キャンプインも間近に迫った突然の悲報に、驚かされた。ここでは
あえてそれに触れなかった。いつまでも悲しみに暮れてるわけにも
いかない。こんな時だからこそ‥前だけを見据えていきたい。
島ア毅・関根裕之といえば浮き沈みが激しい、AクラスとBクラスを行き来し
ていた時代の90年代後半の主力投手で、筆者が一番熱を上げてスタジアムに足を運んでいた頃の『青春時代』とも重なり、印象は強い。
この両コーチは現役時代、どんな選手だったのか。エピソードも交えながら
振りかえっていきたいと思う。今回はまず、2軍投手コーチに就任した関根
裕之氏の足跡をから辿ってみよう。


『プロ野球改革元年』
FA制度が導入され、上位指名選手に限り『逆指名』が認められるように
なった1993年オフ。その年にファイターズを逆指名した選手、第1号が
東北福祉大の関根だった。140キロ台後半の直球と切れ味鋭いフォーク
ボールを武器にした本格派右腕。ファイターズではもちろん、即戦力として
期待されていた。
その期待にそぐわぬ、評価が高かった前評判通りのピッチングを、プロの
舞台でもいきなり見せつけてくれた。
初登板を無失点デビューで飾ると、パ・リーグ新人一番乗りとなるプロ初
勝利をあげた試合が、鮮烈だった。4月20日の東京ドーム、対西武戦。
試合は3−3の緊迫した展開で終盤戦へ突入。この局面で内山正博の
後を受け、4番手として登板。3回2/3を投げ被安打1、四球1と完璧に
西武打線を封じ、チームのサヨナラ勝ちをお膳立てしている。
130キロ台の高速フォークを軸に奪三振5も断然光り、大沢監督も『いい
球放る』と絶賛。9回に唯一訪れた1死3塁のピンチも『野球で動揺したこ
とがない』という、強心臓ぶりでなんなく乗りきった。5月のダイエー戦では
奪三振12で堂々の完投勝利も飾り、4万の大観衆を酔わせている。
早くも新人王候補にも挙がり、関根の前途は有望‥誰の目にもそう映った。
しかし中盤戦以降、プッツリとその姿を消してしまうことになるとは‥
故障で後半戦を棒に振ってしまい、その後も肩や肘といった、たび
重なる故障から2年目は登板機会なし‥翌年もわずか9試合のみ
登板で0勝に終わるなど、次第に関根のファイターズでの存在感は
薄れかけていった。
プロ4年目の1997年。入団当時のような剛球はなかったが球威
不足を緻密なコントロールと多彩な変化球で補う、『技巧派』に転身。
この年、3勝を挙げて復調の兆しをみせ始めた。
再び一線に浮上してきた関根は98年に規定投球回数に到達し9勝、
99年から2年連続で二桁勝利を達成するなど、岩本勉らと低迷期の
エース格として君臨した。

華の★パ・リーグランキング★
ちょうどこの時期、筆者がスタンドから見届けていた試合で思い出
深い、関根のピッチングがある。
1998年の8月25日。それまで首位を快調に走っていたファイター
ズがこの日のロッテ戦を迎えるまで泥沼の9連敗を喫し、2位・近鉄
に0.5ゲーム差まで詰め寄られていた。
この最悪のチーム状況の中、マリーンズ打線の前に立ちふさがった
のが関根。コースを丁寧につき、相手に的を絞らせない投球で自軍が
8回にようやくあげた虎の子の1点を守りきっての、完封劇にはしびれ
たものだ。
文字通り、チームを救った会心のピッチングで誰かの言葉ではないが、
それこそ関根にとっての【一世一代】だったかもしれない。
後年は再びケガとの闘いで、04年に戦力外通告を受け、現役を引退。
その後は打撃投手として、背後からファイターズを支え続けてきた。
栄光と挫折を知り、また故障に苦しみ続けてきた現役生活だっただけ
に、新たな『持ち場』は適任ともいえるかもしれない。その何物にも代
えられない貴重な経験は、きっと選手に『勇気』と『希望』を与え続けて
いってくれることだろう。
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テレビ埼玉の中継でその切れ味鋭いスライダーを目撃したときには凄い投手が出てきたな、と思いました。
何より故障を乗り越えて二年連続の二桁勝利は立派です。
あと本文中に登場した内山正博投手。懐かしいなぁ。独特のタイミングで投げてくるサイドスロー。一気にその投球フォームを思い出してしまいました。
はい、そうなんですよ。奪三振率はかなり高かったです。初年度なんか57イニングで72奪三振ですからね〜。結構な奪取率になります。故障してからはむしろ打たせて取る、真逆の投手になっちゃいましたけどね^^;
(お陰で被本塁打も多かった‥)
内山投手をご存知ですか!一時期、レオキラーなんて呼ばれていた年もありましたけどね!あのヌボ〜っとしたお顔はすぐ浮かんでくるけど、投球フォームまでは‥(><)コメントありがとうございました☆
それにしても、先程のたけさんのお言葉ではありませんが、吉井コーチの2軍降格?も少し「不可解」ですよね。『育成』に重点を置いてるといえば聞こえはいいですけど、裏で何かあったのでしょうか‥。ましてや小林コーチのご不幸があった時に、1軍に『復帰』するのが普通の流れかと思ってましたからね。
そうですね。山原投手も残念でしたね。実は私は西崎投手の1,2年目を球場で見ていないので、生で見た(Fの)投手で一番球が速かったのは山原投手なんですよ。ドームのスピードガンで149-150キロぐらい出していて(ダルビッシュはまだ球場では見ていません。ここ10年国外が生活の中心になっているので)。ドームの外野席から見ても、その速さが並ではないことが分かりました。ただ新人投手をあのような使い方して故障しなければいいけれどと思いながら見ていたら、案の定故障してしまいました。その後彼に全盛期の速球が戻らなかったのは御存知の通りです。
吉井コーチの件は、ここで二軍コーチの経験を積むことは吉井コーチの今後にとって私はプラスになるのではないかと思っています、というよりそう確信しているのであまり心配はしていないです。個人的には彼のブログ(特に試合に対するコメント)をいつも楽しんで読んでいたので少し残念ですが。
山原投手がもっとも輝きを放っていたのは入団時、春先のごくわずかな期間でしたから、まともに彼の剛球を見ることができなかったのですが、後年先発してた頃の投球を見てたら、その『片鱗』をうかがい知ることはできます。身体はそれほど大きくなかったんですけどね!
吉井コーチ‥ 私も結構好きだったんですよ。ダルビッシュ投手とも、わりと馬が合っていたようですし。彼ほどのピッチャーに島ア・厚沢両コーチが、はたしてどれだけ物申せるのか‥少し興味深いところではあります(笑)