2009年02月12日

落合遺産 〜これが神主「作法」だ〜【落合博満】

1996年オフ、日本ハムファイターズは大きな賭けに出る。


それは当時巨人を自由契約になっていた落合博満選手の
獲得に名乗りを挙げたのだ!


スワローズとの一騎打ちとなった争奪戦の末、11年振りの
パ・リーグ、ファイターズ入りが決まった。


2年の複数年契約、年俸3億円とゆう、大型契約。(背番号3)
実は翌年で44歳を迎える落合選手。
はたして落合が今後ファイターズでそのビッグな契約内容に見合う
成績が残せるのかどうか疑問を投げ掛ける人もいた。


確かに落合が在籍した2年間、最晩年だったとはいえ
数字的には散々なモノだったかもしれない。



97年 打率 .262 本塁打  打点 43

98年 打率 .235 本塁打  打点 18


しかも個人的に思い出したくもない98年の2位に8ゲーム差
離しての前半首位から歴史的な転落劇!
落合らベテラン勢はその戦犯的な扱いもされた。


しかし栄光の道を歩み続けてきた落合博満・・。
タダでは終わらない。
私はハムでの落合効果はもっと別のところにあった、
そう考えている。



落合が入団時、上田佳範とゆう、投手から野手に転向した
期待の新鋭がいた。
当時の上田は守備は申し分ないものの、打撃に難があり
伸び悩みを見せていた。

落合がファイターズで熱心に打撃指導を行っていたと
言われているのがこの上田。

もしくは上田利治監督から上田佳の指導を直訴されていたの
かもしれないが上田佳の打席終了後、落合がベンチ裏へ上田を
連れたっていく姿が良く目撃された。


その落合塾の甲斐あってか、前年から約打率1割UP
上田は3割バッターとなる。
この年、逆方向に綺麗流し打つ姿が多く見受けられた。


当時の両外国人、ブルックスウィルソンコンビも
落合を師と仰ぎ、序盤は日本の投手陣に苦しむも
除々に打棒を爆発させていく。


あと忘れてならないのが今でこそビックネームとなったが
97年、まだその年ルーキーだった小笠原道大とゆう
存在だろう。


落合の打席終了時やランナー上からイニングチェンジの際、
小笠原は守備に就く落合のグラブの受け渡し係をさせられ
ていた。
にわかに信じられない人も多いかもしれないが
小笠原にもこんな下積み時代があったのだ・・(笑)


小笠原は後に・・
『落合さんの背中を見てきて感じる事は多かった』
そう語っている。


斯くして小笠原は引退した落合と「入れ替わる」ような
形で99年からレギュラーとなり大ブレイクをみせた!


数字には表れない、日本ハムで果たした本当の役割、
『落合遺産』はここにあったのかもしれない・・




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