2011年08月15日

なぜ清原和博は逃げ出したのか?

日ハムの選手ではなく、しかも前回対戦で負け越してしまったライオンズの選手を取りあげてしまうといった、若干“KY”な記事になってしまうことを最初にお詫びしておきます。


ライオンズに在籍した外国人選手の中でも“史上最強”ともいわれるオレステス・デストラーデ氏著(共著者・大城和美) 「西武野球の神話」という本について、今日は触れてみようと思います。この本はライオンズ時代の秘話はもちろん、生い立ちからメジャーリーガーとして、さらには“西武復帰”までの同氏の歩んできた道のりが、当時の心情も交えて描かれています。

私は出身が埼玉なので、幼少の時から周りに西武ファンがたくさんいましたし、その“流れ”でライトブルーの帽子をかぶってよく遊びに行ったりもしていました。あの頃、私はひとりオレンジの帽子をかぶる勇気など微塵もなく、とても意思の弱い人間でした。折しも当時はライオンズの全盛時代。「優勝して当たり前」みたいな時代でしたので“憎たらしい”とか、不思議とそういったような負の感情は湧いてこず、それどころかパ・リーグ球団としては珍しく、ライオンズ戦はラジオ・テレビ中継も多かったので、むしろ歓迎していたくらいです。そんな私が青春時代に見たプロ野球、当時のビタースイートな記憶がほんわりとよみがえってきました。





優勝して当たり前、【常勝】を求められてきたライオンズの選手ならではの苦悩や同僚とのエピソード、他球団の外国人選手との交友録、さらには対戦してきた投手の中で「あのピッチャーの投げる球は素晴らしかった」などの秘蔵話、あの頃を知る者としては大変興味深い内容が多く記されています。冒頭の堤義明オーナー(当時)とのエピソードも、私が勝手に抱いていたオーナーの印象ともだいぶ違っていて、なかなか心温まるものでした。

特に私が注目したのは「清原バット投げ事件」についての記述です。一時期、プロ野球珍プレー集の【乱闘編】ではお馴染みとなった平沼定晴vs清原和博、1989年に起こった大乱闘劇。 あの乱闘騒ぎにおいてひとつの“謎”がありました。誰もが疑問に感じた、清原のとった行動。それは‥

【なぜ清原は一目散に逃げ出したのか?】

自分からけしかけておきながらの、あの“逃走行為”で男を下げたともいわれましたし、端から見ていてもたしかに不可解な行動ではありました。それについて“現場”にいたデストラーデ氏が解説してくれています。

同氏によるとマイク・ディアズ(清原をヘッドロックしたあのロッテの外国人)は清原の“態度”が元々気にいってなかったらしく『あいつは生意気だ。一度叩きのめしてやる』そんな物騒な発言をしていたらしい。それを“忠告”として同氏から伝え聞いていた清原‥。【ディアズには気を付けろ】

意気揚々と平沼にヒップアタックをかましたまでは良かったけど、ここぞとばかりにベンチから飛び出してきたディアズを見た途端、さすがの清原もこれはヤバイと感じたのだろう。【殺される】と!それで逃げた‥

要約すると“清原はディアズを恐れていた”そういうことになります。どうやらこれが事の真相らしいです。そもそも平沼に当てさせたのもディアズの陰謀との説もあり、“ランボー”ことディアズがあの乱闘劇に大きく関与しているのは間違いなさそうです。※ちなみに両者はその後、和解したとのこと(メデタシ!)

ロッテ絡みでいえば金田正一監督についても触れています。こちらも乱闘コーナーなどでよく放映されていた審判への暴行事件。外国人でなければ到底できないような「金田批判」を堂々と公言し、ヒーローと崇め奉れば、よく見ると園川一美を前田幸長と堂々と勘違いしている‥。そんなお茶目なところもあったり、オレステス氏はどこまでも我が道をいきます。

最後にファイターズ絡みの話。これは本書にあるデストラーデ評です。

柴田保光:「球種が(リーグで一番)豊富。彼はハードではないが、シャープでさらにいろいろとミックスされた球種を持っていた」(さすが!)

西崎幸広:「いい腕を持っているが、まだ安定感に欠けるようだ。ゲーム中のメンタルな面を鍛える必要があると思う。かなり細いからスタミナの問題もあるだろうし、フィジカルな部分を強化すれば、精神的な自信にもつながるだろう」(やっぱり‥?)

こういった選手側からみた視点にも興味がありますよね。ちなみに武田一浩とは仲がよかったそうです。これは意外でしたね。他にも得意・苦手としていたピッチャー、さらには大嫌い?なピッチャーにいたるまで、包み隠さずに“暴露”してくれています。詳細はぜひ本編でおたしかめください!



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posted by 羽夢 at 16:36| Comment(4) | TrackBack(0) | 羽夢日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。

氏が嫌いな投手は阿波野投手ですよね?
私もこの本読みました。ライオンズの黄金時代を知るものにとっては、敵味方関係無く楽しめる本ですよね。

私は小学生の頃、西武球場の近隣に住んでいて、学校はライオンズの帽子、ウインドブレーカー(友の会特典)で溢れてました。
そんななかで近鉄の三色帽ですから、そりゃ迫害されました(笑)。

そんな状況になればなるほど、バファローズ愛がエスカレートするわけです。でも変わった子供ですよね(笑)。
何故近鉄ファンになったかって?隣に住んでいた人から三色帽をもらったからです。

きっかけとはそんなもんです(笑)。
Posted by EILEEN at 2011年08月15日 18:38
EILEENさん、こんばんは。
そうだったのですか!バファローズを好きになったきっかけに関して初耳だったような気がします。オーレは野茂投手のことをベストといってますね。たしかに成績をみても本塁打王を取った90〜92年は野茂投手も最高の数字を挙げてましたからね。頷けるような気もします。

>氏が嫌いな投手は阿波野投手ですよね?

えぇ、言ってました(笑)それと西崎投手も!西崎さんはなんとなく分かるような気もしなくもないのですが、阿波野さんは凄くソフトな感じがする人でしたので、少し意外でしたね。‥そうでもないのですか?(笑)

それにしてもあの頃は見た目からして「荒くれ者」みたいな外国人選手が多かったですよね。バナザードとかトレーバーとか。個人的にディアズは結構好きだったんですけどねぇ‥
Posted by 羽夢 at 2011年08月15日 20:03
こんばんは。

羽夢さんに限らず帽子をかぶる勇気のある少年は少なかったはずです。おそらく後楽園へのアクセスの良い下町や鎌ヶ谷方面に一部いただけでしょう。

東京時代のファンは隠れ切支丹の如く振る舞い、飲み会等で他のFファンが判明した場合にのみ告白。子供を連れて球場に行っても子供はFファンにはならず。結局、常に一人で球場に行く。だから北の国へ引っ越してしまったのです。それでもLが西武になる直前期やドーム完成直後はパリーグでは観客が多い方だったような気がします。
Posted by 南の国から at 2011年08月25日 00:15
南の国から様へ。いつもありがとうございます。
厳密にいうと幼少の頃、私はオレンジ帽子を被っていました。というより被らされていました(笑)もしかしたら勇気があるとか以前の問題で、あのデザイン、色合いが少し派手すぎて、抵抗がある人も多かったかのもしれませんね。

はい、データを眺めてみましても1970年代後半から1980年代前半にかけてはファイターズがリーグでも1,2を争うほど、観客動員数は多かったんですよね。チームが好調であれば、後楽園は都心のほぼ真ん中に位置していますし、お客は必然的に集まっていたのだと思います。それが東京ドーム時代になってからはドームの物珍しさも次第に失せていき、観客もみるみる減っていきました。せめてこの期間に1回でも優勝できていればまた変わっていたんでしょうけど‥

Posted by 羽夢 at 2011年08月25日 11:18
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