北海道日本ハムファイターズの初代・エースとして、歴史に名を
刻んでいるはずだった。
4年連続二桁勝利、最優秀防御率のタイトル獲得、北海道移転
後の札幌ドーム・チーム初の勝利投手・・・
燦然たる実績を残しながらこの男には今もどこか、『闇』が影を
落としてしまう。
少なくともファイターズファンの間では・・
金村曉
(かねむら・さとる)


入団4年目の98年、規定投球回数ギリギリながら2.73で
最優秀防御率のタイトルを獲得。
翌年は連続完封を含む開幕から無傷の3連勝、月間MVP獲得。
若干22才、その抜群の安定感を誇ったエースの誕生にファンの
誰もが明るい未来を覚えた。
しかし、99・00年と春先に早々長期離脱を強いられるなど
幾度なく繰り返された故障・・
慢性的だった肩の故障が癒えた02年からは前述の4年連続で
二桁勝利を達成するなど、大黒柱としてチームを牽引した。
そして迎えたあの日・・
『絶対に許さない』
『外国人監督だから個人の記録は関係ないのでしょう』
『顔も見たくない』
目を覆いたくなるような失言の数々・・
後のトレードの伏線にもなったとされる、痛烈な監督批判。
振り返りたくない過去・・恐らく当人が一番悔いているだろう。
2006年 9月24日
F4−M8 千葉マリンスタジアム 観衆 30,056人
【勝】 清水直9勝8敗 【敗】 伊藤1敗
【本塁打】F 高橋信6号 M ベニー16号
ファイターズ3点リードの5回裏2死・・
あと1アウトを取れば5年連続二桁勝利の権利を得る。
その大記録を目前に無情にも告げられた投手交代宣告。
しかもその1アウトで規定投球回数にも到達するところだった。
金村の気持ちも理解できなくもないが、個人記録を優先にした
ような『暴言』はファンの失望を買ったとともに、ペナントレースも
佳境を迎え、チームはし烈な優勝争いを繰り広げているさなかで
チームの士気を下げるような、主力選手らしからぬあの言動は
決して許されるものではなかった。
更に、あのイニングを良く振りかえってみると2アウトまでこぎつけ
ながら里崎智也に与えた痛恨の四球。交代時期を早めてしまった
のは自らの記録を意識しすぎたが為の、『守り』に入ってしまった
金村自身にもあったのではないだろうか。
個人記録よりエースなら当然自覚していて欲しい、
『For The Team』の精神・・
皮肉にもあの舌禍騒動は、エースの【プライド】が引き起こして
しまったカタチにもなったのか。
思えばドラフトの時、『西崎幸広さんのいるファイターズに』
と、相思相愛で日本ハムに入団してきた。
大好きなファイターズで野球ができる!あの頃の気持ちを
ずっと忘れないでいて欲しかった。
現在はクライマックスシリーズ進出を目指す阪神タイガースで
中継ぎとして活路を見出した金村。
ファイターズだけで88勝を挙げた右腕。是非通算100勝を
目指して、『チームの為に』頑張って欲しい。
≪08年までの通算成績≫
【勝利】88 【敗戦】80 【投球回数】1394.2 【防御率】3.89
【奪三振】890
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