2012年01月24日

土井正博 【悲運の大砲】 -野球カード語り-


【田中幸雄と初芝清の共通点】

ともに現役最終年にチームが優勝したんですよね。初芝にいたっては自身初の優勝経験。それぞれ22年と17年という、長いプロ生活‥。その多くを低迷したチームの中心選手として、常に支え続けてきました。野球の神がいるとするならば、これは2人に与えた「ご褒美」だったのかもしれませんね。

一方で“同種”の神から見放されてしまった感すら受けてしまう選手が、歴代12位の通算465本塁打を記録した土井正博氏。名球界プレーヤーでもあり、指導者としては清原和博松井稼頭央の「恩師」であることも有名です。

近鉄バファローズ時代はプロ2年目から4番に座り、以後も主砲として活躍し続けながらも、チームは万年Bクラス。1975年にこれまた当時はBクラスが指定席だった、太平洋クラブライオンズに移籍。後年、古巣が連覇を果たすような強豪球団となっていたのは皮肉。1981年を最後にユニフォームを脱ぐと、その翌年にチームは西武ライオンズとなってからは初となる、日本一の栄冠を手にする‥


実働20年にも及んだプロ野球生活のなかで、結局日本シリーズの舞台に立つことは一度もありませんでした。そのときのチーム状況などによって「優勝経験」がない選手は球界にも多数いますが、土井氏のような名球界プレーヤーにもなって美酒を味わえなかったのは、野手では他にタイガースで活躍した藤田平氏くらいです。


『コーチ時代に何度も優勝できたんだからいいじゃないか』 なんて見方もあるかもしれませんけど、やはり現役時代のそれとはまったく違うのでしょうし‥。これは土井氏の太平洋時代の貴重な一枚(コレクション)です。


doi.masahiro.jpg


当時のライオンズは今とは対照的に、真っ赤なユニフォームで戦っていたのですね。折しも土井氏が太平洋に移籍した1975年はカープの『赤ヘル旋風』が巻き起こっていましたが‥

誰かの代名詞ではないけど、それこそ「悲運」 だったとしか言い様がありません。





posted by 羽夢 at 19:16| Comment(3) | TrackBack(0) | 野球雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
台湾かどっかの球団のユニフォームみたいですね。目がチカチカしそうですw
Posted by 通りすがりの野球狂 at 2012年01月25日 01:49
太平洋最悪の年のワインカラーユニホームですね。  土井さんは、18歳の4番打者ですが、2年目からですよ。高校中退で17歳でプロ入団ですから。
Posted by TAD at 2012年07月31日 16:33
>TAD様

確かにそうでした。訂正しておきます。ご指摘誠にありがとうございました!

Posted by 羽夢 at 2012年07月31日 22:14
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。