2010年01月31日

島崎毅【新進気鋭】

今シーズンから北海道日本ハムの1軍投手コーチに就任した島ア毅
現役時代は実働期間こそ短かったが、当時の守護神を担っていた金石
昭人
に繋ぐまでのセットアッパーとして活躍。

数字には表れにくい中継ぎ投手の価値と評価を見直そうと、1996年
から新設された最優秀中継ぎ投手賞(現・最多ホールド)その初代タイ
トルホルダーに輝いたのが、この島アだった。

スリークウォーターから投げ込まれる速球、左右にカーブ・シュートを
散らして、得意としていたパームボールで打者を翻弄。通算の防御率、
3.09が示しているように、その安定度は当時のファイターズ投手陣の
中においても、際立つ存在だった。


      takeshi shimazaki
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ファイターズ入団から3年間、1軍での勝ち星がなかった島アが95年、
上田新体制になると中継ぎとして活路を見出し、9勝3Sをマーク。タイ
トルを獲得した翌96年はオールスターにも選出され、勝利投手になる
など一躍スターダムにのし上がった。

現在のように確固たる分業制は敷いておらず、勝ちゲームはもちろん、
同点の場面、あるいは僅差ならリードされている場面からでも登場し、
時に2〜3イニングのロング救援をこなすことも、ざらだった。

結果、95年からの3年間はトータル154試合、273イニングも放った。
これは現在、クローザーとして活躍中の武田久が中継ぎ時代の06年
からの3年間に投げた217回1/3イニングをはるかに上回る。いかに、
この3年間で島アが良く投げていたのかが、分かる数字だ。


やはり、その代償は大きかったのか‥


98年途中、好調だった夏場に突然、腰を痛め長期離脱。その年の
オフ、中日へまさかのトレード‥。事情は色々あるのだろうが、1ファ
ンから見ていて故障した島崎をまるで『お払い箱』のように放り出して
しまった、球団の対応にはショックだった。


しかし!勝っても負けても、いつも潔かった島ア‥


気持ちの切り替えは早かった。まったく根に持つような素振りも見せず
ファイターズの2軍投手コーチとして2002年から『カムバック』してきて
いる。  

2010年は加藤武治木田優夫らの加入で中継ぎ陣は厚みを増した。
梨田昌孝監督も中継ぎ以降のピッチングスタッフには自信があるような
言葉も口にしていた。その強力ブルペン陣を束ねる、新任の島ア投手
コーチ。

まだ42歳と若く、選手の良き『兄貴分』としてフレッシュな指導を期待
したい。社会人時代にゆかりのある北の大地・北海道で島アの新たな
挑戦が始まった。


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※記事タイトルは文字化け防止の為、『島崎』と表記。正確には島です。
※社会人時代はNTT北海道に所属。


この記事へのコメント
島崎投手。本文中にもある通り、彼はよく投げました。それが新設された最優秀中継ぎとして報われて良かったですよね。

当時のファイターズ投手陣で誰よりも頑張った(と私は思います)彼が、イチローにサヨナラ安打を浴びて目の前で胴上げを見せつけられてしまうという…。
勝負の世界はどこまでも非情ですね。

それにしても金銭トレードであっさり放出。不可解でしたね。
Posted by EILEEN at 2010年02月01日 00:19
EILEENさん、こんばんわ^^

非情‥ですけど、実際あのような切羽詰まった場面で投げさせられたのは、彼ぐらいしかいなかったというのも実情でしたし、難しいところですね。

はい!当時の島アさんの貢献度はナンバー1ですよ。結局、金石さんもあの時はすでにベテランの域に達していたので、ほとんどが最終回の1イニング限定とかの登板も多かったですし、ある程度島アさんや下柳さんを引っ張らざるをえなかったですからね。それでいて、あの安定感を誇っていたんだから大したものです!

今季はご自身のようなタフなピッチャー育成を、期待します。
Posted by 羽夢 at 2010年02月01日 01:06
羽夢さん、こんばんわ。
今回は島崎投手ですか。
96年のシーズンは島崎に始まり、島崎に終わったシーズンでしたね。今のクローザーとセットアッパーの分業開始がファイターズではこの年の島崎投手と金石投手でした。島崎投手登場以前はクローザーが回の途中からや2イニング(あるいはそれ以上)投げることも珍しくなかったです(例えばwikiに川原投手が先発で使われたという間違った記述があったのですが、1983年の川原はリリーフだけで二桁勝利と規定投球回数達成をしております)。だいたいこの年の勝ちパターンは先発が6回まで、7,8回が島崎、9回が金石でした。(もっと古くは86年のシーズン序盤に岡部と田中オオユキが一時的に近い形で使われたことがありますが、このタイプの分業はその後定着しなかった)。
このシーズンは不可解なことに8月の途中から金石が全く使われなくなってしまって、下柳投手もまだ上田監督の信頼を確実に得ていたような使われ方をされなかったので、後半は負担が全て島崎投手に集中し、打たれることが多くなり、結局、上田監督の休養もあり、V逸になってしまいました。この辺はあまり腑に落ちない投手起用も多かったです。
金石投手が何故使われなくなったのかは不明なのですが、私が観にいった8月のホークス戦で9回に出てきた金石が三連打でノーアウト満塁のピンチを迎え、その後何とか零点で抑え、試合は勝ったのですが、その後全く使われなくなってしまった記憶があります。逆に言えばこれが私が金石投手の登板を見た最後ということです。(手許にレコードブック等があれば、何日の試合か分かるのですが^^))

PS/それとあれはパームですか。私はシンカーかと思っていました。
Posted by たけ at 2010年02月01日 06:16
たけさん、連コメありがとうございます!

はい、私もあの落ちる球はシンカーかと思ったのですが全盛当時の資料を眺めていたらパームボールとの記載があったので、そうかと思われます。

金石さんで印象深いのは1死満塁の場面、しかもカウント2−3で降雨で中断になった試合が倉敷のホークス戦であったんですよ。その時は秋山幸二を併殺に打ちとってゲームセットとなったわけなんですが、その試合ではないんですよね?終盤出てこなくなったのは、確か故障かと思いました。

川原さん、田中幸さんに岡部さん‥随分懐かしい名前がでてきましたね!田中幸さんは少しコントロールに難があったので、抑えでの起用は少し怖いものがありましたよね(笑)
Posted by 羽夢 at 2010年02月02日 00:07
羽夢さん、レスありがとうございます。
いや、倉敷ではなく、東京ドームの試合です。
故障なのかどうか、私には今ひとつ納得のいく説明はなかったのですが、金石投手の決め球のフォークが落ち切らなくなっていたのは事実です。
86年の田中幸雄投手のストッパー起用は当時の高田監督が「一番球に力がある投手を抑えにした」といっていたとおり、当時の投手陣からすれば、私は妥当な起用だな―と当時は思っておりました。ただ、田中幸雄投手は砲丸投げのようなヒジに負担のかかる投げ方をしていたので、活躍しきれなかったのはヒジの疲労が抜けきれないで蓄積されていったからではないかななどと(素人考えですが)考えております。
ちなみに80年代程度までは、リリーフエースは2イニング,3イニング投げることはざらでした。松浦投手が「逆転のマツ」として名を馳せた時は3回から登板という試合もありました。今から考えるとみんなかなり無茶な使い方をされたものですよね(極端な例は近鉄の石本投手ですよね)。
Posted by たけ at 2010年02月04日 07:53
たけさん、度々どうもです。

そうですね。確か金石投手はその翌年に先発に転向したじゃないですか?その時は直球・変化球ともにキレを欠いて、メッタ打ちにあってましたからね。やはりどこかを痛めていたのかもしれません。機会があったら今度調べてみますね。

はいはい!松浦投手。オールドファンには『逆転のマツ』で定着してますよね。リリーフ時代も印象深いですけど、先発転向1年目に15勝をあげての最多勝にはビックリさせられました!しかも15のうち、6勝が全盛時代のライオンズからですからね〜。あの年に関しては西崎投手よりも安定感があったかもしれません!

石本投手ってリリーフだけで19勝あげた投手ですよね。ホークス・篠原投手の14勝も凄かったですけど、上には上がいるもんですね^^;
Posted by 羽夢 at 2010年02月04日 21:22
羽夢さん、レスありがとうございます。
近鉄の石本投手は19勝あげた年リリーフだけで規定投球回数に達しています。その翌年も117回も投げています。もちろんこういう使い方をしていれば、投手がつぶれるのは当たり前で、石本投手もその後鳴かず飛ばずになってしまいました。
これはまた昔話になってしまうのですが、1987年の松浦投手のリリーフとしての快進撃の初勝利を生で見たのです(松浦投手の1987年の1勝目、通算2勝目)。後楽園球場の西武戦で、ファンクラブ割引で私は内野B席にいました(外野に一番近い席です)。相手のピッチャーは東尾、1点ビハインドで9回2死、飛球はライト守備固めの羽生田のグラブにというシーンを目の前にして、私は金網にかぶりついて「落とせ―」と叫んでいました。私の念力が通じたのか(笑)、羽生田は打球をぽろり、1塁ランナーが帰って同点。続くバッター(岡持選手だったかなぁ。ちょっと記憶が定かではないのですが)の適時打でサヨナラとなりました。
松浦投手は投球のリズムがいいのか登板すると打線が活発になりましたが、この年の松浦投手は私の観戦エピソードではないですけど確かに神がかっていましたね(^^)。また、応援する側は真のファンならば最後まで諦めてはいけないという話でもあります。
最後になりましたが、キャンプも始まりましたが、新年(新シーズン)の挨拶ありがとうございました。今年もみんなでファイターズを応援していきましょう。
Posted by たけ at 2010年02月05日 00:17
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