2011年05月03日

祝1500安打達成記念☆金子誠【新人王物語】※秘蔵映像あり


ドラフト3位 金子誠 18才 内野手【常総学院】


常総時代の彼のプレーを見たことはなかったけど、1993年のファイターズ指名選手一覧を見ていて、ただ何となく「この選手が将来田中幸雄の後釜になるのではないか」 ひらめきにも似たものを感じ取っていたことを覚えている。もちろん何の根拠もなかった。ひょっとしたら、かつてファイターズで活躍した【マコト】の大先輩・島田誠とダブらせようとする、潜在意識みたいなものがどこかで働いていたのかもしれない。金子がその先人【マコト】の通算安打数「1502」を超える日も、もう間もなくやってくる。

金子誠のプロ初安打を運よく「目撃」していた。秋の寒空、消化試合だった10月の西武球場。ライオンズの左腕・小野和義からマークしたものだった。あれから16年、積み上げてきたヒットの数は1500を数える。恐らくあの1本から、半分以上は見届けてこれたのではないか。私がファイターズを愛し始めて以降「プロ初安打」からこれだけ多くのヒットを目にすることができたのは、金子が初の選手だった。

云うならば「マック」ともに歩んできた、私の野球生活‥。今月20日の1500本安打達成時、我がことのように、手を叩いて喜ぶ自分がいた。この16年間、チームが弱かった時も優勝するような強豪チームになっても、いつもそこに飄々とした姿があった。

数字のことをいったら、あまり欲のない金子に怒られてしまいそうだが、同僚の稲葉篤紀のように30代後半からヒット数を量産している選手だっているし、1500は一通過点だと思って、一年でも長くファイターズでプレーしてもらいたいと願う。もし、田中幸雄以来の生え抜き2000本安打が達成できたなら‥ それはこの上ない感動となるだろう。その暁には自分自身にもブレザーを進呈しようと考えている。

個人的には「1500」の中には含まれないけど、ファイターズを日本一に導いた2006年の日本シリーズ、山本昌から放った逆転タイムリーがもっとも印象深い。でもマックの野球人生を変えた一打とするならば、あの試合 【あの1本】になるのだろうか。

過去の球団誌に『金子誠新人王物語』といった記事がある。1500本安打達成記念に、一度ここでも触れておきたいと思う。家族の存在、高校時代、恩師の教え‥ 金子誠の原点がここにあった。

m.kaneko




※冒頭部省略

シーズン前からのことを思えばまさか自分が、という思いが強い。オープン戦から田中の控えとしてほとんどが代走か守備要員だった。春季名護キャンプからのライバルだった城石はすでにファーム落ちし、いつ自分に同じ不安が迫ってくるかわからない。そんな危機感が募る最中にチャンスが訪れている。平成7年、白井一から正二塁手の座を奪った渡辺が「2年目のジンクス」に苦しんでした。相手投手が左のヒルマンということもかさなって、4月12日のロッテ戦にスタメン出場を果たしたのだ。『その日はたまたま1、2軍の親子ゲームが東京ドームであったんです。ファームの試合で体の方も慣れていたんでしょう。ゲーム感覚がつかめていて、心身ともにとてもいい状態で臨めました』1-0で迎えた7回裏、好投のしていたヒルマンの外角チェンジアップを狙いすまして右中間へタイムリー。勝利を決めた貴重な一打で首脳陣の期待に応えている。先発出場したこのロッテ3連戦に3連勝したことが金子自身の明暗を分けたと言ってもいい。昭和62年の西崎、平成2年の酒井、4年の片岡といずれもルーキーの年に充実した成績を残しながら手にすることができなかった新人王のタイトル。昭和58年の二村以来ファイターズ13年ぶりの快挙を決定づけたのはチームの2位進出に大きく貢献したパ・リーグトップの38犠打と攻守にわたる堅実なプレーだった。


巨人・仁志とともに「常総コンビ」でセパ両リーグの新人王を独占。母校常総学院は大いに湧いている。その恩師である木内監督は『本当に嬉しいことです。金子は天才肌、仁志は努力型だった』と当時の様子を懐かしむようにお祝いのコメントを寄せている。退部者も続出、甲子園で優勝経験を持つベテラン監督の指導は想像以上に厳しかった。容赦なく叱り飛ばす刃のような鋭い「口撃」に涙を流してうなだれる部員が多かったと言う。『あの頃の監督は本当に鬼のように思えましたが、今となってはとても感謝しているんです。全てを熟知されていて、レベルの高い野球を教わりました。いかにして点を取るか、いかにして勝つのか、といろいろ勉強させられました。何せバントやエンドランなど小技が使えない打者は打たせてもらえない。個人よりチームプレーを大切にされている方でした』3、4番クラスでも平気でスクイズのサインが出たという常総の野球。己を殺してチームの勝利に尽くす。その精神が今の金子を支えている。


常総-早大のエリートコースをあえて外してまでプロの世界に飛び込んできている。巨人の仁志を含めて過去2人が早大の主将を務め、両校の間には強力なレールが敷かれていた。憧れの東京六大学。その思いがたしかに心の中で渦巻いていたが、強いプロ志望をどうしても曲げることができなかった。話は高校入学前にさかのぼる。『大学にも行けるんだから』と母の志津子さんに県立の進学校を勧められていたこともあったが『常総は僕にとっての職業訓練場だ』と文武両道から思い切りよく野球一本の道を選んでいる。その気持ちが確固たる信念に変わったのが高校2年生で中心選手になってからだ。『甲子園という目標がはっきりしました。2年生までは何とか勉強と両立させてきましたが、その頃から完全に気持ちが大学から離れていきました』2年夏、3年春夏と三度甲子園の土を踏んだ。4番根本(法政大)、エースの倉(東洋大)とともに、当時3番ショートを任されていた金子も毎試合ヒットを記録、注目を浴びたが3年夏の準決勝で春日部共栄の前に惜しくも敗退。青春の舞台は静かに幕を降ろした。


高校野球終了と同時にプロのスカウト陣が殺到。予想をはるかに越えるその光景にただあ然とするばかりだったそうだ。『プロのスカウトから話が来たらぜひ聞いてみたいとは思っていましたが‥。あまりの数にびっくりしました』プロへの情熱をさらにヒートアップさせたのが、高校オールジャパンとして欧州遠征した時だ。甲子園優勝校である育英高の大村(近鉄)と同部屋になり、進路先について話し合った。プロ志望の強い両者が意気投合して、大きな励みとなったのだ。『気持ちがプロ1本に固まっている大村を見て勇気づけられました。プロ入りは声をかけられているうちが華ですから‥。好きなことをやってお金を稼げるのなら本望です』93年ドラフト3位で日本ハムに入団。2年間のファーム暮らしを経て昨年、持てる素質が一気に開花、117試合で103安打、4ホーマー、33打点をたたき出して見事に「ルーキーオブザイヤー」に輝いている。あの時の決断に間違いはなかった。


成長を静かに見守ってきた父親の存在も大きかった。野球好きの父・守さんは息子の進路に関して何にも口出ししなかったという。『誠が選んだ道ですから』息子の意思を尊重し、暖かく見守ってきた寛大な人柄もプロ入りに踏み切った金子の大きな支えになった。もともと野球は父親とのキャッチボールから始まった。幼稚園で水泳、小一から小二までサッカーと何をやっても長続きしなかった金子が唯一興味を示したのが野球だった。千葉県松戸市から我孫子市へ引っ越し。その転校先の友人に誘われて「カーニバルスジュニア」という少年野球チームに所属したことが本格的なスタートだった。

-あれからどれくらい歳月が流れたのだろう。両親をはじめとする家族、友人、そして沢山の恩師に恵まれて大きく、たくましく成長してきた。そして今、97年度のスタート台に立っている。上田監督は言う。『新人王はひとつの過程であって、これで満足せず常に向上心を持って前進して欲しい。パ・リーグの、いや全日本のセカンドを奪うくらいの気持ちで頑張って欲しい。彼にはそれくらいの才能があるのだから』と。昨秋の鴨川キャンプから気持ちをゼロにして猛烈な再スタートをかけてきた金子。その表情が一段と引き締まってきた。≪1997日本ハムファイターズガイドブックより≫


※ちなみにこの年、プロ4年目は打率.277ホームラン12打点53と打撃も「開眼」しました。当時のセカンド守備もよかったけど、マックのような長身選手はショートのポジションに就くと実に絵になります。それにしてもあらためて読み返してみると「常総野球」は今のファイターズにも通ずるものがありますよね^^一部では西武志向だったという情報も聞きましたが、やっぱりマックはファイターズと縁があったのだと思います!それではよろしければ最後にワンポチをお願いいたします。


2011.4/20 対オリックス@ほっともっとフィールド神戸

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posted by 羽夢 at 21:59| Comment(8) | TrackBack(0) | FS特別企画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おはようございます。
一寸気になったのでコメントさせていただきます。

金子選手の初安打ですが、その試合は小野和義投手が完封した試合でしょうか?
だとしたら、私はレフトのポール付近でその試合観てました。「金子?」と思って選手名鑑を開いたことを思い出します。

知らないうちに、初安打に立ち会っていたんだ…(遠い目、笑)。
Posted by EILEEN at 2011年05月05日 07:32
若き金子選手の映像御馳走様です。

旧レプユニに背番号は入れていなかったのですが、今年ユニフォームが変わるというので「この選手のプレーを1年でも永く見ていたいな…」と思い、新ユニには8番を入れました。
初ヒットから見ているのですね。

金子選手だけではなく、一人ひとりの選手の選手としての歴史を眼に刻む事ができる環境を幸せに感じます。

東京時代からのファイターズのファンの方には淋しい思いをさせてしまいましたが、北海道に来てくれて本当に感謝です。

Posted by マッシュポテ子 at 2011年05月05日 22:27
EILLENさん、いつもお世話になっております。

そうです!小野投手が零封した試合です。なんと十数年前に所沢でEILEENさんと「ニアミス」していたなんて‥(笑)長い時を経てこうしてお付き合いをさせていただいていることに、不思議な縁を感じます。この間に金子選手は1500本もヒットを打ちましたよ!

1995年の10月3、4日は両日とも球場に足を運んだのですが、順位が決まっていたこともあって、上田監督が続々と新顔を登場させたんですよ。他にも城石選手や金村・桜井両投手!‥そう考えてみると今も現役で残っているのは金子選手だけですね。長く選手生活を続けられるだけでも、大変偉大なことだと思います。
Posted by 羽夢 at 2011年05月06日 11:33
マッシュポテ子さん、お久しぶりです。ファイターズ、快調に飛ばしてますね!

金子選手は背番号8の先輩、片岡篤史さんのことも尊敬していたそうですが、記事に登場した「マコト」の先輩!島田誠さんも実は現役時代、背番号8を付けていたんですよ。8は過去に名選手も多いですし、そのレプユニに着て、胸を張ってファイターズを応援しましょう!

淋しい思いもしましたけど、選手たちもこれだけ多くのファンに愛され、囲まれてプレーできることに意気を感じていることと思います。それを考えたら、北海道に移転して正解だったと思います。‥それでも東京時代のファン心理としては、やっぱり淋しい気もしますけどね^^;
Posted by 羽夢 at 2011年05月06日 11:53
淋しさはいかばかりか…シーズンオフの間だけでもファイターズ欠乏症になります(;_;

ご無沙汰していた間も応援は欠かしませんよ(^_-)-☆

島田誠さんも8番の先輩だったのですね。横浜のヘッドに就いたと記憶していたのですが残念ながら現在はお名前はありませんね。

札幌のコミュニティFM局に金子選手の番組があるのですが以前背番号の話で尊敬する先輩(片岡篤さん)が移籍する時、いつかドラフト上位で入ってくる若い選手がそれを付ける事になるのなら自分が付けたいと思い球団に希望したと言っていた事を思い出します。

片岡さんは引退して昨年阪神のコーチに就任するまで道内のTV局の解説者としてファイターズの情報発信にも活躍して下さったのですが、金子選手や建山選手、高橋選手など恐縮しながらも笑顔で答えていて嬉しそうに見えました。

ファイターズが北海道に移転して8年目になりますが、子供達も成長し就職や進学、転勤で道外に住む者も増えています。これからもどんどん送り込みます(?)

いつか東京ドームでの巨人戦の応援が阪神戦のように半分がファイターズの応援で埋め尽くされるのが夢の一つですハハ
Posted by at 2011年05月07日 14:26
つい先程までファイターズの応援に夢中になっていました。お久しぶりです!

‥って、すみません!どなたでしょうか?ほらお名前がなかったもので^^;コメントを拝見しましても、かなりお詳しそうに見えるので凄く気になりますよ。

今はCS放送の普及などで全試合を見ることも可能ですが、昔はそういったものもありませんでしたからね。いつも新聞やスポーツニュースでわずかに取り上げられる情報源が頼りでした。それに比べたら、たとえ北海道に本拠を移しても映像を通じて、ファイターズナインの奮闘ぶりを目にし、毎度元気と勇気をもらっています。今日の二岡選手のホームランなんて泣きましたよ!これからそのことについてもちょっと触れてみますが^^お互いこれからも、もっともっと北海道日本ハムファイターズを愛し続けていきましょう☆
Posted by 羽夢 at 2011年05月07日 19:20
いつも更新楽しみにしております。
やはりオールドファンとしては、金子誠ネタだけで3日ぐらい語れますね(笑)。

田中幸雄の2000本安打達成が数少ない東京ドームでの試合だったのと同様、金子誠の1500本がかつてブルーウェーブにこてんぱんにやられたグリーンスタジアム神戸だったというのも、東京時代からのファイターズファンへの野球の神様からの粋な計らいだったように感じてなりません。
Posted by ばいきんまん at 2011年05月11日 14:37
ばいきんまんさん、いつもありがとうございます!

はい、幸雄さんの2000本安打達成は何か運命めいたものがありましたよね。でもさすがにその「野球の神様からの粋な計らい」は気付きませんでした(笑)たしかに金子選手がレギュラーに定着した1996年は随分BWには痛めつけられましたからね^^;それも有りなのかなって思います。2000本安打はぜひ札幌か東京で!
Posted by 羽夢 at 2011年05月12日 12:01
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