2012年01月05日

池山隆寛のブンブンブン!夢、ありがとう

ファイターズの現打撃コーチの田中幸雄氏が、ある雑誌の企画の中でこう話していた。現役時代に自身がベストナインやゴールデングラブ賞の常連だったことに触れて 『自分は恵まれていた。その当時は固定された遊撃手がいなかったから‥』

もちろん氏の性格からして、謙遜して言ったのものと推測できる。ただ、当時のパ・リーグを見渡してみてもレギュラー遊撃手として君臨し続けていたのはライオンズの田辺徳雄ぐらいで、頷けてしまう部分もたしかにある。

80年代後半から90年代前半、パ・リーグを代表するショートストップが田中幸雄なら、セ・リーグは何といってもヤクルトスワローズに在籍していた、池山隆寛氏になるのだろう。

その池山氏が引退直後に書き記した自伝本、「池山隆寛のブンブンブン! 夢、ありがとう」を時間のあった正月に読んでみた。



ikeyama.takahiro.jpg
人気ブログランキングへ



まずは幼少のころから尼崎高時代。これを氏は第1章「幸運」と題されている。失礼ながら筆者は池山氏が甲子園に出場していたのは知らなかった。いくつもの“奇跡”が積み重なって、甲子園に出場することができたのだという。

それから第2章「運命」。ここでは主にドラフトについて。2位で3球団が競合(巨人・近鉄)するのもわりと珍しく思えるが、やはりそれだけの逸材だったのだろう。“当事者”からのドラフト目線、それこそ運命を左右したドラフト会議での数奇な人間模様がおもしろい。ちなみに池山少年は巨人ファンだったそう。


第3章・第4章は「ブンブン丸」の全盛時代。もっと細分化すると3章はスワローズでの「弱小時代」、4章は「黄金時代」とでもいえば収まりがつくだろうか。

弱小時代とは関根(潤三)政権のときを指す。少し聞こえは悪いが。当時は女性にモテてモテて仕方がなかったのだそうだ。たとえばこんな感じ。


『西崎さんも阿波野さんもぼくもスリムで、お尻も顔も小さい。その「ジャニーズ系」の容姿も若い女性に受けたようだ』 P92より


‥じゃっかん鼻につく(笑)。容姿のことは筆者にはわからないけど、華のある遊撃手であったのは間違いない。それとプロ入り当初、伸び悩んでいたブンブン丸の打撃を“開眼”させたのは、関根監督の意外な言葉だった。

黄金時代とはご存知、野村克也が監督に就任して以降。当時のスワローズナインはテレビ等の露出もかなりあって、選手同士が和気あいあいとしているイメージもあったけど、人気主力選手「F」とはどこか壁みたいなモノを感じていたらしい。これは少し意外だったかも。

今おもえば“ブンブン”のニックネーム通り、三振が多かった池山氏はいかにも野村監督が好きこのんで使うようなタイプにも見えなかったが、就任当初は選手層もそれほど厚くなかっただけに、起用せざるをえなかったのだろう。主砲の広沢克己もろとも、弱かったのが幸いした?


第5章・6章は選手生活晩年。故障とのたたかい、控えにまわり“一振り稼業”に生きた喜びや葛藤。2軍生活でのことや家族の支えなどが描かれている。筆者は「引退試合」のエピソードはそこまで詳しく存じてはいなかったのだが、あらためてアノ“感動”を再認識した。

立っていることさえ困難だった足を引きずって、なんとか辿りついた第4打席の2ベース。それよりも1打席目と最終打席が3球空振三振だったことの方が、なんとなく往年の“ブンブン丸”を彷彿とさせていい。


2012年はスワローズの2軍打撃コーチとして再出発する池山氏。本のあとがきに「監督として皆さんの前に戻ってきます。そのときを楽しみに待っていて下さい」と記されていたが、はたしてその“夢”が叶うときはやってくるのだろうか。

これは余談だが、氏のご子息は現在、埼玉県の強豪校・浦和学院の選手。筆者の出身地が埼玉だから妙な親近感を覚えたのだが、本書を読んで池山一家が“サイタマ”にいた理由もわかった。

にほんブログ村 野球ブログへ


posted by 羽夢 at 21:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 野球雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。