2012年04月29日

稲葉篤紀 【歩き続けよう】


打率.271 本塁打15 打点54


スワローズからFA移籍してきた稲葉篤紀が2005年に残した成績。「この程度だろう」的な感想を抱いた記憶がある。実際前年の数字もこれに近い。ただ、“この程度”さえ打ってくれれば、正直十分だった。稲葉には経験と守備力がある。新庄剛志らと形成した外野陣はまさに鉄壁。彼がライトの守備に就いているだけで何ともいえない安心感を、周囲に与え続けてくれた。


それがどうだろう。2006年には自己最多となる26本塁打を放ち、翌年には.334のハイアベレージで首位打者も獲得。ファイターズにきてから明らかに「進化」していた打撃面。移籍後7年間で積み重ねてきた安打数・本塁打数といったものが、10年間在籍していたスワローズ時代よりも多いのだ。2005年の時点で33才だった年令面から考えてみても、驚異的なペースといっていい。


“縦振り”を会得して、苦手としていた変化球打ちを克服した‥などの「進化」の理由をどこかで聞いた覚えもある。小難しいことはわからないが、素人目線でいわせてもらえば稲葉にとって北海道日本ハムという球団が、もっとも相性が良かったのではないか?そんな気がしてならない。FA権を再取得した際、“外様”選手による『生涯ファイターズ』宣言でも、それは強く感じた。


ワンバウンドしそうな低めの変化球を右中間席に放りこんだ、2006年の日本シリーズでの一発‥。数え上げればキリがない、多くの殊勲打のなかで個人的に印象深かったのは意外にも移籍初年度の2005年。5月7日のタイガース戦では不振でスタメンを外されていた。それでも代打で登場した8回、左腕のJ・ウィリアムズから同点ホームランを放ち、12回にはサヨナラの足がかりをつくる、自身通算1000本目となるヒットも放った。ヤクルト時代に主力として日本一を何度も経験してきた男の“勝負強さ”は、やはり伊達ではなかった。


勝負強いといえばこんな試合もあった。同年4月のイーグルス戦で前年までチームがカモにされていた岩隈久志(当時は近鉄)から決勝打を放ち、お立ち台で『去年、自分はここにいなかったですから。苦手とか関係ないです!』なんて、爽やかな笑顔を振りまいていた。この人間性もファンやナインから慕われている要因。守備位置までは常に全力疾走、味方が攻守をした際はベンチ前で待ってナインを称える姿も幾度となく目にしてきた。こうした稲葉の「野球に取り組む姿勢」がチーム全体に好影響を及ぼしてくれたのは、もはや言うまでもないだろう。


2012年4月28日、Kスタ宮城。第1打席に右前へ痛烈なヒットを放ち、史上39人目となる2000本安打を達成した。もちろん本人も通過点として捉えているはずだ。今シーズンからホームでの打席登場曲を佐野有美の『歩き続けよう』を起用している。そう、稲葉はまだまだ歩み続けていく。そして、我々もそれに付いていく。ファイターズに稲葉篤紀がいるかぎり、どこまでも。




2000本安打メモリアル 稲葉篤紀 全力疾走 ~声援に感謝をこめて~






ラベル:稲葉篤紀
posted by 羽夢 at 12:41| Comment(0) | TrackBack(0) | FSコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。