2010年02月08日

中島輝士【鮮烈‥そして、意地の一発】

ファイターズには昔からデビュー戦を華々しく飾る選手が多い。

プロ初登板を完封勝利で飾った、芝草宇宙中村隼人
ルーキーイヤーの開幕戦にいきなり猛打賞をマークした大貝恭史
デビュー戦、初打席初本塁打のM・イースラーM・マーシャル

悲しいかな、その後は泣かず飛ばずといった現象が見受けられて
しまうのも特徴的ではあったりするのだが‥。デビューにまばゆい
ばかりの輝き放っていた男なら、この選手も負けてはいない。

『新人選手・開幕戦・サヨナラ本塁打』

これは長いプロ野球の歴史の中で過去2人しか記録していない、偉業。
初っ端から、このとんでもないことをしでかしてくれたのが 中島輝士
(なかじま・てるし) 背番号『』 佐賀県出身 

まずはテルシーこと、中島が放った『奇跡の一発』から、振りかえって
みよう。


時は1989年。年号が平成となって初めて迎えたプロ野球。開幕日の
4月8日は全国的に雨模様でセ・パ3試合が雨天中止となった。
パ・リーグはドーム球場で行われる1試合のみ。前年に発足したばかり
の新生・福岡ダイエーホークスを、ファイターズが地元で迎え撃った。

4−4で迎えた9回裏1死1塁の場面。迎えるのはルーキーながら7番・
ライトでスタメン出場をはたした、中島。山内孝徳の内角高めの直球を
フルスイングすると、打球は左翼席最前列に飛び込む劇的なサヨナラ
ホームラン。新人選手の開幕サヨナラ弾は南海の穴吹義雄以来、33
年ぶりの快挙となった。

打球を見届け、1塁ベース上で派手にガッツポーズを決めていた中島。
その姿に、輝かしい未来を予感させた。12日には西武・渡辺久信から
早くも2号をかっとばし、このまま一気にいくかと思われた。しかし、アマ
チュア時代に全日本の4番を務めた男も、その後プロの分厚い壁にぶ
ち当たってしまうことになる‥


『全日本の4番』


野茂英雄古田敦也野村謙二郎ら、豪華な顔ぶれが一堂に集結した
1988年のソウル五輪。この兵揃いのチームの中で4番を務め、銀メ
ダル獲得に貢献した。そして、その年のドラフト会議でファイターズが
交渉権を獲得。球団史上最高額となる契約金、(当時)まさに鳴り物入
りで入団した。

26歳での遅いプロ入り‥。 長いアマチュア生活で培われた、金属から
不慣れな木製バットへの対応‥。後年中島が伸び悩む要因ともされた。
ようやくオリンピックの時のような、シュアな打撃を披露し始めたのが4年
目の1992年。この年、中島は初めて規定打席に到達して打率.290を
マーク。ベスト10入りを果たす。

もともと長打力も兼ね備えていたが、デビュー戦以来といってもいい、
『ホームラン』で再び大衆を魅了してくれたのが、あの年だった‥ 



1993年9月10日。ちょうどこの頃、ファイターズは西武ライオン
ズと激しい首位争いを繰り広げていた。首位・西武を1ゲーム差で
追う2位・ファイターズの直接対決第1R。1回表、ファイターズは
いきなり2死満塁と、西武の先発・郭泰源を攻め立てる。

この絶好のチャンスで打席に迎えたのが、6番の中島。この日の
中島には燃えるような気迫がみなぎっていた。

【もう、同じ過ちは繰り返すまい】

伏線は1週間前のオリックス戦。同じく満塁のチャンスで回ってきた
打席で初球の甘い球を見逃し、最終的には難しい球に手を出しての
投ゴロという結果に終わってしまう。チームに来ていた流れを一瞬に
そいでしまう、その消極的な姿勢に大沢啓二監督は怒り心頭。中島
は翌日からスタメンを外されてしまう。

【今度こそは‥】

初球から積極果敢に振りにいく。ファウル!そして、カウント2−1
から郭が投じた4球目‥ この日唯一ともいえた、失投を見逃さず、
打球は左翼席へ突き刺す先制のグランドスラム。意地の一振りで
ファイターズは大事な一戦に勝利を収め、中島は勝利の立役者と
なった。


身長186cmの巨漢ながらスリムな体系‥打席でのたたずまい‥
それと、まるで何かを悟ったかのような顔立ちは、いかにも『何か
やってくれそう』な雰囲気を醸しだしていた。

この様が、時に【殿様】呼ばわりもされたり、首脳陣からは『覇気が
感じられない』と、なじられることも多々あった。しかし、ファンには
【輝士】だなんて一度聞いたら忘れそうもない、その格好良すぎる
名前といい、残した数字以上に記憶に残る選手となっている。


≪通算成績≫89〜95日本ハム 96〜98近鉄
試合651 安打453 打率.251 本塁打52 打点225


この応援歌‥好きだったなぁ♪ 『アイヤ!アイヤ!』

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この記事へのコメント
羽夢さん、こんばんわ。
まず、動画についてですが、よくこんなの残っていたなぁと感心しました。懐かしいですね。
さて、中島選手ですが、ファイターズのこの頃とった選手は伸び悩んだ選手(上岡投手、矢作選手etc.etc.)が多く、当時私はスカウトは何をやっとるのか(特に中島選手の翌年のドラ1の惨憺たる結果を見て)思っていたのですが、中島選手も伸び悩んだ一人でしたね。
私は彼の不幸は使われ方が中途半端だったということにあるのではないかと思っています。92年に1塁に固定された時はそこそこ結果を残し、中島覚醒かと思ったら、93年からはシュー選手にファーストのポジションを奪われてしまいました。中島選手を中軸として育てるのであれば、ファーストに固定したままにしておいたほうがよかったのではないかなと(シュー選手も決して嫌いではないのですが)。選手には少ないチャンスでもものにする選手とある程度長期間使ってやらないと伸びない選手がいますが、覇気のなさから佐賀の殿様といわれた中島選手は後者に属するのではないかなと思っています。
話題がずれますが、動画にいぶし銀小川選手が出ていますね。彼はチャンスに強く、ヒットを打つ技術も高く結構気に入っていた選手でした。次回は是非小川選手を取り上げて下さい。また中島選手と同期入団の鈴木選手も結構渋い活躍をした選手だと思います。鈴木選手も是非取り上げて下さい。注文ばかりになって申し訳ありませんが(^^;)、今回はこれで。
Posted by たけ at 2010年02月09日 07:46
たけさん、いつも熱いコメントありがとうございます!

アハハ‥^^;もしかして中島選手の次の次のドラ1のことですかね?S選手!個人名を出さない辺りに、たけさんの品の良さがうかがえます。(笑)

私もこの動画を見て、小川選手が小田智之の応援歌であったことを初めて知りました!タイプ的にも少し似てますしね。さすがはファイターズの選手を良く見てきている応援団の方々!やっぱり歌詞はこうなんですかね?『頑張れ、頑張れオ〜ガワ♪』(笑)

さて、本題の中島選手!確かに不遇な面もありました。入団時は外国人がDHに入るとして、1塁にはベテランの大島選手もいましたし、外野ぐらいしか守れるポジションがなかったですしね。

それにしても、かつて上田利治氏が監督就任時に中島を見て『特A級』と言わせるほどの素質の持ち主でしたからね。もう少し化けて欲しかったのも、本音なところです。

鈴木慶裕選手は中島選手とセットで良く覚えられていますよね!皮肉にもブレイクした年も一緒でしたし。(笑)エピソードで言うと、小川選手の方が豊富でしょうか。ご期待に応えられるよう、頑張ってみます。‥もしかしたら英雄列伝ではなく、特別企画の括りの中で取り上げるかもしれません。『いぶし銀列伝』みたいな?(笑)
Posted by 羽夢 at 2010年02月09日 21:27
そうですS選手、次の次のドラ1でした(苦笑)。私も書いた後気づきました。中島選手の次のプリンスの四番。
中島選手が入った時は、その前のプリンスの4番であった近鉄の石井選手のように活躍してくれることを私も望んだのですが、やはり野生性の差ですかね。

小川選手の応援歌は私の憶えている限り
「広角打法の小川
 ライト、レフトへ、センターへ
 勝負強さを見せろ
 打て〜よ、小川〜」
 でした。
Posted by たけ at 2010年02月12日 07:30
MIXIから来て早速ブログを読ませてもらいました

懐かしいです!!

実はこの2試合リアル観戦しています。


最初の開幕サヨナラホームランは私が中学生の時、西崎さん目当てで行きました。
西武球場のときは優勝がかかる大一番で高校生で制服着て、レフトスタンドから「かっとばせ〜て〜る〜し〜」と言っていましたね(笑)
あのホームランで勝った!と思っていましたよ。


殿様(大笑い)そんなことも言われていましたね。

確かに一度聞いたら忘れない名前ですよね(笑)
Posted by あつ。ゆー。みー。 at 2010年03月19日 00:04
あつ。ゆみー。みー。さん、ご訪問ありがとうございます。
あの頃球場に行かれていたんですね!当時は女性のファイターズ
ファンってあまり球場で見掛けなかったものですが、今札幌は凄い
ことになってますよね〜。今後ともよろしくお願いいたします☆
Posted by 羽夢 at 2010年03月21日 01:18
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