2010年05月16日

武田一浩 【燃える男】

中日・阪神で監督を歴任、北京五輪では日本代表の監督を務めた
星野仙一氏の野球と向き合うその姿勢に、現役時代から「激情家」
「燃える男」などと、呼ばれることがあった。

そんな熱い「魂」を受け継いだかのような「燃える男」が、星野氏と
同じ明治大から昭和の末期、ファイターズに入団してきている。


1987年ドラフト1位 武田一浩 (たけだ・かずひろ)


彼の名を見てフッと脳裏によぎったエピソードは、いつかの契約更改
後の記者会見。 球団側の提示した金額によほど不満があったのか、
ボストンバックを叩きつけ、怒りを露わにするの武田の姿‥

「激情型」の武田は常に真っ向勝負。打者に向かっていく、その闘争心
むき出しピッチングに、当時の近藤貞雄監督は『守護神』としての適性を
見出し、これが功を奏した。1990年、日本新(当時) となる12試合連続
セーブ記録をマーク。

「燃える男」は一旦乗せると、もう誰にも止めることができない。


1989年の雄姿‥


8月2日の西武戦でプロ入り初完封勝利。次戦では近鉄のエース・阿波野
秀幸
とのしびれるような投げ合いに勝ち、連続完封。3試合連続を狙った
金沢のロッテ戦では8回まで無失点投球も9回に失点‥ 無念のサヨナラ
負けを喫する。一度火が消えた「燃える男」は次の登板で、いとも簡単に
KOされてしまう辺りが、また「らしい」。

マウンド上での振る舞いは「豪胆」そのものだったが、投球スタイルは、
打たせて取る、どちらかといえば技巧派タイプ。ストレート、変化球を
コーナーに集め、得意のフォークボールで凡打の山を築いていくのが
武田の持ち味だった。


個人的に武田一浩の登板ゲームで印象深く、思い出に残っているのが
優勝争い真っただ中で快投ショーを演じた93年8月、西武との一戦。

天王山の初戦を任され、王者相手にもひるむことなく立ち向かい、9回
2死から得点を許して完封こそ逃したものの、堂々の完投勝利を飾った。

52,000の大観衆‥ ここでの先発を以前から望んでいたという武田は、
いつにも増して「燃える男」となっていた。


k.takeda


武田ような投手は当時の大沢啓二監督は好き好んだタイプだろう。
監督が変わった95年は調子は良かったものの、首脳陣との確執から
1軍での登板はわずか2試合に終わり、オフには福岡ダイエーに放出。

その悔しさをぶつけるかのように、ダイエーでは先発の柱として活躍した。
中日では生涯唯一となる優勝も経験。更に巨人移籍後は、交流戦が始まる
前としては珍しい、セパ12球団から勝利を挙げるといった記録も持っている。



全盛期・武田一浩VSバリー・ボンズ!

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炎のストッパー・武田一浩VSケン・グリフィー・ジュニア!

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88〜94日本ハム 95〜98福岡ダイエー 99〜01中日 02巨人
 
341試合 88勝99敗31S 投球回1517 2/3 奪三振1008

91 最多セーブ 98 最多勝利
この記事へのコメント
ボストンバック・・・なつかしすぎ(笑)

今NHKで解説してますが

ピッチングのイメージと違うのは気のせいでしょうか??


結構、当たり障りの無い解説という印象です。
Posted by あつ。ゆー。みー at 2010年05月18日 00:49
あつ。ゆー。みーさん、こんばんわ!
NHKの解説者になったのは、少し意外でしたね。やはりこういった辺りにも、最後に在籍した「巨人ブランド」が効いてるのでしょうか^^;
たまたま機会がなくて、私は彼の解説を聞いた記憶がほとんどありません。聞いてる方からしてみたら、当たり障りがないのが一番ですよ!
Posted by 羽夢 at 2010年05月18日 21:28
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