2009年07月18日

木田勇【一番欲しかったのは・・】

『記録より記憶に残った・・』なんて言われる選手も結構いるが
この選手は紛れもなく日本ハム史上、いや球史に名を刻んだ
記録に残る、そんなピッチャーだった。


79年、ドラフト1位でファイターズに入団した左腕・木田勇(きだ・いさむ)


細見ではあったがしなりの効いた左腕から繰り出すキレのある速球、
当時としては珍しい、パームボールを得意とした投手。


ルーキーイヤーだった1980年。この年のパ・リーグを席巻し、
まさに記録づくめだった一年。それこそ木田勇のためにあった
ような年でもあった。



        i.kida
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まず80年の投手部門、各タイトルホルダーに目を通すと木田の名前が
これでもかと、ズラリと並ぶ。

最多賞最優秀防御率最高勝率最多奪三振ベストナイン
更に記者選考による新人王MVP・・・

ルーキーながら前半戦までに10勝をあげ、ファン投票で球宴にも選出。

トータルでは、

【勝利】   22(8敗4S)
【勝率】   .733
【防御率】  2.28
【奪三振】  225
【投球回数】 253


まさに圧巻の数字が並ぶ。
更にこの年は日本記録のシーズン毎回奪三振を(翌年、巨人・江川卓も記録)
1試合ゲーム奪三振『16』は当時、歴代2位の記録。

投手にとって最大の名誉である沢村賞が当時、パ・リーグの投手は選考
外で受賞できなかったのは残念だったがちなみに80年は『該当者なし』。

もしこの『縛り』がなければ木田にもうひとつ、勲章が加わっていたのは
間違いなかったことだろう。


一年目にして数々の栄光と栄誉を手にした木田。
この年に手にする事ができなかったのは・・


そう!ペナント。


無論、1投手の力だけペナントを掴むのは無理な話だが80年、
日本ハム球団になってからの初優勝を賭け、いつもひょうひょうと
した細面の木田勇が大きく関わっていた。


栄光の1年の中で木田にとってある意味一番忘れ難い試合となった
あの日・・


『驚異のスーパールーキー』木田勇の英雄列伝・・・


ファイターズのシーズン最終戦。この年は前期・後期制に分かれ
てプレーオフで覇権を争う、2シーズン制を導入していた。

ファイターズは1試合を残して首位。それを3試合を残した2位・
近鉄が1.5ゲーム差で追っていた。

その近鉄と10月7日、後楽園球場での直接対決を迎える。
勝つか引き分けでファイターズの優勝の決まる運命の大一番。

そこまで既に22勝を挙げている木田の先発も予想されたが
先発してきたのは14年目のベテラン・高橋一三だった。

連投が続いていた木田より百戦錬磨のベテランの経験に賭けた、
また勝負どころで近鉄相手にキラーぶりを発揮していた木田を
投入するとゆう戦法を、当時の大沢啓二監督は選択した。

後期とはいえ、日本ハム球団となってからは初の優勝。
満員札止め、5万の大観衆がその動向を見守った。


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ファイターズが2回に先行するも3回、高橋一がランナーを残し、
降板。2番手としてマウンドに上がったのが木田だった。

だが大沢監督、満を持して登板させたはずの木田がこの日ばかり
はいつもと勝手が違っていた・・

その木田が佐々木恭介にタイムリーを浴び、早々同点に追いつか
れてしまう。

その日まで連投続きだった木田は明らかに球威がなく、変化球の
キレも欠きストライクを取りにいったところをことごとく痛打されて
しまう。

怖いモノなしであった当時の木田も27才ながら、まだ新人。
『勝てば優勝』の掛かった試合には相当な重圧もあっただろう。

その後もアーノルド有田修三にホームランを浴びるなどして
精彩を欠き、5回2/3を投げて4失点。

先発、抑えにと終盤大車輪の活躍をみせてきた木田が最後の最後
で力尽き、敗戦投手となってしまう・・
結局、この日の試合に敗れ自力での優勝はなくなってしまった。

しかしこの年、一番頼りなったルーキー左腕に大沢監督も心中
するくらいの覚悟があったはず、誰も木田を責める事など出来な
かったはずだ。

ただ・・

ひとつのタイトルよりあの日の勝ち星の方が何よりも欲しかった、
それが木田の本音だったかもしれない。


【エピローグ】

そして翌81年、チームは後期優勝を果たしロッテとのプレーオフでは
木田自身も最終5戦目に先発。見事勝ち投手となって19年ぶりの
リーグ優勝に貢献。前年味わった悔しさを晴らす事となった。


この試合を思い出していたら近鉄×ロッテの10.19を思いだして
しまった。木田はさながら悲運のエース、あの年の阿波野秀幸
ケースに良く似ていたかもしれない。


人は木田の事を『一発屋』とも呼ぶ人もいるが私は一年目の成績が
あまりに突出しすぎたために2年目以降の成績がかすんでみえるだけ
・・そう思いたい。


そういえば入団前、散々※1『ゴネた』木田が現役引退後、ファイターズ
のOB会の会長を務めてくれるなど日本ハムに愛着を感じてくれている
事がなんとなく嬉しかった。
(※1 木田は在京セの球団が希望だったとされる)

今後も北海道日本ハムファイターズを暖かく見守っていただきたい。


今日の動画コーナーは木田勇さんの生涯初、日本シリーズの舞台。
木田さんの投球フォームが見れる大変貴重な動画です。


             無念の4回で降板・・




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この記事へのコメント
木田勇投手による奇跡の一年。是非、この目で見たかった…。

残念ながら、私が野球好きになった時には、木田投手は既に峠を超え、ホエールズのユニフォームを着ていました。

あの奇跡の一年をリアルタイムで見ていたなら、私は間違いなくファイターズファンになっていたと思います。

一発屋ではなく、一年目の成績が強烈過ぎて、その後の成績が霞んだだけ。

木田投手をそう解釈する羽夢さんに、ファイターズ愛を感じました。

名文をありがとうございました。
Posted by EILEEN at 2009年07月19日 19:43
EILEENさん、コメントありがとうございます。
そうですね〜
実は私もリアルタイムであの頃の投球を見た事がなくて
新人で22勝をあげたとゆう伝説的な左腕を是非この目で
見てみたかったとゆうのは一緒ですね!

なにげ2年目も後半はやや不調に陥ったものの二桁、10勝を
あげていますからね!

大洋、一年目の復活劇は嬉しかったです☆
代わりに来た金沢投手もファイターズで活躍してくれましたし
結果的に良いトレードになったのではないかなって思います。
Posted by 羽夢 at 2009年07月20日 00:26
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