2010年12月18日

【Always 後楽一丁目のオレンジ】 Ver.1989

私の友人でもある近鉄ファン、それから一部の「ハムマニア」だけに向けて発信しているかのような記事になってしまうことを、まずお許しください。最初に言っておきます。


ごくごく一部の方でも結構です。
この喜び、一緒に分かち合ってはもらえませぬか?


前回、究極のライバル対決【西崎幸広vs阿波野秀幸】と題した記事を書き、なかなかのご好評をいただきました。実はその記事のなかで紹介した動画に関連するもので、もう一度私が目にしたかった試合の動画を、運よく見つけることができたのです。

そこで今回は皆さまとともに、今から約20年前の懐かし映像を振り返りながら、一方的に私の思い出などを語っていきたいと思います。手抜き記事だと思われた方は、どうぞ私に退場宣告してください!それでも私は語りたい。東京日本ハムの熱かった時代‥



5/10 近鉄4回戦 東京ドーム 【津野浩、一世一代の快投】

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ハム狂」だった家の父親が試合後に思わず‥


『やればできるじゃないか!』


と唸っていたのを、昨日のことのように思い出します。あの仮面ライダーV3がいる猛牛打線を、わずか2安打完封!私は津野氏の高知商時代の投球はほとんど目にしたことがありません。ですが!同氏の野球人生において、この日が「ベストピッチング」だったといって、恐らく過言ではないでしょう。しかも全盛期の阿波野秀幸との投げ合いを制したわけですからね。地味に古屋英夫の決勝ホームランも光ってます。

もうひとつはそれまで好投していた西崎が最終回につかまって、羽田耕一にまさかまさかの逆転ホームランを浴びてしまった翌日の試合。この試合もよく覚えてますね。ブラウン管の前で呆然自失になってしまった羽夢、当時小学生‥。もちろんこの後、ハム狂が不機嫌になってしまったのは言うまでもありません(笑)


それと近鉄戦以外では以前の記事で触れたこともある、西崎の完全試合を阻止された清原和博の一発。


4/13 西武3回戦 西武球場 【西崎幸広、痛恨の一球】

該当の試合はTIME(4:05)から始まります。

あの清原でさえも当時の西崎をしきりに『いい投手』と言っているのだから、やはり西崎幸広は「イイ投手」だったのでしょう。ちなみに西崎のショックは、やはり相当大きかったのか。この次の回にはあのデーブ大久保にまで、ホームランを打たれてしまいます‥


※この動画モノというのは時にやっかいで(特にYOU TUBE系は)突如削除されていることもありますので、お早めにご視聴ください。なお、今後もハムのお宝映像を求めていきます。これからも応援の程、よろしくお願いいたします。「ファイターズランキング」


posted by 羽夢 at 22:03| Comment(9) | TrackBack(0) | 羽夢日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは。
これも懐かしい…。思いだしましたよ、この試合。阿波野投手が亜細亜大の先輩の古屋選手の一発に泣いた試合ですね。あの試合でバファローズを完封したのは津野投手でしたか…。それは失礼ながら忘れていました。

翌日の羽田選手の逆転本塁打は私のブログで以前に取り上げてますが、阿波野投手で落とした翌日というところに非常に価値がありました。
 最近思うのですが、バファローズ対ファイターズというカードは地味に(笑)記憶に残る試合が多いですよね。

 懐かしい記憶を呼び戻していただき、羽夢さんには毎回感謝です(笑)。
Posted by EILEEN at 2010年12月19日 21:31
EILEENさん、こんばんわ!
はい、羽田選手の記事は目にしたことがありますよ!なるほど、近鉄目線ならあの試合を取れたことは大きな意味がありますよね。阿波野で落として、西崎で連敗濃厚のところまで、追い詰められていたわけですからね。
そうでした!古屋さんは阿波野の先輩でしたね。忘れてました。こちらこそ思い出させてくれてありがとうございます(笑)

近鉄のいてまえ打線vsビックバン打線が有名で「乱打戦」のイメージが強いですけど、たしかにキラリと光った名勝負も数多く、この両チームの対戦にはありましたよね。柴田保さんのノーヒット・ノーランもそうでしたし、あの白井一さんの延長サヨナラアーチもそうでした(あ‥全部ハム目線ですね^^;)

>懐かしい記憶を呼び戻していただき‥

いえいえ、ひとつぐらいはこういうブログがあってもいいかなって(笑)
Posted by 羽夢 at 2010年12月20日 00:03
こんばんは。
ご無沙汰でございます。

ムチャクチャ偶然ですが、この動画に出てくる89年5月9日。日本ハム対近鉄 6対6だった試合!
私が唯一東京ドームに行って観戦した試合です。(中学校の修学旅行)
武田と小野の先発やったかと思います。
8 二村
4 白井
7 ディエット
D ブリューワ
3 大島
6 田中
9 中島
2 田村
5 古屋

のメンバーでした。
それまで藤井寺でしか観戦した事が無かった為、屋根がある東京ドームに圧倒された事を覚えています。

Posted by 奈良の大仏 at 2010年12月23日 00:34
奈良の大仏様、お久しぶりです。

そうですね。当時の日ハム戦は東京ドーム見物にもってこいだったんですよね。そんなにお客も入らなかったですし^^;ただ、修学旅行に野球観戦と言うのは野球ファンにとっては、むしろ酷だったようにも思えます。だって時間で言えば20時頃から21時頃、一番展開が気になる場面での「撤収」を余儀なくされるんですから(笑)

はい。東京ドームは他のドーム球場とは違い、独特な雰囲気がありますよね。ドームの気圧のせいなのか、開場当初は西崎投手も投げにくかったそうですし、息苦しさを覚えた選手などもいるそうです。ただ、私たち観ている側にとっては冷暖房完備で快適そのもの♪(売り子の可愛さもピカイチ)昔は通い詰めていたものです。

ふむふむ。9日はBuは小野投手が先発でしたか。ということは小野・阿波野・山崎と、ファイターズ戦に3本柱をぶつけてきたことになるんですね^^;それなら1勝1敗1分で御の字だったのかな。スタメンまでありがとうございます。二村さんがトップ!あまり俊足だったイメージはありませんが、センターを守っていたんですね。鈴木慶が故障か何かしてその代役だったっけ‥。少し記憶が定かではありませんが、個人的に幸雄さんと打順を入れ替えても面白いかなって思います。
Posted by 羽夢 at 2010年12月23日 20:11
はい。そ〜なんですよ。一時間半ぐらいの観戦で、途中退場でした(笑)。それも、何時も見てる近鉄戦かよ!って感じでしたが、藤井寺と違い(トランペット禁止)やはり本拠地での応援は格別でした。
一番は何故か二村でした。鈴木は途中出場したのかどうかは忘れました。

ちなみに、近鉄は…

4 大石
D 栗橋
7 ブライアント
5 リべラ
8 淡口
9 鈴木
3 村上
2 山下
6 真喜志


のメンバーでした。
ブライアントには、よく打たれましたよね〜。

Posted by 奈良の大仏 at 2010年12月25日 00:46
羽夢さん、
一勝一敗一分けで御の字なんていっちゃいけません(親父様に根性入れ直してもらいましょう)。津野投手で阿波野に勝って、こちらは西崎、さぁ連勝だと行くのが真のファンですし、そこで負けたらえらく不機嫌になるのは当然ですし、私も不機嫌になっていたはずです。(「馬鹿者―、何をやってるー」とニュースの前で叫んだかどうかは定かではありませんが)。
1989年は仰木監督がマジシャンと呼ばれる前にマジシャンと呼ばれた近藤氏が監督になり、ドーム元年(かつ私は受験も終わり)ということで、優勝を期待してドームにしばしば足を運んだものです。この年と90年のファイターズは100試合病と呼ばれ、夏場以降急激に成績を落としていました。8月に長期のロードがありましたが、この2年はなぜか非常に極端だったようです。
西崎痛恨の一発のほうはまだ完全に憶えてますよ。あの時私は通学の帰りで、電車の中でウォークマンでラジオの中継を聞いていましたから。その後西崎投手はノーノーをやりますが、それまで随分時間がかかりましたよね。
Posted by たけ at 2010年12月25日 06:44
奈良の大仏様!またまたありがとうございます。

あれから考えてみたら二村さんの一番起用は相手が小野投手ということで、対左投手対策のためだったかもしれませんね。左には滅法強いお方でしたから!

これは!近鉄のオーダーまで!!

ふむふむ、栗橋選手が2番ですか!なんかこう、仰木さんらしいというか(笑)たしか西崎さんの時も羽田選手がクリーンナップを打ってたのかな‥。敵ながら味のある采配をされる監督さんです!

はい、ブライアントには良くやられましたね。私は彼の来日1号を東京ドームで観た記憶があります。ブラ砲しかり、当時からドームは打球が飛ぶ球場だったのでしょうか。これを見ると大石選手辺りにも、スタンド上段まで持っていかれてますよね(笑)
Posted by 羽夢 at 2010年12月25日 21:19
たけ様、いつもありがとうございます。

はい、おっしゃる通りです。西崎さんで連勝を目論むのは当然、それに最低でもカード勝ち越しをしなければ、順位なんか一向に上がってきませんもんね。自分自身に『喝』です(苦笑)

>100試合病

むむむ!たけ様を含めまして、ここにいらしてくれる方は本当に詳しい方ばかりで!私も感無量です。はい、たしかに近藤監督はそのようなことを言われてました。この89年も100試合くらいまでは勝率5割付近を行き来していたんですよね!でもその後、結局ズルズルいってしまい、借金20近くまでかさんでしまったんですけど‥(泣)90年はもうちょっとだけ、粘ってましたかね。

近藤監督は大洋時代もそうでしたけど、機動力野球を重要視されていましたよね。ただ、いかんせん‥当時の日ハムには走れる選手があまりいなくて(笑)白井一さんは走った方だけど、結構失敗も多かった気がします。あと大砲不在!よくこれを嘆かれていましたよね。頼みの外国人選手がデイエットやベイスでは‥(笑)そうえいば一時期、本気でヤクルトのパリッシュを狙いにいってましたっけ。
Posted by 羽夢 at 2010年12月25日 21:50
http://probaseball.ojaru.jp/NPB1989-p-record.html
で確認すれば分かりますが、1989年のこの近鉄三連戦の頃、ファイターズはまだAクラスで近鉄と2位を争っていたんですよ(ですから、くどいようですが一勝一敗一分けで御の字などとはいわないように)。段々思い出してきましたが、近鉄を叩いて2位浮上だというところで、西崎が9回に打たれて逆転負けで、「こりゃー今年も駄目かも」と思ったような記憶があります。
Posted by たけ at 2010年12月30日 07:35
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