2010年03月27日

裏・外国人選手列伝 【日本ハムファイターズ版】

今年入団したファイターズのボビー・ケッペルブライアン・ウルフ
バディ・カーライル「助っ投」三人衆がオープン戦での好投で、
開幕前から評価を高めていた。筆者はファーストネームを文字り、
個人的に彼らを 「3B」 と呼んでいる‥(?)

開幕3戦目を任された期待のケッペルは、わき腹に違和感を覚えて
あえなく1イニングで降板となってしまったが、「3B」きってのナイス
ガイだけに、早期の復帰を願いたい。

ファイターズの外国人といえば、実は筆者も90年代以降で実際に
目にしたことのない選手が3人、存在している。これから挙げる3選
手は相当な「通」でなければ存じていないと思うが、そんな「助っ人に
なり得なかった」外国人選手たちを、今宵は少しだけ振り返ってみる。


一人目は94年に在籍していたフランク・カンポス投手。背番号『42』

外国人枠の関係と(当時は3人)元々育成の意味も兼ねての獲得だった
ので即戦力として期待されていたわけではないが、開幕早々に肘を故障
してしまい、5月中旬には早々と見切られてしまう。

2軍戦でも登板する機会がなかったので、どんな投手だったのか‥。
今となってはほとんどデータが残っていない。エピソードとしては当時の
大沢啓二監督に「カンポスではなくポンカスだった」などと、酷評されて
いたことだけが、悲しく印象に残っている。


二人目は97年に在籍していたビリー・レイ・ムニョス。背番号『68』
内野手。188センチ、98キロ‥ いかにも打ちそうな、立派な体系の
持ち主。また同年入団した林田堅吾とはアリゾナの短大で一緒だった。

鋭い打球を連発するムニョスのバッティングが首脳陣の目に止まり、
入団テストに合格、22歳でファイターズに入団した。彼もまた「育成」
重点を置かれた選手だったが、得意としていたはずの打撃でも思うような
成果が残せずにファームでも20試合のみの出場と、結局この年限りで
退団した。


       b.munoz
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三人目はこの中で唯一1軍の試合出場経験のある、ラモン・フランシスコ・
タティス投手。2000年途中にファイターズに入団。背番号は『53』

一軍戦に登板したことがあるといってもわずか1試合。その時の内容が
悲惨なもので、打者9人に3安打4四球‥ 2アウトしか取れずに降板‥。
防御率はなんと、54.00。見るまでもなく、数字の上からもこの選手が
大体どんな投手だったのか、容易に想像がつく。 恐らく球はそれなりに
速いが制球難‥ といったあたりだろうか。

次の登板機会を与えられるはずもなく、オフには解雇。これで「浅草観光を
してきた」なんて言われた日には、まさしくあの害人‥ いや、あの外国人と
オーバーラップしてしまう(苦笑)


◆今回は1990年以降の選手を取りあげてみたが、本来ファイターズは
優秀な外国人獲得には定評がある。他球団に比べたら「失敗」は少ない
方だが、2000年以降はやや助っ人探しにも苦戦していた。今季は3Bの
力を結集して、チームを連覇に導いてもらおう!

※この選手達の情報や、その後を知っている方がおられたら是非ご一報ください。

※もっと×2!ファイターズの歴史と、このブログをファンの方に知ってもらわねば
なりません!どうぞ皆さまからの温かい『
一押し』、よろしくお願いいたします。


posted by 羽夢 at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | FS特別企画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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