉・金村とすぐ主力選手を覚えてしまいましたよ。
特に片岡と田中幸雄の組む34番コンビ・三遊間コンビは最強でしたよ。僕にとってはあの二人はいまだにヒーローですよ!!片岡さんというと2000年8月3日(水曜日)の西武ドームの西武戦で打った勝ち越しタイムリー2ベースヒットで清水章夫投手が勝利投手になった試合を思い出します。田中幸雄さんといえば2000年8月28日(日曜日)の東京ドームのダイエー戦で目の前のウィルソンが敬遠で歩かされた後、吉田修司投手のパームボールを打ち逆転3ランホームランを打ち7ー5で逆転勝ちした事を思い出します。
いつか片岡さんもファイターズにコーチとして帰ってきて田中幸雄さんと一緒に第二第三の片岡篤史・田中幸雄を育てて欲しいです。
Posted by 東京のキャロット at 2013年02月10日 22:55
98年はねー、本当に、あの惨状を見て、今世紀中(20世紀中)ではなく、私の目の黒いうちは優勝を見れないのではないかと思いましたよ。
でも優勝争いの常連チームに変貌してくれてよかったですね、本当に。
Posted by たけ at 2013年02月11日 04:24
>東京のキャロットさん

こんにちは。‥それは大変な年からファンになりましたね(苦笑)。さぞ驚かれたことでしょう。前半が終わった時点で評論家の方々も「日本ハムで優勝まちがいなし」と、断言されていたくらいですから。

>>田中幸雄さんといえば2000年8月28日...

その日!東京時代の【ベスト10】に入れてもいいくらいの、思い出に残る試合でしたね。片岡選手が「あそこは幸雄さんでなければ打てない」なんておっしゃられていたのは、今でもよく覚えています。片岡選手は松坂大輔と演じた、数々の名勝負が、やはり忘れられません...
Posted by 羽夢 at 2013年02月11日 11:00
>たけさん

お久しぶりです。“惨状”ですか‥。その言葉がピッタリかもしれませんね(苦笑)

でもできれば!一度でいいので東京(ドーム)本拠時代に優勝を見てみたかったです。そしたら北海道に行ってからの優勝とはまた違った、感動を味わえたのでしょうねぇ。
Posted by 羽夢 at 2013年02月11日 11:07
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