優勝を目前にしたチームの勢いを止めるのは容易ではありません。それが場数を踏んだ“経験豊富”なチームであれば尚のことです。黄金期だった1980〜90年代の西武ライオンズが秋口にスパートをかけ、大型連勝を飾ってそのままゴールに向かって一直線!なんてシーズンも、昔はよく目にしました。
そんな猛者たちをも沈めた、あのとき放ったファイターズ選手の一打を、今でも覚えています。
それまで首位を走っていた近鉄バファローズを破竹の12連勝で一気に追い抜き、首位に躍り出たのが1991年9月の王者・ライオンズ。この連勝を止めたのは、首位から20ゲーム差以上も離された4位・日本ハムファイターズでした。
9月18日。地元の東京ドームで、いよいよマジックが点灯したライオンズを迎え撃つ一戦。前日の試合はエース・柴田保光を立て善戦するも惜敗。この日は5年連続二ケタ勝利を狙う西崎幸広と渡辺智男の投げ合いで始まっています。
1-2。1点のリードを許した、ファイターズの6回裏の攻撃。渡辺の後を継いだ2番手・潮崎哲也が4四球の乱調で勝ち越しに成功、なおも満塁と攻めたてていました。ここで打席が回ってきたのは中島輝士の代打・大島康徳。
この一振りにかけた大島は潮崎の“初球”に狙いを定めていました。四球のあとの初球‥【必ずストライクをとりにくる】
快音を残した打球はレフトスタンドに飛び込む、値千金のグランドスラム!この時期あたりからスタメンを外されていた40才の大ベテラン、意地の一発でした。これで突き放したファイターズは8-3でライオンズを退け、マジックを消し連勝も阻止させるといった白星以上の金星?にファンは歓喜しました。
殊勲の大島は中日ドラゴンズ在籍時代から代打本塁打「16」本も記録した、まさに一振り稼業の職人。翌年以降からはファイターズでもその腕を存分にふるっていくことになりました。
最後にあの代打満塁弾を打ったあとに、大島氏が残した試合後の談話を紹介しておきます。
『これでオレの存在価値を認めてくれるだろう。まだまだ死ねない』
現在(いま)のファイターズにも、こんな気概を持った選手がでてきてほしい。チームが苦境に立たされた現在こそ“オレの存在価値”を前面に出せる選手、そしてその選手に風を変えてほしいと願います。それこそ、まだまだ死ぬわけにはいかないのだから‥


