2011年01月08日

ブライアン・デイエット 【桜のあとの、花火‥】

1989年5月5日。21年前の子供の日、私は家族で東京ドームのオリックス戦を観戦しにきていた。それまで5連勝と勢いに乗るファイターズ、西武戦以外では珍しい5万6000人の大観衆を集めていた。

序盤からオリックス打線が爆発し、先発の津野は早々KO‥。いきなり6点のビハインドを背負った。家族、そして周囲のファンも、どことなく「今日はダメか‥」の空気が蔓延り始める。

だが、ファイターズにはあの男がいた。あの男が流れを変えてくれる!私はある選手に一縷の望みを託していた。


【きっと、デイエットならやってくれる!】


チームを退団する1991年までの4年間‥ これほどまでに長きにわたってブライアン・デイエットを置いていた理由が、私はよく理解できていなかった。NPB通算21本塁打のデイエットをなぜ‥。答えは単純、彼は4年の長期契約を球団と結んでいたのだ。私はこれを後に知る。育成目的以外では現在だったら考えられない契約内容で、複数年契約を好む外国人選手にとっては、なんともありがたい話である。そういえば当時の日本はバブルの絶頂期、野球界もこの恩恵をモロに受けていたようだ。来日前にカブスの主軸を担っていた時期もあったが、メジャーでそれほど実績を残しているわけでもない。そのデイエットがP・パットナムに代わる助っ人としてファイターズにやってきた1988年。当時、広いとされていた東京ドーム元年、新時代の大砲として迎えられたデビュー戦は華々しかった。

故障で出遅れたものの、4月20日の近鉄戦で初打席初安打、次打席では初本塁打と、満点デビュー。翌日の試合も本塁打を放って、今後の活躍が大いに期待されていた矢先、足の故障で再び長期の欠場を余儀なくされる。結局初年度は35試合の出場、本塁打4・打点13の低調な成績に終わった。同僚のT・ブリューワとともに、助っ人2人を欠いた打線は明らかに迫力不足で打率・本塁打はリーグ下位、チームにとっても痛すぎる離脱となった。


そして翌1989年。故障から復帰した4月25日の西武戦では渡辺久信からサヨナラ3ランを放って、またしてもド派手な「再デビュー」を飾った。そこから前年のうっぷんを晴らすかのように、デイエットは打ちに打ちまくった。


(左から打数-安打・本塁打・打点)
4/25  5-1  1  3 (サヨナラアーチ)
4/26  4-2
4/28  2-1  1  1
4/29  5-2    1              
4/30  3-1
5/ 2  5-2  1  1
5/ 3  5-3  1  2 (2試合連発)
5/ 4  5-2    1 (決勝打)


1軍復帰後からの2週間弱で打率.412、本塁打4、打点9。デイエットの猛打が炸裂する。またチームの勝利に直結する一打が多いなど内容もよく、当時の近藤貞雄監督をもってして『その場面で何が必要か、試合の読める選手』と絶賛していた。


【そうだ、デイエットまで回せ!!】


満塁から走者一掃のタイムリーを放つなど、この日も4打点の活躍。チームの大逆転勝ち、サヨナラ勝利に花を添えた。振りかえってみれば、デイエットが4年間で一番輝いていた時期でもあった。

他球団に研究されたか、または故障の影響もあったのか。以後は不振を極め、成績は下降線を辿っていった。ズングリとした体型、髭を蓄えた、いかにも人のよさそうな外国人。言葉では言い表せないような、どこかファイターズらしい助っ人‥

長打力不足は否めず、在籍していた任期の4年間で前述の期間を除いては目立った活躍もできず、後年は※1「第3の外国人選手」扱い。しかも最後の2年間はほとんどファームで過ごしていたため、ファンの間でもどちらかといえば「C級助っ人」の印象は拭えない。(※1 当時の外国人選手枠は2人まで)

日本では最後となる試合(1991.6/25 vs近鉄戦)で5番・レフトでスタメン出場するも首脳陣に期待に応えられず、あえなく「4タコ」。翌日から枠を争っていたB・ベイスと入れ替わり2軍へ降格した。突如現れて猛打を奮う日もあれば、いつのまにか消えいている‥。これもまた、デイエットの日本での野球生活を物語っていた。


最近、たまたま彼の映像を目にする機会が多く、デイエットの記憶がよみがえった。桜が散り始めた頃の猛打、それと筆者もその昔1/56,000だった超満員の東京ドームでの感動を呼び起こさせてくれた。優秀とはいえなかったかもしれない。筆者がその昔、愛用していたファミスタ、当時のFチームの4番・「でいえと」は一発が少なくて随分と泣かされたものだ。こんな思い出もまた、当時のファイターズを象徴しているかのようで、ある種のやすらぎを覚えるのは筆者だけだろうか。



応援歌もドリフの「いい湯だな」なんて個性的‥


※デイエット選手!う〜ん‥どこかの農場の親父みたいな顔していて味がありましたよね〜。知っている人にはいつもこれを言うてます(笑)あの当時はベイスしかり、シューもそうだし、なんか似たような外国人選手が多くなかったですかね^^;とにかく最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!最後の最後に ワンポチのご協力だけ、是非ともお願いいたしますにほんブログ村 野球ブログ 北海道日本ハムファイターズへ



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