2012年09月11日

【幻の日本ハム・田口】 -田口壮選手の思い出を語る-

10日、日米の野球界で活躍された田口壮さんが現役の引退を発表されました。田口さんといえば好打の強肩外野手、また阪神大震災復興のシンボルだったブルーウェーブの中心選手として輝いていた印象が強く残っています。

当時のオリックスはセンター・田口、ライトにイチロー。これでレフト高橋智さんに代わって本西厚博さんが守備固めに入ったりすれば、外野はまさに鉄壁の布陣。現在のファイターズ外野陣も相当強固ですけど、それに匹敵するかもしれません。打つ方にかんしても随分と痛いところでやられていた記憶がありますね...


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1999カルビープロ野球チップスより

昨年オフ、オリックスを自由契約になった際に私は田口さんの獲得をひそかに望んでいました。将来の幹部候補生として‥そんな現実的な要素も、もちろんあったけど「20年越しのファイターズ入り」これが“運命”のごとくネタとしても最高なのではないか?そう感じていたからです。


20年前、1991年のドラフト会議。ファイターズは関西学院大学でショートを守り、大学ナンバー1野手とも呼ばれていた田口壮選手の獲得を目指していました。これは土橋正幸新監督(当時)の強い要望があったとも聞いています。

抽選の結果、交渉権は田口選手と「相思相愛」関係にあったブルーウェーブの手に渡ってしまったわけですが、もしあのときファイターズが抽選クジを引いていたら‥‥その後の田口さん、及び野球界の未来はどうなっていたのでしょうか。


結果的にみればオリックスに入団して正解でした。仰木彬監督との出会いがあって、外野手に転向し、一気に才能を開花させました。無論ファイターズでも活躍していたかもしれませんが、送球に難を抱えていたといわれるプロ入り当初の田口さん‥内野のレギュラー定着を見込んでいたファイターズに居続けて、はたしてメジャーリーガーにまで上りつめるような大選手に、なっていたでしょうか。その答えは誰も分かりません。


ドラフト時はオリックス以外なら入団拒否の意向を示していました。あれから20年後‥今度は12球団どこへでも飛んでいったであろう田口さんの元に声をかけた球団はなし。あらためてプロ野球界で生きていく厳しさみたいなものを痛感したとともに、しかしながら大卒20年にも渡って野球を続けたこられた田口さんには敬意を表せざるを得ません。


かつて近鉄バファローズなどでエースで活躍していた阿波野秀幸さん。ドラフトで指名された3球団すべてに在籍し、そのすべての球団において優勝を経験したという逸話があります。田口さんもオリックスと日本ハムで優勝メンバーの一員となる‥そんなことを夢みていた時期もありました。ただ、【オリックス・田口】のままで終える野球人生も、私はかっこいいと思いますよ。


田口壮選手、本当に長い間お疲れさまでした。




TIME8:50ころより、田口選手の抽選





posted by 羽夢 at 13:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 野球雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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