2011年08月20日

-SSコンビの軌跡- 【再会】


「同士を近づけると、異なる局は引き合い、同じ極は反発しあう」

【磁石】を辞書で引いてみるとこんな言葉が出てくる。何か二人が歩んできた野球人生はまるでこの磁石のようでもなかったか?今振り返ってみればそんな気もしてくる。同じ星の下、いつも隣合わせにいた二人が同じマウンドに立つことは、なかった。あの日まで‥


甲子園でのノーヒッターに片や甲子園準優勝投手。1987年夏の甲子園を沸かせた二人、芝草宇宙島田直也は同期としてファイターズに入団。頭文字をとってSSコンビと呼ばれ、話題性豊かな二人は将来を嘱望されていた。

甲子園では芝草の帝京高があと1勝していれば決勝での「SS対決」が実現しているところだったが、準決勝でPL学園の前にあえなく敗退。プロ入り後は意外にもドラフト外入団の島田の方が芝草より先に1軍デビューを飾る。プロ2年目に1軍初登板、3年目の春先は先発登板もこなした。この間、芝草は3年間1軍での出場はなし。4年目にしてようやくプロ初登板。その試合で完封勝利の離れ業を演じて『やはりモノが違う』と、周囲をうならせた。

これでSSコンビが同じ舞台に!だが、今度は芝草と入れ替わるようにして島田が極度の不振に陥り、長い2軍生活をしいられてしまう。そのファームでも結果を残せず、半ば見切られたかのような感じで4年目の1991年オフ、ホエールズ(現・ベイスターズ)にトレード移籍。(⇔石川賢)島田直也、この時まだ21才。


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結果的にみればこのトレードがホエールズ、島田にとっても『吉』と転じる。1992年8月の中日戦で涙のプロ初勝利。以後も安定した投球を続け、3年目には初完封もマークした。1994年からは中継ぎエースとしての地位を築き、長年に渡ってベイスターズの中心選手として活躍。1998年の日本一にも貢献をした。

あの時の“ぼやき”が今でも忘れられない。あれは1994年のオールスター中での出来事。放送していたテレビ局の計らいで監督・コーチに集音マイクを付けてもらうといった試みがなされていた。そこで大沢啓二森祇晶にささやいていた“ある言葉”をマイクが偶然拾っていた。


「2軍でも0勝10敗だったのに」


たしかこんな様に聞こえた。私はそれが瞬時に島田のを指しているものだと判断した。移籍前、島田はファームで勝ち星なしの10敗と、散々な成績に終わっていた。この年オールスターには出場していなかったが、前述のように貴重なセットアッパーとして台頭し始めていた頃。一方のファイターズは投手陣が崩壊し、前半最下位と低迷していた。島田入団時、常務を務めていた大沢親分はやはり球団の「島田放出」を悔やんでいる‥。そう確信した。

一方の芝草、先発ローテーションの一角を担っていた時期もあったが、島田同様にファイターズの中継ぎエースとして活路を見いだしていた。ともに甲子園の星だったSSコンビがユニフォームを変えて、同じようなポジションでチームの勝利に貢献している‥。離れ離れになっても不思議な「縁」を感じざるにはいられなかった。

互いに長きに渡ってブルペン陣を支えてきた後、SSコンビの“再結成”かと思わせる機会が訪れていた。それは島田がベイスタースを自由契約になった2000年オフ、ファイターズが島田獲得に名乗りを上げたとき。低迷を続けるチームの起爆剤、芝草のいるファイターズが再生する場としても最適、「SSリレー」なんてのも見てみたい!そう心を躍らせていたが、結局スワローズ行きを選択した。


スワローズでも優勝に貢献し、バファローズを経て2003年に現役を引退した島田。くしくも常総時代の恩師・木内幸男が勇退を表明した年だった(2008年復帰)

現役を退いた直後の島田が打撃投手としてファイターズに“復帰”するというニュースが飛び込んできたのが北海道移転直後の2004年。“戦力”として同じマウンドに立つことはできなかったが、今度は“戦友”として、再び同じユニフォームをまとい、札幌の地でSSコンビが復活をした。

それも2年でコンビ“解消”となってしまったが、現在島田は四国アイランドリーグ・徳島インディゴソックス、そして芝草は北海道日本ハムファイターズの投手コーチとして後進の指導のあたっている。指導者としてタッグを組んだSSコンビが見られる日も、もしかしたらそう遠くはないかもしれない。


≪あとがき≫
今年度をもって木内幸男氏が監督を辞められるそうです。一時代を築いた名物監督でもあり、常総卒はファイターズに金子誠選手もいますので残念でなりません。ご病気を患っているとのことで仕方ありませんが、今後は静養しながら球児やOBたちを見守り続けていてほしいと思います。

当初は野球カードの語りにだけにするつもりでしたが、この際なのでSSコンビについてダラダラと長文を書き綴ってしまいました。最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。あの島田さんのカードは3本の指に入るコレクションのうちの1枚です。なにせファイターズでの在籍期間はとても短かったですからね。ちなみにカード裏面にある「理想のタイプ」は沢口靖子となっています。時代を感じてしまいますね(笑)


【関連記事】芝草宇宙・シュート!


posted by 羽夢 at 14:32| Comment(2) | TrackBack(0) | FSネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
異常に早く放出したイメージの島田直也ですが、まさか在籍四年だったとは…。


夏の甲子園で最強のヒールになった天理・南竜次と共に、この頃は素材型の若手ピッチャーがいて楽しみにしてましたが、やはり当時のファイターズに育てるだけのノウハウが無かったのでしょうか。

ご存知かも知れませんが、白井康勝も野球を離れて何年もしてから『当時の練習態度』を評価され、北海道日本ハムファイターズの少年野球教室のスタッフとして、道内を駆け巡る日々だとか。


セカンドキャリアも様々、これもプロ野球なんですなぁ。
Posted by ばいきんまん at 2011年08月22日 09:45
ばいきんまん様、お久しぶりです。
プロ野球選手のセカンドキャリア!今もっとも興味を持っている分野ですね。週刊ベースボールにもそんな企画がありましたよね。私あれ大好きなんですよ^^特にひいき球団の選手でしたら引退後に何をされているのか、大変気になるところではあります。最近では平良選手だったかな。取りあげられていました。いつまでもお元気で、後輩たちの活躍を見続けていてほしいと思いますね。

島田直投手も短期間でしたけど、木村拓さんも短かったですよね。交換相手の長冨投手も活躍してくれましたけど、当時はもうベテランの域に達していた選手。(石川賢しかり)島田さんもキムタクさんも移籍した球団で長期間活躍していていたことを考えると、正直もったいなかった気もしてきます。でも大洋・広島に若手選手を見る目があったともいえますし、何より本人たちもハムでくすぶっているよりもよかったと思うので、これもトレードの成功例といってもいいのでしょうね。

甲子園優勝投手の南さんがヒール扱いされていたのですか!それは知らなかったです。『優勝投手はプロで活躍できない』の代表例として、よくその名前が挙がっていましたけど‥(苦笑)
Posted by 羽夢 at 2011年08月22日 11:15
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