2010年06月13日

高橋憲幸 【悲劇のサウスポー】

ファイターズにとって1997年は「摩訶不思議」なシーズン序盤戦だった。
開幕からいきなり6連敗を喫して、リーグで10敗一番乗りしたかと思えば、
4月20日からは逆に7連勝を飾って、10勝もリーグで一番乗りをするという、波乱万丈の幕開け。

しかも、この連勝期間中にはパ・リーグでは史上初となる、同一カードに
よる「サヨナラ3連勝」が含まれていた。22日からの本拠地でのホークス
3連戦はすべてファイターズのサヨナラ勝利によるもの。

まず初戦を伏兵・藤島誠剛のサヨナラ2ランでモノにすれば、2戦目は
延長11回に田口昌徳が左前へサヨナラ安打。3戦目も延長10回、一死
満塁から、この年移籍してきたばかりの落合博満が放った3塁ゴロを
ホークスの三塁手がまさかの、まさかのトンネル!これで労せずして
3塁走者が生還し、神がかり的な奇跡のサヨナラ3連勝となった。


このうち2勝を挙げて「トリプル・サヨナラ」を演出、大貢献したのが当時
ルーキーだった左腕・高橋憲幸 (たかはし・のりゆき)


       N.takahashi
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初戦は2回2/3を、3戦目は3番手として登板し、3回を無安打無失点投球。
完璧な火消しぶりで、終盤の逆転劇を呼び込んでいる。地味ながらもこの
3連戦「投」のMVPは紛れもなく、高橋憲だった。

直球は140キロに満たないながらも、左打者には絶大な威力を発揮した
落差の大きい「スクリューボール」を軸に、00年代前半まで貴重な左の
セットアッパーとして活躍。

特に下柳剛の先発転向後は「左殺し」に、高橋憲の名は欠かせなかった。
ヒルマン政権後も重宝され続けたが、あの「事故」でその後の野球人生を
一変させてしまった...

04年、自転車から転倒。左頬骨骨折と左肩鎖骨脱臼の重傷を負う。
とはいえ、以後その名がフッツリと聞かれなくなってしまうことになる
なんて、誰が予想できただろうか。

事故直前の4月16日からのマリーンズ3連戦では2ホールド。李には
伝家の宝刀「スクリュー」で三振に斬ってとるなど、好調を維持して
いただけに本人の不注意とはいえ、何とも悔やまれる。


あの事故さえなければ---


左殺しのスペシャリストとして、近年の常勝ファイターズに名を連ねて
いたことだろう。現在は社会人時代の古巣・日本石油で後進の指導に
当たっている。


≪試合≫272(すべてリリーフ) ≪勝利≫9 ≪敗戦≫10 ≪防御率≫3.94


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