2010年01月11日

野球人に捧ぐ・・【永遠の球児たち〜甲子園の、光と影〜】

筆者はファイターズ好き・大の野球好きであると、以前から公言して
きているが、そのほとんどは『プロ』がメインであり、アマチュア野球
には、実はそれほど関心がなかった。ただ、最近になってそういった
【志向】も変わり始めてきている。一冊の本と出会って・・

巡り会えたその書物。それぞれの球児たちが目指した、それぞれの
甲子園、そこでの軌跡・・また、その後の人生を追ったノンフィクション
小説。野球の『聖地』でつかんだ栄光、そして知られざる苦悩と葛藤・・
経験した者でなければ分からない、野球人の【物語】は、私にはとても
新鮮で、また残酷にも映った・・『永遠の球児たち 甲子園の、光と影』



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本書は全部で7編の球児達が織りなす物語があったが、その中でも印象に
残った事例を取り上げてみたい。さすがは『元甲子園のスター』が多数在籍
していただけあって、ファイターズの選手の名も結構登場してきている。

『主役』は元巨人で91年のドラ1右腕・谷口功一だったが、1年先輩で90
年夏、天理高を頂点に導いた元日本ハム・南竜次。82年、夏の大会で史
上初の完全試合にあと一人と迫りながら快挙を逃した新谷博。そして長野
のアイドルから甲子園のアイドルへ・・松商学園・上田佳範

この上田と甲子園で壮絶な死闘を繰り広げた、四日市工業・井出元健一朗
投手のエピソードもなかなか読み応えあった。91年夏、延長16回を一人で
投げ抜き、球数は計230。その最後に投じた230球目が上田へのサヨナラ
押出死球となり、幕切れはあっけなかったが、逆にそれがより印象強いもの
にしている。

新谷の完全試合戦寸前だった試合の相手は、校名が妙にインパクトのある、青森県代表・木造(きづくり)高校。この日、務めた球審が『新人』だった
ことや、大記録を逃した直後の出来事・・。当時の映像からでは知り得なか
った、微妙な心理状況なども、探っていくことができた。


そして・・


『脱・義足のヒーロー宣言』と題した、今治西高・曽我健太の等身大の素顔、
怪物・松井秀喜『5打席連続敬遠』二度と消し去ることのできない記録
と記憶、河野和洋の過去と未来・・



この両者の物語に関しては飾らない、ありのままの姿をライターが
美化せずに描写しているところがいい。河野の突然『下ネタ』が飛び
出してくる辺りなんかも、笑えてしまう。

明徳義塾時代、物議を醸した松井への敬遠。河野が言うように試合
には勝たなくてはならない。ましてや負けたらそれで終わり・・一発
勝負の世界。結果的に明徳義塾は試合に勝利したのだから、あの
【戦法】は間違ってはいなかっただろう。最小得点差で逃げ切った
辛勝だっただけに、怪物にバットを振らせなっかったことは、むしろ
【正解】だったといっていいのかもしれない。あるとすれば甲子園の
【性質】とは不釣り合いな、『スポーツマンシップに乗っ取り、正々堂
々と・・』の理念に背いてしまった、ただそれだけのこと・・



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河野を始めとする明徳義塾ナインは試合後も、またそれ以降も散々
罵声を浴びたが、河野のまったく後悔してないような言動に救われた
気もした。高校卒業後の河野の野球に対する情熱は、まったく色あせ
てはいなかった。そんなひたむきな姿を知ったからこそ、余計に当時
の河野に理解を示そうとしている自分がいるのかもしれない。


『甲子園の光と影』を知るうちに、もっと高校野球を見てみたくなった。
そして『甲子園』をこれからもっと好きになってみよう、そう思った。


最後に・・

先日といい、書籍のレビューを書くことが続いてしまったが、筆者は
決して『書評ブロガー』ではなく、列記とした『野球ブロガー』である
ことを、どうぞお忘れなく!(笑)

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posted by 羽夢 at 00:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 羽夢日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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