2013年02月08日

プレイバック 【キャンプリポート1991】

キャンプインから1週間が経過し、そろそろ各球団も実戦形式の練習を始め出した頃でしょうか...


報道によると7日に行われた紅白戦でファイターズ・中田翔が右方向へホームランを放ち、幸先のよいスタートを切ったそうです。ただ彼は、キャンプからオープン戦にかけてくらいまでは調子がよくて絶好調モードなんだけど、シーズンが始まるとサッパリ‥‥なんて傾向が近年見受けられるので(苦笑)、“飛ばしすぎ”には注意してほしいですね。特に来月にはWBCも控えてますし。


さて‥2月の半ばにもなりますと、書店などでは一斉に「選手名鑑」が店頭に並びます。今年は両リーグで注目の新入団選手も多いですし、発売を楽しみにしている野球ファンも大勢いると思います。私もその内の一人のわけですが、幼少時はあまりお金を持っていなかったので、購入することができませんでした。スポーツ紙でも毎年“保存版”と銘打った名鑑号が掲載されますけど、我が家はあいにくスポーツ紙をとっていなかったので、それを見ることさえも叶いませんでした。


そこで私がこの時期に楽しみにしていたのが「キャンプリポート」。1球団ずつ、各球団の担当記者がキャンプでの様子を報告してくれる企画、一般紙でもよく見かけますよね。幼き日の私はあれの日本ハムの順番が回ってくる日を、それはもう、心待ちにしておりました。普段はちっさい記事しかないだけに、余計だったかもしれません(笑)


念願の日本ハムの日‥‥私はその記事をスクラップしてノートに貼り付け、あとからニヤニヤしながらそれを眺めていました。インドアぶりは幼少時から変わりありません(笑)。開幕前は後向きな展望が書かれていることなんて滅多にないから、気分がいいんですよね。だから私も便乗して『今年はニシザキとマツウラとツノで2ケタ勝利投手が、まず3人いて‥』みたいな妄想?を、勝手に張りめぐらします。 一体どんな小学生なんでしょう(苦笑)


そこで‥今回はそのときスクラップした宝物のような新聞記事や、のちに収集した該当記事といったものを、せっかくですので、皆さんの前で披露してみようかと思います。記憶を甦らせながら、当時の思い出話なども交え、振りかえってゆきます。第1弾は今から22年前、1991年のキャンプリポート。


campreport1991.jpg
「1991年2月18日【朝日新聞】スポーツ14版」より



近藤政権、最終年にあたる年ですね。見出しの 「ダンディー野球捨てる」
今ではすっかり訊かれなくなった、このダンディー。ここでは近藤貞雄監督のことを指しています。記事を一部抜粋すると...

【外野後方に紺ぺきの海が広がる、名護市営球場。初夏を思わす暖かさだが、選手を見守る近藤監督は、えり足の長いアンダーシャツをここでも手放さない。

理由は、首のしわを見せぬため、とか。ダンディーといわれる所以(ゆえん)だ。こうしたいきな服装やその言動になぞらえ、バントなど小技を嫌った近藤野球は「ダンディズム野球」と称されてきた。だが、今年はその看板を捨てる、という】 (原文ママ)


当時のファイターズは“貧打”にあえいでおりましてね‥。とにかく得点能力が不足していました。それを近藤監督もしきりに嘆いていた記憶があります。一方の投手陣は粒ぞろいで、前年なんか二桁勝利投手を5人も擁していました(それでも4位)


貧打という最大の弱点を解消すべく獲得したのが、写真にも映っている新外国人・ベイス選手。結果的にいえば、彼も期待通りの活躍とはいかなかったのですが(AV.248 HR18 RBI41)、エピソードにはなかなか事欠かない選手ではあったのです。

メジャーでは主に捕手を務め、SFジャイアンツ時代の1989年はワールドシリーズで代打ホームランをかッ飛ばしたり、日本では同僚M・ウインタースが苦手にしていた当時近鉄の野茂英雄投手から2本もホームランを打ったり...


ちなみに、これは余談ですけど、少し前に未熟な英語を駆使して彼にコンタクトをとりました。とてもお元気そうでしたよ、元ハムのベイスたんは(笑)


ファイターズ時代
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さて、キャンプ後のオープン戦‥‥ これがひどかった!

たしか10連敗くらいを喫して、この先を思いやられた覚えがあるのですけど、いざフタを開けてみたら91シーズンは健闘したんです。前半戦終了時で貯金2の、3位につけていましたから。ただ、8月を過ぎたころから徐々に負けがこみ始め、最終的には“定位置”の5位で落ち着いたんですけどね(苦笑)


とまぁ‥かなりザックリとではありますが、当時を振りかえってみました。機会があればまた別の年のキャンプリポートと併せて、回顧してみたいと思います。 たまには懐かしいFs話に、貴方も花を咲かせてみませんか?






posted by 羽夢 at 15:37| Comment(2) | TrackBack(0) | FS特別企画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
羽夢さんお疲れ様です。羽夢さんの言う通りこの頃のファイターズは投手が強くて打線が弱かったと思います。この年のファイターズで打っていた打者はこの年ベストナインとゴールデングラブを獲った田中幸雄位だったと思います。
多分この年は長年一番を打っていた島田誠選手がダイエーに移籍していたので一番打者のやり繰りにも苦労していた年だったと思います。
そしてこの年はこの間もお話ししましたが、西武球場の西武戦で破れて2年連続で目の前で西武の優勝胴上げを見せられた悲しい年でした。田中幸雄はこの辛い時期を耐えたから2006年の日本一と2007年の20年ぶりの西武戦勝ち越しはかなり嬉しかったと思います。
Posted by 東京のキャロット at 2013年02月09日 12:04
>東京のキャロットさん

こんにちは。Bさんのことを触れておいてこんなことを言うのもなんですが、この頃は頼りにしなければならない外国人選手にも、あまり恵まれませんでしたよね。東京時代晩年は、結構優秀な選手を獲得できていたのですけど...

近藤監督は「1番・鈴木」に期待を寄せていたみたいですね。慶裕選手です。同期の中島選手といい、若干伸び悩んでしまった印象は拭えませんかね‥。そういえば一時期、幸雄さんもトップを打っていましたっけ!
Posted by 羽夢 at 2013年02月09日 17:10
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