松井秀喜選手が星陵高校時代にもっとも影響を受けた投手として、
ファイターズ・ドラゴンズで活躍をした、上田佳範(うえだ・よしのり) の
名を挙げているのをみて、少し驚いてしまった。
ゴジラも一目を置いた、「投手」 上田佳範‥
松商学園時代はエースとして1991年春センバツ準優勝、夏はベスト8。
なかでも四日市工業・井手元投手との延長戦での「激投」は高校野球
ファンの間で今なお、語り草となっている。
またイチロー・中村紀洋ら一流選手を多数輩出している「1973世代」の
代表格として、当時アイドル的な人気を誇っていたのが上田。
甲子園で投手・鈴木一朗にも投げ勝った、長野の英雄はその年の秋、
ドラフト1位でファイターズに入団。入団発表の席では「200勝宣言」を
していたが、入団早々にヒジを痛めてしまい、1軍での登板機会はなし。
そして2年目の1993年、高校時代から定評のある打撃を生かすために、
野手に転向した。


転機は4年目の1995年。上田利治氏が新監督に就任すると、若手の
井出竜也らとともに、積極的に起用され続けた。
当時、打撃に関してはまだ「未完成」で凡打を繰り返してしまったが、
随所で故郷の長野でプロ初本塁打を記録するなどといった、もって
生まれた「華」も感じさせてくれた。
1997年には広角打法を身につけ、打率3割をマーク。そして「元投手」
らしい、強肩を生かした外野守備は大いに戦力となって、レギュラーを
つかみかけた時期もあった。 が、それも長続きはしなかった。
春先は打撃好調も後半尻すぼみといった、好不調の波が激しい打撃が
ネックになってしまった。特にファイターズでの晩年は信じられないような
打撃不振に陥り、長い2軍生活も経験‥
対象的に甲子園では完璧に封じこんだイチローが、メジャーリーガー
としての道を歩み始めた。あの夏のことは、互いにもう振り返りたくは
ないという。同級生の輝かしい栄光を横目に上田とイチローとでは、
またまったく違った「意味」があることは、明白だ。
見え隠れする、互いのプライド‥
しかし、イチローにも負けていないものがあったとするならば、やはり
全盛時代に「鉄壁」を誇っていた外野守備。主にライトを守っていた
ニヒルな姿は、今でもファイターズファンの脳裏に焼き付いている。
◆ 投手として、ドラフト上位での入団‥
◆ 広い守備範囲、さらには強肩‥
◆ 右投げ左打ち、入団早々に野手転向‥
今をときめくファイターズのスピードスター・糸井嘉男と符合
している点は、結構多い。現在その糸井と形成している球界
でも最強と名高い、稲葉・森本との外野手トリオ。
それに匹敵していたのでないかと、コアなファンの間でまこと
しやかにささやかれているのが、上田・井出・本西厚博トリオ。
(1999年形成)
井出の快速、本西の巧み、そして上田の強肩‥
それぞれの持ち味が違っていて、今のような派手さはないが
首脳陣にも、投手にも、見ているファン、皆に安心感を与えた。
甲子園を沸かせた元球児は、ファイターズでもたしかな足跡を
残して、現在はドラゴンズで2軍コーチを務めている。
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※もっと×2!ファイターズの歴史と、このブログをファンの方に知ってもらわねば
なりません!どうぞ皆さまからの温かい『一押し』を、よろしくお願いいたします。
確かに上田さんと糸井は何か似てますね☆
でもやっぱ守備範囲等の事を考えると
よしおの方が上かなって気がしますね♪
っていうか井出とか懐かしいですな!!
2003年辺りはよく観に行ってたのですが
木元や奈良原、エッチェバリアを思い出しました。
あっ、DTもね☆
そうですね!上田さんと比べると、肩は互角として糸井の足と打撃は
特A級ですからね^^;
ほ〜!これまた懐かしい。DTきましたか!(笑)
名前は結構インパクトあったんですけどね。
エンジェルもバッティングはまずまずでしたけど、死球の影響からか、
故障がちだったのが玉に瑕でしたかね〜。
木元さんはいまどこで何をされているのでしょうか‥