2012年11月25日

背番号 『2』 物語 【坂本敏三〜大野奨太】

陽選手の『1』同様に、来シーズンから大野奨太捕手も背番号が『2』へ変更されるそうです。考えてみたら今季は1番と2番が空いていたんですね。
‥高校野球でしたらピッチャーとキャッチャーを意味する偉大な背番号。こういったチームもわりと珍しい(笑)

プロの世界で2番を付けていたキャッチャー!そうですね、過去を振り返ってみてもそんなに多くはいませんよね。パッと思い浮かぶのは南海にいらしたドカベン香川さん?ファイターズですと高橋信二が背負っていた時期もありました。ただ、彼のころは既にファーストのイメージが強かったので“捕手”という感覚はあまりなかったですけど。


故障した膝の負担を減らすため、捕手から内野手に転向した信二のケースとちがい、ケタ違いの打力を活かすために、捕手からコンバートさせたのが、ガッツこと小笠原道大選手。入団時は今よりもうんと華奢な体つきだったけど、列記としたキャッチャーあがりで、彼も2番を付けていました。

ガッツにかんしては今更語るまでもないし、残してきた数字が全てを物語っているけど‥‥最強でしょうね。自分が実際に“ナマ”で見てきた選手の中では。あの左方向へライナーでスタンドに運んでいく打撃なんか、全盛期のイチローさんでも難しかったんじゃないですか?卓越した技術にパワー!小笠原さんこそ【張本二世】に相応しい。来年も巨人のユニフォームで、『2』を背負います...


【日本ハムファイターズ歴代背番号2選手】
1974-1975 坂本敏三 ≪阪急から移籍≫
1976-1978 服部敏和 ≪近鉄から移籍≫
1979-1988 高代延博 ≪新入団≫ ※1985〜1988は登録名「高代慎也」
1989-1996 鈴木慶裕 ≪新入団≫ ※高校・大学を通じて「パンチ佐藤」の1年先輩
1997-2006 小笠原道大 ≪新入団≫ ※1999年より捕手から内野手登録に変更
2008-2011 高橋信二 ≪背番号30からの変更≫ 11年途中巨人へ金銭トレード
2011    スケールズ≪新入団≫ ※11年6月途中入団
2013-    大野翔太 ≪背番号28からの変更≫ 


日本ハム球団が誕生してしばらくは坂本敏三さん・服部敏和さんといった移籍組が2番を付けていました。ちなみに1981年の日本シリーズで活躍していたときの、服部さんの背番号は『28』。

この服部さんを結果的に『2』から追いやる形にさせてしまったのが、1978年のドラ1・高代延博さん。アマチュア時代は智辯学園から法政大、社会人の東芝と、坪井智哉さんにも負けないエリート街道を歩んでこられた選手。

Vメンバーの一員として、当時は2番を打っていましたかね。パンチ力ある打撃とともに、柔らかなグラブさばきが印象的な遊撃手で、ゴールデングラブ賞も受賞しています。



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1986カルビーベースビールカードより


一説によると、この高代さんは1985年から監督に就任した高田繁氏と馬が合わなかったらしく、レギュラーを剥奪させられた上に3年後には広島へ渡ることとなります。ですからファイターズで過ごした晩年は出番も少なく、影の薄い存在になってしまいました。

しかし、人生何が起こるか分からないもので、大学の先輩でもある山本浩二監督との出会いによって指導者としての道が拓かれ、それが今ではWBC全日本代表のコーチですよ。高代さん!メジャー組辞退で戦力的には前回・前々回より厳しいかもですが、3連覇はあなたの「サポート力」にもかかってますよ(笑)


1989年からの鈴木慶裕さん。ポジションはセンターで、打順は主にトップ!
‥なのに、わりと“地味め”な選手ではあったのですが(笑)、個人的に好きでしたねぇ。広い守備範囲と、攻撃的な打撃は往年の島田誠さんを彷彿とさせる感じがして。

中島輝士さんとは同期入団で、4年目の1992年に仲良くWブレイク。その年のオールスターにも揃って出場を果たしました。


さて、来年からは大野奨太!

画面向かって左側にある歴代キャッチャーにかんするアンケートを今も継続中なのですが‥たしかに「最強」という域には到底だけど、一応のライバル・鶴岡慎也にだいぶ遅れをとっている、この現実をどう捉えるか。

今季は極度の打撃不振に悩み、ファーム落ちも経験しました。でも日本シリーズでは武田勝とのコンビも“復活”していたし、ヒットもでていたし(笑)、拙者は明るい未来を見たぞ。君には鶴岡にはない強い肩がある。俊足選手が多いパ・リーグにおいて、それは強力な武器だ。

‥もう一段、バットとインサイドワークをみがいて、新しいファイターズの背番号『2』が、名捕手の仲間入りしてくれることを望みたいです。


≪関連≫
高代延博 「WBCには愛があった。」
小笠原道大 「ガッツ列伝」
高橋信二 「隠れ○○男」
※背番号物語はいったん終了しますが、他でリクエストがあればお応えします(笑)





posted by 羽夢 at 22:15| Comment(4) | TrackBack(0) | FSネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
高代さんが指導者として傑出した存在になったことはいうまでもありませんが、古屋選手や田村選手、柏原選手がコーチとして実績を重ねているのを見ると(高代さんや田村さんはあの能力至上主義の落合に見込まれて中日でコーチを務めた)、あの頃のファイターズ(大沢親分)は単に選手の能力だけではなく、野球頭のいい選手を集めていたんだな、という気になりますね。私は梨田監督後、高代監督の可能性も考えていたのですが、いつか再びファイターズのユニフォームを着て頂きたいものです。
Posted by たけ at 2012年12月02日 11:04
>たけ様

大沢親分のくだり。なるほど‥野球偏差値が高い選手たちを。そういった見方もできますね。そういえば島田誠さんものちに名コーチとなりました。現代でしたら誰がそんな存在になる可能性を秘めてますかねぇ。

個人的には(現役時代苦労をされた)柴田保光さんにも再度登場してもらいたいのですが、お身体のこともありますし、難しいでしょうか...
Posted by 羽夢 at 2012年12月02日 11:50
羽夢さん、いつも楽しい記事をありがとうございます。

やはり、高代さんの印象が強いですね。田さんとの確執は存じませんでしたが、高田さんは自分に似た選手が好みのような気がします。

古屋さん、故菅野さんなどと並んで、マイナーなファイターズの主力選手でした。今や球界でも貴重なプロ指導者です。ますますのご活躍を期待しています。
Posted by 南の国から at 2012年12月03日 13:40
>南の国から様

いつもありがとうございます。
確執の件は‥私も当時の選手名鑑で確認しただけですので、定かではありませんけど(笑)。ただ、高田さんが早くから田中幸雄さんの方に魅力を感じていたのは、確かでしょうね...

おっしゃってくれた選手らに島田さんを加えて、当時は「ちびっこ」なんて呼ばれていましたっけ。‥ご本人たちはあまりいい気持ちはしなかったのではないですかね(苦笑)
Posted by 羽夢 at 2012年12月03日 23:14
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