成し遂げた大投手達の名が登場してくる。例えば今回の連続イニ
ング無失点記録‥
残念ながらダルビッシュの記録は31イニングで途切れてしまったが、
従来の球団記録保持者は35回イニング連続無失点‥米川泰夫という、
ファイターズの前身、東映フライヤーズ時代の投手だった。
記録達成時が1954年のこと。もう半世紀以上前の話で筆者はもちろん、
米川さんの現役時代を知る者は、そう多くないだろう。
平成の大投手・ダルビッシュ有でも及ばなかった記録を持っている
米川泰夫は一体どんな投手だったのか。今となっては実際に彼の
投球を目にしたことがある人からの伝来や、資料でしか確認できる
術はない。
そんな一度目にしたかった『伝説の投手』 が、野球ファンなら一人や
二人、必ずいると思う。あなたならどんなピッチャーが脳裏に浮かんで
くるだろうか。
ファイターズ(フライヤーズ)なら、
白木義一郎‥ 尾崎行雄‥ 土橋正幸‥ 木田勇‥ 不知火守(?)
あるいは江本猛紀(元政治家)、八名信夫(俳優)なんかも、また違った
意味で興味はある。
十人十色、返ってくる答えは人によって様々だと思うが、個人的に
筆者が一番見てみたい投手は 小川健太郎。(おがわ・けんたろう)
かの有名な「背面投げ投法」で強打者・王貞治に立ち向かったという
逸話を持っている投手。実は最近知ったのだが、小川も東映OB。
1954年に東映でプロ入り後、制球難がたたってわずか2年で解雇。
その後、社会人野球などを経て64年に中日ドラゴンズに入団。
プロでは9年間のブランクがありながら2桁勝利を5度、うち20勝を
2回も記録するなど、まさしくエース級の活躍をみせた。
東映で芽が出なかったのは残念だが、アンダースローから繰り出された
豪速球とともに、 「いったん浮き上がって沈む」 と形容された、魔球・
シンカーの切れ味など、つくづく一度お目にかけたかった投手である。
その小川も1995年に逝去。
過去に色々あったが今はドラゴンズの英雄となり、球史に名を刻んでいる。
※もっと×2!ファイターズの歴史と、このブログをファンの方に知ってもらわねば
なりません!どうぞ皆さまからの温かい『一押し』を、よろしくお願いいたします。
小川健太郎さんについてはわたしのマイミクでもある中村素至さんの
『もうひとつのフィールド・オブ・ドリームス ― 伝説のエース小川健太郎物語』という
ノンフィクションがあります。ご一読ください。
分かりました!是非読んでみますね☆情報ありがとうございました。