あなたなら誰を選ぶだろうか?
81年リーグ優勝に貢献した大宮龍男、強肩強打の野口寿浩、
北海道移転後なら高橋信二・・
人によって返ってくる答えは様々だろう。
私なら迷わず80年代後半から90年代前半に掛けての主戦捕手、
田村藤夫を挙げてみたい。
(たむら・ふじお)

田村は関東一高から78年に日本ハム入団。右投右打。
当時の背番号は35。
84年頃からレギュラーに定着し、以後長きに渡り正捕手の
座を守り続けてきた。
意外性のあるバッティング・強肩。そして、素人の私が言うのもなんだが
とりわけインサイドワークにおいては他の捕手より長けていたように思える。
田中幸雄(投手)、柴田保光、西崎幸広。この3投手の
無安打無得点試合を『演出』したのも田村だった。
先ほど意外性があると言ったバッティングも86年には19本塁打、
89年にはサイクル安打を記録するなど当時の『打てない捕手』像とは
程遠い存在だったと言っても過言ではない。
こんな攻守でファイターズに貢献してきた田村藤夫を象徴するような
印象深い試合がある・・。
1991年4月12日。東京ドームでのオリックス戦。
試合は山沖之彦と西崎幸広の息詰まる投手戦となった。
実はこの試合、ファイターズは1安打で勝利するという、
大変珍しい記録を作っている。
1安打とゆうのは田村のソロホームランによるもの。
ファイターズは山沖の前に1安打に抑えられながら
西崎・田村のバッテリーでこの虎の子の1点を守りきり
見事1−0で勝利を納めた。
山沖は当時『ハムキラー』と呼ばれ苦手としていた投手。
まさにこれしかない!勝ち方だった。
田村は8回、オリックスのチャンスに好ブロックで同点の
もピンチも防いでいる。
バッテリーの勝利!
この日の田村は『完璧』だった・・。
こうゆう言い方するのも忍びないがまだ日ハムが
弱かった時代の頃の正捕手。
残念ながら主戦としては一度も優勝経験がない。
その後、千葉ロッテ→福岡ダイエーと渡り歩くも
ここでも優勝の美酒を味わう事は出来なかった。
捕手として数人しか達成していない1500試合以上
マスクを被り続けてきた田村。
例えファイターズ以外であれ一度でも現役中に
日本一、リーグ優勝の輪の中に加えさせて欲しかった・・。
現在は中日ドラゴンズの捕手コーチをされている。
ポスト谷繁育成に情熱を注いでいる事だろう。
頑張れ、田村!
【エピローグ】
田村藤夫がまだ現役バリバリだったファイターズ時代、
まだ幼かったお嬢様が東京ドームにいらしていた事がありました。
現在はもう結婚適齢期も迎えている頃でしょうか!
田村パパ、こちらの守りは固くなければ良いのですが・・
ボクが初めて目の前で見た試合で捕手をやっていたのが田村でした。
その試合で日ハムに魅了された身としては、田村は思い入れのある選手の1人です。
バッティングは…
「意外性」のイメージのが強かったですけど(^-^;
個人的な“最強捕手”は、野口ですね!
肩や打撃もさるコトながら、足も速かったですし(笑)
これからもブログを拝見させて頂き、勉強させてもらいます!
アオゾラさんも東京時代からのファンの
ようですね☆
先ほどブログの方、拝見しましたよ〜!
そうなんです!忘れてました(汗)
確かに野口は強肩・強打・『俊足』でもありました!
2000年には3塁打を11本も放っている
なんて捕手としてはチョット異例ですよね(笑)
こちらこそ色々と勉強させてください!!
西崎投手のノーヒットノーランのときインタビューで『いやぁ…痺れたよ』
捕手としても最高の瞬間のはずです。
意外性…ありますよね。
いつだったか忘れたけど後楽園球場の日米野球で全日本の捕手として先制のホームランを放ったのを思い出しました。
お世話になっています。
日米野球・・
あれは確か88年のハーシュハイザーからでしたよね!
その時解説か何かで来ていた長嶋茂雄さんからインタビューを受けて
感激したって言っていた記憶もあります。
西崎さんのノーヒットノーラン達成時の談話、
非常に懐かしいです(笑)
彼等がファイターズのイメージソングを造った
95年。
その時にファイターズを応援。
田村捕手は伊東の影に隠れているが
優れた捕手なので応援してましたね。
・・・ブリトーの7月加入で
あわやホームランキングとか面白かった。
大沢親分土下座後だったねぇ。
ファイターズは今や一大勢力。
95年の応援時からすると
とても想像付かなかった。。。
infix、おりましたなぁ。どんな曲だったかまではちょっと憶えてないんですが、当時発刊されたガイドブックなどに、彼らの写真が載ってました。
一年でもファイターズに在籍した選手というくくりで「最強メンバーをつくる」そんな妄想をこの前しました。
これなら江夏さんとか落合さん、大杉さんなんかも該当しますからね。でも「捕手」部門は藤夫さんしか思い浮かばなかった。それくらい球団史で燦然と輝いているキャッチャーだったと思います。