その智弁学園高出身。そこから法政大、社会人・東芝へと渡り、1979年のドラフト1位。まさに野球界のエリート街道を歩んできたともいえる、元ファイターズ戦士・ 高代延博(たかしろ・のぶひろ)
入団1年目からレギュラーとして活躍。遊撃手としてゴールデングラブ賞を受賞、2年後のリーグ優勝にも貢献した。打順は主に2番を任され、身長168cmの1番・島田誠との 【ちびっこ1・2番コンビ】は、当時の日ハム打線の象徴とも云える存在だった。(高代の身長は公表170cm)
1989年に法政OBの山本浩二新監督が待つ、広島へと移籍も同年オフに現役を引退。翌年、同球団のコーチに就任した。ひょっとしたら戦力としてよりも、早い時期から高代の指導者としての資質を、山本は見抜いて可能性もある。以後、中日やロッテのコーチを歴任、2002年には古巣・日本ハムにも復帰をはたしている。
現役を退いてからもう20年以上経過し、2009年にはWBC日本代表の内野守備走塁コーチも務めているので「名3塁コーチャー」としての方が、なじみ深い人も多いかもしれない。
そのWBCでの記憶と記録‥ 電話で原辰徳監督からコーチ就任を要請された日から、世界一に上り詰めるまでの146日間を一冊の本に書き記した、高代延博著 【WBCに愛があった。】
![]() | WBCに愛があった。三塁コーチが見た侍JAPANの知られざる感動秘話 |
高代 延博 | |
ゴマブックス |
実際に「日本代表」として帯同していた者、ならではの視点‥
例えばイチローが、一見何でもない外野飛球を落球したことでメディアは色々と書きたてていたが、本書を目にし「真相」を知った。
3塁コーチャーとして‥
打球方向・守備位置・相手選手の肩、それこそ0コンマの世界のなかで直面する、あらゆる状況を読みながら走者に的確に指示を出す、高代eyes‥
日の丸を背負った男の「現場」の声、栄光をつかむまでの苦悩・葛藤・歓喜、そして「愛」があった。真の野球人が綴る本書に出逢えたことを嬉しく思い、シャンパンファイトではファイターズ時代の記憶に想いを馳せた、高代がOBであることを誇りに感じる。
ちなみに‥ グラウンド上では威風堂々とした高代コーチの苦手なものが、「幽霊」だそうだ。
※同じく高代氏を誇りに感じる方、いや高代氏は日本代表の誇りだ!という方、いえ私は高代氏を愛してる!‥(笑)という方は是非 ワンポチのご協力、よろしくお願いいたします ⇒
