2009年07月11日

河野博文【ONからのラブコール・・】

前巨人軍監督・長嶋茂雄氏が投手交代を告げる際、審判に

『ピッチャー、ゲンチャン!』

なんてコールしていた野球ファンの間では有名なエピソード・・


この『ゲンチャン』とは日本ハム・巨人などで活躍した左腕投手、
河野博文のことを指している。(こうの・ひろふみ)


ニックネームの由来は日本ハム時代からチームメイトにそのいかにも
『北京原人』に似た、いかつい風貌からネーミングされたらしいのだが
はたしてご本人はそう呼ばれていたことにどう感じていたのだろうか。


河野は84年、駒澤大からD1位でファイターズに入団。背番号は『18
1年目から先発ローテに食い込み、8勝をマーク。(13敗)
体の乗った左腕から繰り出す、ズシリと重そうなストレートが特徴的。


2年目以降は低迷するも入団4年目の88年には防御率2.38
好成績でリーグ第一位。初のタイトルを獲得する。


この年の成績は、6勝5敗9S。完封2つを含む完投も5回記録して
おり、先発に、抑えにと大車輪の活躍でチームに貢献した。


とゆうのも、80年代後半から90年代前半くらいまでで『ファイターズの
左投手』と言って名前がでてくるのが河野ぐらい・・と言っても過言では
ないほど、当時は慢性的な左不足・・。


河野がフル回転を強いられなければいけない事情もあったが裏返せば
先発、中継ぎどちらにもにも適応できる順応性が河野にはあったわけだ。

また谷間でたまに先発してきては物凄い好投をしてしまうというのも
印象的で通算26完投のうち、完封という数字もそれを象徴している。


しかし河野にとって恐らく生涯忘れ得ぬ、【好投】となったのが89年、
8月31日の東京ドームでのロッテ戦。

初回、先頭打者・西村徳文に打たれた1安打のみに抑えながらも
完投負けを喫している。

もっとも自軍が0点に抑えられて0−1で惜敗したものだが初回の
失点が西村のヒットから自らのエラーが失点に結ぶ付いたもので
後味の悪いものとなった。


そんなチーム内でも貴重な左腕投手であった河野が95年オフ、
取得したFA権を行使することになった・・

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河野博文のFA宣言で名乗りを挙げた球団が巨人とダイエー(現・ソフトバンク)

両球団の監督はご存知、長嶋茂雄と王貞治

球界の至宝、ONから『是非ウチに来てほしい』と声を掛けられる
なんて野球人としてこれほど名誉なことがあるだろうか。
ましてや日本ハム球団からも引き留めにあっている。


1ハムファンとして精神的なモロさを指摘された過去の【トラブル】を
知るだけに、はたして観客も多い人気チームで河野が従来の力を
発揮できるのか、またそれに見合う投手になれるのか、いささか
不安も付きまとった。


結果、『N』。ミスターのいる巨人を選択したの河野だがこの決断は
間違ってはいなかった。


翌96年。春先の不調から出遅れたが夏場近くから中継ぎとして
活路を見い出し、チームの躍進に貢献。

レフティーズの一員として、川口和久らと共に試合中盤以降の
火消し役を担い、リーグ優勝に貢献。

かの有名なメークドラマを完成させたあの年だ。

この年、出遅れたために39試合登板ながらも16リリーフポイントを記録し、
初代・最優秀中継ぎ投手賞を受賞している。


劇的でドラマチックだったその年に活躍したことも手伝って一躍
全国区になった河野は以後、夏場に強い『ゲンチャン』として
時の人となる。


そういえば長島監督からは『スイカの季節になると活躍する』なんて
言われていた時期もあった。


あれほどファイターズ時代は勝ち運にも恵まれなった河野が
巨人での4年間の通算成績は10勝4敗5S。


活躍できないと言われたFAによる巨人移籍組の中においては
成功を収めた選手の一人と言って、いいのではないだろうか。


【エピローグ】

後年は千葉ロッテに身を置き、2000年に引退。
日本ハム・巨人時代を含め、野球以外でお騒がせすることも少なく
なかったゲンチャン。ここでは『英雄列伝』なのであえて触れません
でしたが記録にも、記憶にも残る投手でした。

現在は独立リーグ・ダイヤモンドペガサスの投手コーチとして
後身の指導に当たっている河野さん。

ご自身のホームページが全く更新されていないのは残念ですが
見ようによっては(?)とても愛敬のあったあのお顔をまたどこかで
拝見してみたいものです。


今日の動画コーナーは巨人時代に出場した河野さん、唯一の
日本シリーズの舞台。 【イチローvs河野博文】

   結構、キレの良いボールを放っていたゲンチャンでしたが・・



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この記事へのコメント
河野投手。よく覚えてます。確かに当時のファイターズは左腕投手不足が深刻でしたね。西村投手や移籍してきた角投手ぐらいでしょうか。
ある解説者が河野投手について話してました。
「河野が左腕を上下させ始めましたね。あれ、疲れてきたシグナルなんですよね。危ないですよ」

あのイチローに打たれた時もそうだったと記憶してます。

あとFA移籍に伴う人的補償で移籍してきた川邊投手。活躍すると思ったんですが…。
Posted by EILEEN at 2009年07月12日 19:40
EILEENさん、こんばんわ^^
そうですね〜河野投手以外で言えば西村基史投手か
酒井光次郎投手、小島善博投手ですかねぇ・・。
特に印象に残っている当時の左腕では。

ただどの投手もどちらかと言えば先発タイプの左ピッチャー
だっただけに『左殺し』とゆう感じではなかったんですよね^^;
下柳剛の登場まで待たなければなりません・・。
その点、両方をそれなりにこなせたゲンチャンは貴重な
存在でした。

あー覚えてます。『肩の上下運動』!確かにそんな事を
評論家の人が言ってましたね!見逃してました(笑)
川辺さんをご存知とはさすがです☆
確かにスケールの大きい投手でしたけどまさかあの
1勝で終わってしまうとは・・(泣)
Posted by 羽夢 at 2009年07月13日 22:24
当時のセリーグの最優秀中継ぎ投手賞はホールドではなくリリーフポイントです
ウィキペディアにも載ってるので修正をお願いします
Posted by モモ at 2014年01月08日 04:27
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