2012年08月15日

【追悼コラム】 稲葉光雄さん

今月11日、中日ドラゴンズの2軍投手コーチ、稲葉光雄さんが脳内出血によって死去された。突然の訃報にただただ驚いてしまったが、2010年の木村拓也さんのときもそう‥やはり、現職の球界人に逝かれてしまうのはショックの大きさが違う。


残念ながら稲葉さんの現役時代を存じていない。聞くところによると、速球とドロップと呼ばれる落差の大きいカーブを武器にされていたそう。実際にプレーした姿は見たことなかったけど【稲葉光雄】の名前を目にする機会はよくあった。拙者は元々交換トレードなどによって織りなす“ドラマ”が好きで、関連する書籍を読みあさっていたのだ。

入団2年目に20勝をあげるなど、中日ドラゴンズで主力として活躍していた稲葉さんが1976年オフに突如、阪急ブレーブスにトレードされてしまう。この両球団で行われたトレードが凄かった。FAが導入された現代ではあまり見られない、3対4の超大型なのである。中日からは稲葉さんと島谷金二さん、大隈正人さんの3選手、そして阪急からは戸田善紀さん、森本潔さん、大石弥太郎さん、小松健二さんの4人。

前年3勝止まりだった稲葉さんは移籍1年目にいきなり17勝をあげて阪急の日本一に貢献するなど、在籍した7年間で4度の二桁勝利をマーク。島谷さんも阪急にやってきて生き返り、数年に渡って主軸を務める活躍を見せた。トレードを巧く活用し、強豪チームを作り上げた阪急の“巧者”ぶりが、本では讃えられていたものだ。


こうして阪急黄金期の一員となった稲葉さんが現役時代縁もゆかりもなかった関東の球団、日本ハムファイターズにコーチとしてやったきたのが1998年。阪急時代の恩師であり、当時監督を務めていた上田利治さんの働きかけがあったのかもしれない。

当初は2軍の投手コーチ。1998年といえば鎌ヶ谷スタジアムが完成した直後である。‥あの場所でコーチ時代も眼鏡をかけ、一見温和そうな印象も受けた稲葉さんが若手投手たちに身ぶり手ぶりでアドバイスを送っていたころの姿が脳裏に甦ってくるようだ。さぞ、当時「期待の星」であった桜井幸博投手などは熱のこもった指導をされていたことだろう。



inaba.mitsuo.jpg
ガイドブック2000より


チームが“投壊”してしまったときはシーズン途中に急きょ1軍に引き上げられた年もあった。ファイターズには計4年間‥ 世話になった選手・スタッフも結構いると思う。

稲葉光雄さんのご冥福をお祈りいたします



日本プロ野球トレードFA大鑑 2011





posted by 羽夢 at 10:53| Comment(2) | TrackBack(0) | FSコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
羽夢さん、こんにちは。

確かに阪急は主力級をよくトレードしていた時期がありました。西本〜上田監督の頃ですね。東映絡みの大型トレードはともかく、広島とのトレードでも水谷選手を獲得したり。

稲葉さんの現役時代を良く知っている身としては、ファイターズの人って感じがいまひとつしないのですが、記憶に残る投手でした。ご冥福をお祈りいたします。
Posted by 南の国から at 2012年08月15日 18:51
>南の国から様

>>稲葉さんの現役時代を良く知っている身としては..

そうでしたか!私も是非見てみたかったですなぁ。それにしても当時の阪急は山田投手や足立投手、あと今井投手もいたりと、かなりの投手王国を誇っていたようですね。3連覇もできるわけですよ(笑)

はい、残した数字だけをみると水谷選手のときも阪急が得したような形になってますね。あの頃のブレーブスは何か、移籍してきた選手たちを発奮させるような環境が整っていたのでしょうか(笑)
Posted by 羽夢 at 2012年08月15日 23:09
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