2011年11月22日

2人の“ユウ”ちゃん 【今井雄太郎・斎藤佑樹】


『ユウちゃん』

野球界で最初にこの愛称が定着したのは、阪急ブレーブスなどで活躍された今井雄太郎氏ではなかっただろうか。あまりにも有名な、パ・リーグでは2011年までで完全試合の偉業を成し遂げた最後の投手である。

かろうじて今井氏の現役時代を見たことはあったが、もう晩年に差し掛かっていたころ。当時の印象としては、いかにも町内を取り仕切っていそうな、やや強面の“おっちゃん”(失礼!)。見た目は本当どこにでもいてそうなおっちゃんだった。事実、私が以前勤めていた職場にも今井氏そっくりな人がいた。ポジションはもちろん、工場長。

投球スタイルはすでにベテラン投手だったこともあってか「技巧派」のイメージでしかない。それでもアマチュア時代からプロ入り当初にかけては豪速球投手として鳴らしていたらしい。今井氏が現役を退いた際に書いた自伝、「野球の虫」の完全試合にそれが記されてあった。


【「野球の虫」の完全試合】より
y.imai
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本の内容を一言で表現するならば「野球と酒」。これを一言とはいわないか。まぁ、とにかく野球と酒の話題が“交互に出てくる”といっても過言ではないくらい、ベースボール&アルコール。 ‥ちょっと語呂が悪い。なかなかチャゲ&飛鳥みたいにはうまくいかない。

今井氏を語る上で欠かせなくなってくるのは「完全試合」と、やっぱりこの「酒」にまつわる話になってくるだろう。往年のプロ野球ファンなら一度は耳にしたことがあるはず。


【登板前に酒を飲む】


登板前といっても本当の直前だ。ブルペンでビールを『グイッ』と一杯飲み干してから(今井氏風に言うと喉をうるおしてから)初回のマウンドに向かっていたそうだ。本番で思うような結果が残せていなかった若き日の雄ちゃんに対し、梶本投手コーチが登板前の“飲酒”を勧めたことが、すべての始まりだったらしい。

初めて飲んだ試合で勝利投手となり、以後雄ちゃんは勝ちに勝ち続けた。その年は初となる二桁勝利をマーク(13勝)、この中にはアノ完全試合も含まれており、日本シリーズでの登板もはたした。さすがに毎試合飲んでいたわけではないと思うが、あの時の梶本コーチの「酒のススメ」がなかったら、雄ちゃんはここまでの大投手にはなれていなかったかもしれない。


でもどうなんだろう‥。たしかに酒の勢いを借りて気が強くなった部分もあったのかもしれないが、今思うと変な“力み”も消えて、「ほろ酔い」な具合が今井氏にフィットしたのではないか?そんな気もしてくる。実際、投げていても体調は悪くて仕方がなかったそうだ。私も経験はあるが「昼間飲み」はわりと身体に負担がかかる。

ひとつ言えることは今井氏のようにアルコールに相当強い人でないと、試合前なんかに飲んでも気持ち悪くなるだけで、かえって逆効果となってしまうだろう。マウンド上での「メロメロ」だけは観客もゴメンだ。いずれにしても“一般人”にはあまりお勧めできる芸当ではない。(ちなみに今井氏の酒の強さは本を読むかぎり、ちょっと尋常ではなさそう‥)


今だったら考えられないけど、古き良き時代というか、こんな漫画みたいなプロ野球も昭和にはあった。一方、平成のユウちゃんといえば、なんといっても日本ハムの斎藤佑樹。昭和の野球漫画の主人公には到底なれそうもない“王子”キャラだが、“元祖”ユウちゃんと意外な共通点を発見した。


今井雄太郎氏のご子息の名前が‥ 「ユウキ」

しかも、あの大エースと足して2で割って漢字の有樹!(50%ユウキ?)

斎藤についてはもっと書きたいことはあったが『ユウちゃんはやっぱりユウちゃんだった』という、なんだか訳のわからないオチで、今回は終わりにしときます。


パで今井氏に続くのは一体誰になるんだろうか‥

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posted by 羽夢 at 19:11| Comment(5) | TrackBack(1) | 野球雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。
今井雄太郎、懐かしいです。私も今井氏は現役生活も最後の頃しか見てません。最後はホークスに所属してましたが、近鉄戦ではやたらと好投していた記憶があります。他のチームには打たれているのに、です(笑)。
三連戦を「リリーフの今井雄太郎」のお陰で全敗したことも。
当時は「まぁ、完全試合男だから」と無理矢理納得するようにしてました(笑)。
Posted by EILEEN at 2011年11月23日 16:53
EILEENさん、こんばんは。
米田さんらがいなくなった黄金時代の少しあとですかね、今井さんが台頭してきたのは。それでも1984年は山田・佐藤義との3本柱で52勝!阪急という球団は本当に昔から好投手が揃っていました。

近鉄キラーは知りませんでした。え、まさかマニエルたちがいた最強猛牛打線のころではないですよね?おそらく岡本監督時代辺りの話だと思いますけど(笑)
Posted by 羽夢 at 2011年11月23日 21:20
羽夢さん、こんばんは。
コメント&トラバありがとうございました。

今井雄太郎投手のエピソード、懐かしいですね。
ずっと阪神ファンの僕ですが、パでは阪急ブレーブス時代およびオリックスに阪急の香りが残っていた時代までは応援していました。
正直今井投手のことは、このブログを拝見して久しぶりに想い出しました(笑)。
ウィキペディアを見ると、DH制での完全試合は今井投手だけなんですね。
統一球となったことで、槙原投手に続く大記録達成を期待したいです。
Posted by Taka at 2011年11月23日 22:59
Takaさん、こんにちは。
そちらではなかなか貴重なものを見させていただきました。あの頃もまた、パ・リーグは激動でしたよね。立て続けに2球団が身売りしてしまうのですからね。特にダイエーはファイターズに負けないくらい派手なユニフォームで、正直気持ちが揺らぐこともありました(笑)。子供ながらにですけど。

はい、DH制では今井投手のみです。本でも振り返られていましたが、自分でもよくできたなと!しかも、あの頃のロッテは後の名球界選手が3人もいたそうで、相当手ごわいチームだったそうです。

>完全試合 
ダルビッシュ投手や杉内投手はわりといい線までいくこともあるのですけどね。彼らがパ・リーグにいるうちぐらいしか、考えられないでしょうね‥
Posted by 羽夢 at 2011年11月24日 11:16
羽夢さん、こんにちは!

「今井」よりも「梶本」という名前に反応してしまいました。梶本投手は黄金期の阪急を支えた偉大な投手でしたが、雰囲気は「農家のおじさん」でしたね。
Posted by 南の国から at 2011年11月27日 17:22
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