2012年02月29日

背番号『9』物語 【デイエット〜ホフパワー】

本日は4年に一度の2月29日。そういえば今年はオリンピックイヤーなんですよね。今回のロンドンから野球とソフトボールは正式種目から除外されるということで、いささか私の「五輪熱」も冷めつつあります。とは言っても、オリンピックでの「野球」って今まであまり良い印象がないんですよね。最高で銀メダル(公開競技だったロスを除く)という、結果としても表れているのですが、それにも況して目に浮かんでくる映像はどれもよくないものばかり。

J・ウィリアムズに完璧に封じられたり、普段だったら打たれることのないであろう?岩瀬が李承ヨプに被弾したり、ダルビッシュが打ちこまれたり、エラーを連発する選手がいたり‥‥と(ほとんど北京ですが)、予測不能な国際試合の恐ろしさみたいなものを、まざまざと見せつけられました。いつの日か野球がオリンピックで復活し、日本代表が悲願の金メダルを持ちかえってきてくれることを夢見ます。


さて、今日の東京地方は大雪に見舞われました。印象深い“閏日”となりそうです。そんな29日にちなみまして、今回は印象に残った背番号「9」な選手たち、ちょっと振り返っていきたいと思います。


1974-1981 千藤三樹男 AV.271 HR 42 RBI 252
1982-1987 木村孝 AV.236 HR 6 RBI 39
1988-1991 B・デイエット AV.268 HR 21 RBI 66
1992    M・マーシャル AV.246 HR 9 RBI 26
1993-1994 R・シュー AV.257 HR 38 RBI 124
1995    T・マッキントッシュ AV.220 HR 3 RBI 15
1996    ≪空き番≫ 
1997-1998 J・ブルックス AV.261 HR 41 RBI136
1999-2003 荒井修光 AV.246 HR 0 RBI6
2004-2005 阿久根鋼吉 AV.231 HR 3 RBI 18
2006    J・マシーアス AV.229 HR 3 RBI 21
2007-2009 小田智之 AV.274 HR 16 RBI 88
2010    ≪空き番≫
2011-    M・ホフパワー AV.222 HR 12 RBI 36
※右数字は日本ハム在籍中の通算成績


現在「9」のマイカ・ホフパワーは左膝の検査を受けるためにキャンプ中に帰国してしまいました。今シーズンは定位置も約束されていない状況でしたし、立場的にますます苦しくなってしまいましたね。このホフパワーに代表されるように、外国人選手に与えられる番号としても有名です。しかし、こうして振り返ってみると インパクト大な方々ばかり。


まずブライアン・デイエット。過去に何度か触れたことありますけど、彼は1軍の試合にもほとんど出場していないのに4年間も(しぶとく)ファイターズにいたんですよね。今でいう「育成枠」とか、別にそういうわけでもなかったのに。まがりなりにも元メジャーリーガーが多摩川の土手で若手と一緒に汗水たらして頑張っていたのだと思うと、ちょっぴり愛おしくもあります。

マイク・マーシャルは先日触れたばかり。開幕して早々にいきなり工藤公康と野茂英雄、日本を代表する左右の両投手からアーチをかましたときは 『これぞ本物!』 と、おもわず唸ってしまいましたが、4月以降はパッタリと打てなくなってしまいました。ドジャースで主軸を担った男も日本では9本止まり。 (こんなオチいらんのに‥)

マーシャルの後にきたのがリック・シュー。優良助っ人扱いされていますけど、成績だけみたら意外とそうでもないんですよね。せいぜい並。ただ、彼のファイティングスピリッツ が当時の大沢啓二監督にえらく気にいられてまして。少し過剰評価しすぎな部分もありましたけど、1塁の守備はかなり巧かったですね。安心して見ていられました。

そして、ある意味レジェンド‥ ティム・マッキントッシュ。来日当初、捕手の山下和彦に似てるなんて言われていたみたいですけど、山下さん嫌がってましたねぇ(笑)。56試合で3本塁打なんて助っ人と2年契約を結んでしまう、スカウトのみる目のなさにファンが嘆いてしまったのはいうまでもありません。(任意引退扱いで結局1年で去りました)

打撃だけに関していえば、この中でもっとも活躍したのはジェリー・ブルックスかもしれません。4番を打つこともしばしばありました。東京ドームでの首位・オリックス戦では野村貴仁から逆転となる3ランをレフトスタンドに叩きこんだり、1998年の西武との開幕戦では西口文也から勝利を決定づけるホームランを放ったりと、パンチ力はピカイチで勝負強い一面もありました。ただ、突発的なものが多かったんですよね。1998年は前半バカスカ打ちまくったけど、後半戦は打率1割台だったんじゃないかな。とにかく好不調の波が激しすぎました。


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ブルックス以後、久しぶりに「9」をまとった外国人がホセ・マシーアス。彼もまた、記録より記憶系‥ まるで9の「象徴」のような存在でした。ベンチで新庄剛志ともよく絡んでいましたし、カメラの映り方もよく心得ている‥。この辺はメジャー級でした。肝心の“本業”ではあまり目立てませんでしたけどね(笑)


せっかくですので、日本人にも触れておきましょう。2003年の開幕戦で松坂大輔からタイムリーを放った阿久根鋼吉さん。日本ハムに入団する直前に開かれたバンコクアジア大会で現役メジャー投手だった朴賛浩(前オリックス)からホームランを放ち、話題になったこともありました。(入団時は背番号「1」)

他にも味のある選手はたくさんいたのですが、書いているうちに29日が終わってしまいそうなので(笑)今回はこれで終わりにしておきます。千藤さんや小田さん、荒井修光さんはまたの機会に。それでは!





posted by 羽夢 at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | FSネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月26日

燃える星野仙一 【1970年代後半の銭闘】

2月も終盤に差し掛かり、いよいよオープン戦が始まりだしましたね。25日の東北楽天戦。ファイターズはいきなりベストオーダーを組んできました。先月予想していたのとだいたい同じでしたけど、さすがに稲葉2番は読めませんでした。あまり経験がないわりには犠打も上手ですし(陽よりよっぽど 笑)、もしかしたら公式戦でも見られるかもしれませんね。

ファイターズナインはともかくとして、相手のイーグルスは同一リーグに属していますし、気になる選手・初めて目にする選手も何人かいたので「選手名鑑」と照らし合わせながら観戦していました。そんなこんなで試合展開そっちのけで気になってしまった、名鑑の項目‥

それは選手の 年俸。普段あまり気にしていないというか、あまり興味は湧かないのですけど、その時にかぎってやたら気になってしまいました。『どの選手がいくらくらいもらっているのか?』 『去年よりどれくらい上がったのか?』 また、『ダルなきあとファイターズの高給取りが誰なのか?』とか、それさえも知りませんでしたので。

意外にも?2億円プレーヤーが3名(武田久・田中賢・稲葉)もいたのですね。さらに1億9000万の糸井、1億7000万の武田勝と続いてきます。イーグルスでいうと25日の試合に出ていた中でのナンバー1は松井稼頭央の1億5000万。松井とトップタイの年俸をもらっているのは、選手ではない星野仙一監督(笑)。今の時代、監督も結構もらってるんですねぇ。一方のファイターズ・栗山英樹監督は星野さんの半分以下、7000万円也。まぁまだ監督としての実績がないわけだから、この大差は仕方ないかもしれません。(ちなみに梨田前監督は1.1億)


星野さんといえば‥ この前調べ事をしていた最中に、こんな過去の新聞記事を見つけました。


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朝日新聞 1977年12月28日 【スポーツ】



今から35年前の記事ですので、まだ星野さんが現役をされていた頃ですね。【星野二千万円余でノー】。よく読んでみるとこんなことが書いてあります。


【星野は30%アップの二千八十万円を提示されたが、首をタテにふらない。この数字は中日初の二千万プレーヤー(外人を除く)だが、星野は「打者にくらべて投手の評価が低いプロ球界の傾向を打破したい」とがんばっている】


星野さん強気ですねぇ‥この頃から(笑)。『ドラゴンズ投手陣よりも野球界にいる全投手のために!』 まさにそんな感じです。それよりも気になったのが【中日初の二千万プレーヤー】の文字。


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遡って当時の新聞記事を読んでいくと、この前後の時代は年俸3000万がどうやら「大台」と呼ばれていたそうです。事実前年度の時点で3000万プレーヤーは王貞治(7800)張本勲(3700)田淵幸一(3200)の超大御所3名のみ。1978年になってのちの名球界プレーヤー、鈴木啓示山田久志山本浩二らがようやく“大台”に到達しました。


もちろん金額で当時と現代とを比較することはできませんけど、今もこの辺りのラインで働いてくれたら赤字になることもなく、球団経営もさぞ楽になるんでしょうねぇ。参考までに2012年度のファイターズナインで3000万超えは全選手の約1/3にあたる21人。2年目・斎藤佑樹も“大台”に乗せました(笑)

野球界は不景気知らず。本当どこまで年俸は上がり続けていくのでしょうか。羨ましいけど、見ているだけのこちらとしては、球団の懐具合の方を少し心配してしまいますよね‥‥


※北海道日本ハム・東北楽天の選手年俸は週刊ベースボール増刊 2012プロ野球全選手カラー写真名鑑 2012年 2/24号を参照。


posted by 羽夢 at 23:41| Comment(7) | TrackBack(0) | 野球雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月24日

復刻! ○○によく合う?オレンジユニフォーム

ファイターズにも在籍していた坪井智哉さんは今、アリゾナのウィンターリーグでプレイされているそうです。2年前まで北海道にいたんですよね。何かもっと遠い出来事のような気もします。それで、現在その坪井さんがいるチームの監督を務めているお方の名前を聞いてびっくり!

なんと、あのマーシャルさんなんだそうです。そう、背番号「9」の!そう、初打席初本塁打の!そう!いきなり2億近い年俸で大型契約を結んだ、あのマイク・マーシャル! 20年前で2億ですからねぇ。それはそれはもう、当時は相当な大物扱いでしたよ。 ※詳細記事はコチラ!

メジャー時代は「トラブルメーカー」なんて呼ばれていたそうですけど、かえってそれくらいの選手の方が引退後も野球で飯を食っていけるのかしら。ほら、荒くれバナザードさんも以前どこかの球団のGM補佐みたいな仕事をされていたらしいですから(笑)


マーシャルが在籍していたのは1992年。ファイターズは土橋正幸監督でした。順位は最下位とわずか0.5ゲーム差の5位だったし、目前で西武の3連覇を見せられるわだし、コレとって特に印象深い出来事のない年だったんですけど、しいて挙げるならば一つだけ!

知る人ぞ知る、あのド派手なオレンジユニフォーム!1992年が最後の年だったのですよ。1981年にリーグ優勝したご褒美に球団が新調してくれたのですが、結局オレンジ時代は一回も優勝することができませんでした。(※1)だから今振り返ってみると、オーレンジなユニフォームは弱かったころのファイターズの、何か「象徴」のようにも感じてしまいます。 ※1:後期優勝なら1982年にあり


でも好きだったんですよねぇ‥。子供心に新鮮に映っていたのもあるけど、何より個性があったじゃないですか?オレンジって。ハムっぽいし(笑)。ファミスタとかでもすぐファイターズって分かってもらえます。その後の縦じまのもよかったけど、デザインがシンプルすぎて個性という点ではイマイチでしたかね。

当時の映像や野球カードなどを眺めていて、あとになってから気づいたこと。あのユニフォームのオレンジ色が東京ドームのグリーンの芝によく溶け込む!オレンジと緑の相性がバッチリで、やったら映えるんです。


1989.西崎幸広投手
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ですので‥ ここいらで球団職員の方、どうでしょう?この前もチラっと言いましたが、もうすぐ球団創設40周年ですし、東京ドーム主催ゲーム限定とかで、オレンジユニフォームを「復刻」 されてみては。田中幸雄さんなんか、きっと10才くらい若返っちゃいますよ?(笑)

一度だけ、遠征に行った試合で1981年のユニフォームを“復刻もどき”してましたけど、あんなんじゃなくてね。ちゃんと上下揃えて!帽子も変えて!試合中も着用して!(笑)

F・セギノール
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今シーズンからドラゴンズも新しいユニフォームに変更しましたが、どうも複数の球団のユニフォームと似たり寄ったりであまり良い印象は受けませんでした。

昔はそれこそ緑とかピンクとか水色とか、各球団の色(カラー)が決まっていたのですけど。今はもうそういう時代ではないのでしょうか。皆さんが好きだったのはどの時代の、どんな色をしたユニフォームでしたか?


≪参考≫ビジターはこんな感じ


※同じく復刻ユニを‥できればオレンジユニを求ム!という方はぜひ“賛同”のクリックをお願いいたします(笑)
posted by 羽夢 at 21:55| Comment(8) | TrackBack(0) | FSネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月22日

背番号『12』物語 【田中幸雄〜松本剛】

今季からファイターズの背番号「12」を背負うのはルーキーの松本剛(帝京高)田中幸雄氏以来の『大型遊撃手誕生か?』と期待を抱かせてくれる選手です。高校生離れしたガッチリとした体型も、入団当初の氏によく似ていますよね。弾丸ライナーでレフトスタンドに運んでいった、昨夏の甲子園での特大アーチは鮮烈な印象を残しました。当面は中田・杉谷に代わる「新・鎌ヶ谷の星」を目指し、早期の1軍昇格を望みます。


ところで‥この背番号「12」を松本が背負うと聞いたとき、驚きませんでしたか?野手が付ける番号としてはかなり珍しい方だと思います。私も最初は“球団初”となる野手12番に少し戸惑いましたが、徐々に『とうとうこの時がきたか‥』 そんなような気持ちに変わっていきました。

言い方が適切ではないかもしれませんが、ファイターズでは 「縁起が悪い番号」として知られています。12番を背負った投手が故障などの原因によって、早々にチームを退団してしまうといったケースがやたら目につくのです。それならばと、2010年からは外国人投手に付けさせて風向きを変えようとしたのか、カーライルも昨年のオビスポも、結局1軍で1勝も挙げることのできぬままチームを去っていきました。では日本ハム球団となってからの歴代背番号「12」選手を少し振り返ってみましょう。


1974-1976 藤原 眞 23勝48敗3S
1977    中原 勇 5勝6敗   
1978-1981 宮本 好宣 2勝4敗
1982-1989 田中 幸雄 25勝36敗16S 
1990-1991 舟山 恭史 0勝0敗
1992-1993 上田 佳範 0勝0敗
1994-1995 関根 裕之 47勝45敗 
1996-2000 沼田 浩 8勝5敗
2001-2002 加藤 竜人 3勝5敗
2003-2007 鎌倉 健 7勝7敗
2008    歌藤 達夫 3勝4敗
2009    ≪空き番≫
2010    B・カーライル 7勝15敗
2011    W・オビスポ 8勝4敗
※右は他球団在籍時も含む通算成績


一番長い期間、「12」を背負ったのは田中幸雄投手。1985年のノーヒット・ノーランやストッパーとしても活躍するなど、12の印象がもっとも強いのは同投手でしょうね。ただ、このあとが受難続き。

1991年の“ドラ1”上田佳範は肩の故障から投手に見切りをつけて、入団2年目に野手転向。「12」の中では“勝ち頭”の関根裕之も「47」に変更した途端にケガが癒え、エース格に上りつめたという皮肉。ルーキーのころ、すなわち故障前は晩年の関根投手からは想像もできないような豪速球を放ってたのですけどね。

個人的に応援していたのが沼田浩。先発の谷間で出てきてポッと好投したりすることもあって、その成績以上に印象度は高いのです。沼田投手も入団時は150キロを越す、速球派の触れこみでしたけど1年目のキャンプ時の負傷が思っていたよりも尾を引いてたのか、プロ入り後はサイドからのクセ球で相手打者を幻惑するような技巧派投手に転身していました。捕手の野口寿浩とともに上がったお立ち台で‥

『なにも速いボールなんかなくても、低めにボールを集めれば抑えることができる』

なんて、壇上で女房に讃えられていたことをよく覚えています。


1998年6月7日のロッテ戦では初完投!
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そして、ある種“象徴”とでもいいますか‥ 鎌倉健投手。ひじょうに期待されていた選手で、新人年に変則サイドから140キロ台中盤の快速球を放っていたときは何か将来が末恐ろしい気もしました。3年目には7勝をあげて順調に階段を登ってきているように見えましたが、肘の手術後は以前の速さは甦らず‥。わずか5年でファイターズでの野球生活に幕を下ろしました。『故障さえなければ』 どうしてもそんな風に感じてしまう、本当にもったいなかった投手ですよね。


このように「12」を身に纏った投手は若くして故障が付きまとい、背番号変更はたまた野手転向などを余儀なくされています。しかし、だからといって他球団なら主力級の10番台を欠番にするのもどうかと思うし‥ 『ん〜それならピッチャーじゃなくてバッターなら大丈夫だろう?』的な、ファイターズ球団においては前例のない、画期的な試みとなるわけです。

こんなことを言ったら若い松本にプレッシャーを与えかねませんけど‥。それでも他球団を見渡せば楽天・草野や巨人の鈴木尚といった野手の「成功例」もありますし、野手・松本があらたな「12」ストーリーを紡いでいくのも悪い話ではないかもしれません。名前のような剛い心を持ち、長い“呪縛”から解き放ってくれるような活躍を、心から願います。



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2012年02月18日

日本ハム‥ ドリフスターズ?

日本ハム球団の前身、東映・日拓時代の愛称は「フライヤーズ」でした。日本ハムになったの機に愛称を「ファイターズ」へと変更したわけですが、実はこれ、ファンから公募したものの中から決められたそうです。フライヤーズの頭文字「F」を意識させているのかとか、当初はそんな風に思ってたいたのですけど、単なる偶然の産物だったのですね(笑)

これにはさらに面白いエピソードがあります。公募によって選ばれたとはいえ、「ファイターズ」はそんなに人気が高くなかったそうなんです。1番人気は「ジャガーズ」、2番が「イーグルス」さらに「フェニックス」「ウィナーズ」「パンダーズ」と続いていき、ファイターズはなんと上から数えて10番目。

けっきょく大社義規オーナーや中西太監督らによる“選考委員”によって、この愛称が採用されました。「ファンの意見はどうなった?」という、若干のツッコミもしたくなってしまう心境ではありますが(笑)『闘志を持って戦うことが大切』 を理由として、ファイターズを選ばれたそうです。

勇敢でいかにも強そうな印象を受けるし、何よりこだまでしょうか?いいえ、響き です。「日本ハム」との相性もとても良く感じられますよね。今思うとファイターズという愛称が選ばれてよかった気もします。‥パンダーズじゃちょっと相手チームからナメられてしまいそうですしね(笑)


ただ、困ったことが一つだけ!マスコットの問題です。なかなか定着しなかったんですよね。だって「ファイター」ですもの。どのようにして闘志を“表現”させれば良いのか‥。現在は北海道に行って熊さんのマスコットがすっかり定着してますけど、あの当時は怪獣とか恐竜みたいなやつだったり、ボールがヘルメット被っているような、何か風変わりなものまでいました。馴染んでいった愛称とは裏腹に、球団マスコットの変遷を見ていると、苦悩の色さえ浮かんできます(苦笑)

思うに球団創設のころでしたら、いっそ等身大の張本勲さんの人形でも作ってキャラクラーにしてしまえば良かったんですよ。だって現役時代の張さんくらい、ファイターの名に相応しいお方はいませんし。これなんか見てください!


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「暴れん坊将軍」 がファイターズにいたんです!

が、 残念なことに肝心な子供ウケがあんまりよくなさそうでした(笑) こんな勇ましげな張さんをイメージしつつ、新愛称が決まった当時の、ツッコミどころ満載な?爆笑記事を“原文ママ”でどうぞ。

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2012年02月16日

今浪隆博の偉大なる先輩


ナミちゃんが可愛くて仕方がない


と‥ ちょっと前回の佑ちゃんみたく、言ってみただけです。ナミちゃんこと、ファイターズが誇る若きいぶし銀プレーヤー・今浪隆博。でも「ニタっ〜」 ってする、あの独特のナミスマイル!個人的には愛おしくて、好きなんですけどね(笑)

初出場が代打でプロ初ヒットが内野安打、同初打点が押し出しによるものと‥ 「」のつくものはどこまでも今浪らしく“控えめ”な感じもするのですが(笑)、昨シーズンあたりから打球に力強さが増した印象を受けましたよね。前ヤクルト・青木宣親(坪井智哉?)を模倣したような打撃フォームも特徴的でした。元々守りには定評があるだけに、今季はいよいよ定位置取りか?と目されていた矢先の、まさかのキャンプ離脱。右脇腹の筋挫傷で全治3、4週間ですか‥

開幕も少し危うくなってしまいました。勝負強い一面も覗かせてくれた打撃とともに、意外とコミカルだった今浪をしばらくの間、目にすることができないのはひじょうに残念です。でも一番悔しい思いをしているのは本人でしょう。まずは故障をしっかりと完治させて、シーズン開幕後にあの愛くるしい?ナミスマイルを見せてくれるのを期待します。それまでには札幌ドームがどっかーん“ウケる”ギャグも、しっかり考えてきてくれるでしょう(笑)


今回はさらに「今浪繋がり」でファイターズOBの紹介。京都の平安高から明治大、今浪とまったく同じ球歴を辿った選手、近藤和彦さん。(1936〜2002)

現役時代は天秤打法と呼ばれる独特なフォームから打率3割超え6度を記録。主に大洋ホエールズでご活躍されました。


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見てみたかったですねぇ、この天秤打法!あの打撃フォームから一体どうやってあんなにヒットを量産させていたのか。現役を退かれてからもう40年近く経つのでさすがに当時の資料も少なく、往時のお姿をこの目で確認できないのが残念です。

引退後はファイターズでも長らく2軍コーチ・監督を務められていました。お亡くなりになられたあとで知ったのですが、近藤さんが‥

『ファイターズの2軍コーチをしているときが一番楽しかった』

たしかこんなようなコメントを、生前されていたらしいのです。もちろん指導者としての道を歩まれてからのことだと思いますけど、なんか嬉しいじゃないですか。

1994年までだからきっと金子誠だって世話になったはずですよ。『彼は立派に成長しましたよ』 って天国に近藤さんに言ってあげたいですね(泣)

おもえば近藤和彦さんがファイターズ2軍にいたころの1軍ボス、近藤貞雄さんも、大沢啓二さんも旅立たれてしまいました。昭和の名将たちと空の上で野球談議に花を咲かせているのでしょうか。W近藤氏はファイターズよりも現在(いま)はどちらかというと、ベイスターズの低迷ぶりの方に頭を悩ませているかもしれませんね‥



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2012年02月12日

熱いぜ! ≪斎藤佑・乾・榎下≫


佑ちゃんが可愛くて仕方がない


いい年した大人が、しかも男の大人がこんなことを言うのもなんなんだけど。昨年のドラフト会議で例の“事件”があったから余計にそう感じるのかもしれない。“あの彼”よりもはるかに知名度も高かったのに、かつ意中の球団では決してなかったであろう北海道日本ハムに【天命】といって、ニコニコしながら入団してきた斎藤佑樹が、本当に可愛くて仕方がないのだ。心から応援したくなってしまう。

ダルビッシュ有がいなくなっても斎藤佑がいる。ダルの代わりになるとは言ってない。あくまで「存在」。ファイターズファン以外、またプロ野球にそれほど精通してない人でも斎藤佑樹の名だけはとりあえず知っている。そんな選手がいてくれることが嬉しい。斎藤佑からファイターズの話を切り出していけることが、なんか嬉しい。

カープとの練習試合で今季初の“実戦”を見た。直球はコーナーにコントロールされていて、落ちる球の切れ味も鋭い。昨シーズン調子を上げてきたころの背番号「18」の投球だった。今年こそ2ケタ勝利は達成してくれるだろう。名実ともにエースになってくれる日を、ファンは待っている。そして、個人的に願っている。


斎藤佑と同期入団である2投手にも、今シーズンは大いに期待を寄せている。乾真大にはローテーションの一角を担ってもらいたい。昨シーズンは中継ぎでの起用がメインで、まだどういった使われ方をするのか分からないが、左は宮西尚生と石井裕也2枚持っているので今季は先発をさせてみても面白いと思う。そんな風に感じさせてくれる投手だった。

東洋大時代はなんとなく“軟投派”なイメージもあったのだが、プロ入り後にストレートの力強さが増してきた。球速も140台中盤をマークし、三振を奪える「縦スラ」もひじょうに魅力。ファイターズでは久しい【本格派左腕】になれる可能性を、この乾は持っている。タイプの違う武田勝とともに、ぜひ先発左腕2本柱を形成してもらいたい。


榎下陽大は昨シーズン、ファームでの起用方などをみても「抑え」で育てていくことが一貫している模様。たしかに“剛球”榎下にはもってこいのポジションだろう。一足先にブレイクした増井浩俊のように、ストレートでグイグイ押していける投手に育っていってほしい。


そして、名護1軍キャンプに参加している植村祐介・吉川光夫も3人と同じ斎藤世代。紅白戦で好投を披露した吉川も有力な先発ローテーション候補のひとり。プロでの“先輩”として意地を、今年こそ見せつけてほしい。どこかのチームスローガンではないが、『熱いぜ!』 な1988年生まれ・FS投手陣の旋風を期待!


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2012年02月10日

あえて、尾崎匡哉

今や一躍「時の人」となっているソフト部出身・大嶋匠。大嶋について触れるのは初めてで、少し緊張しております(笑)

2012年に入団した新人選手は全体的に『今シーズン中の1軍昇格は難しいのでは‥』と感じていただけに、仮に大嶋が戦力になってくれるようなものなら嬉しい誤算となります。話題を独占した例のホームランを映像を通して確認しましたが、ひじょうにシャープな振りをしますよね。それでいて力強い!

昨年のファイターズは左の代打陣が手薄な印象もしたので、まずはこの“攻撃力”を前面にアピールしていき、ぜひ開幕1軍入りを目指していってほしいと思います。


先日、お世話になっている方と「攻撃型捕手」についての話をしました。先述の大嶋も十分その資質はありそうですよね。2枚看板の大野奨太鶴岡慎也も決して打撃が悪いわけではありませんが、どちらかといえば下位打線に置かれる方が多いので“攻撃型”とはいえません。今のメンバーを眺めていて、中軸を任されていた経験もある高橋信二のような捕手に一番近いタイプは案外、尾崎匡哉なのかもしれませんね。報徳学園時代から打撃に定評があった選手で、2009年に内野手から捕手登録に変更されたのは有名な話です。

ところでなぜ尾崎が捕手にコンバートされたのか、その理由は知っていましたか?詳しい経緯を私はこの本で知ることができました。





驚きました。書店でパラパラと眺めていましたら、冒頭(プロローグ)からいきなり尾崎匡哉!それから中田翔・水上善雄前2軍監督の話へと続いていき‥ 『え!これは日ハム本!?』と、表紙に戻っておもわずタイトルの確認をしてしまいました。

この中に尾崎がコンバートに至った経緯、もう少し詳しく言うとそれを発案した水上氏の“答え”が記されています。本人のプライドだってあるし、ましてや専門性の高い捕手というポジション‥ なかなかスンナリとはいかなかったそう。その辺の苦労話や理由を知ってみたい方はぜひ本書に目を通していただけたらと思います。


現在はチーム事情から内野を守る機会も多いのですが、考えようによっては尾崎ほど心強い存在は他にいないですよね。「内野手もこなせてしまうキャッチャー」 飯山裕志も捕手経験があるそうですけど“場数”を多く踏んでいるのは間違いなく尾崎の方です。こういった選手がベンチにいると攻撃面でも守備面においても、バリエーションは豊富になりますよね。だからこそ尾崎にはしっかりと1軍に定着してほしいのですが、10年目の今シーズンはどうなるでしょうか。


ファンやマニアの間では「最高のドラフト」と名高い2002年のファイターズドラフト。今も主力として活躍する武田久小谷野栄一らがいた年の“ドラ1”が尾崎でした。尾崎がモノになれば、さらにあのドラフトの価値を高めてくれることになるでしょう。巻末に記されていた、いつも前向きな尾崎らしい言葉が印象的でしたので、最後に載せておきます。


『内野だけやっていたときといまとでは、全然感覚が違う。これもやっぱり、キャッチャーをやったおかげですよ』 エピローグより


≪追伸≫
「二軍監督」では水上氏の他に、山崎立翔(広島)高橋慶彦(ロッテ)鳥越裕介(ソフトバンク)川相昌弘(中日)高田繁(巨人)も取り上げられています。個人的には渡辺久信の熱血指導ぶり、栗山巧との秘蔵話やファイターズナインもお世話になった猿渡寛重氏のヤクルト2軍監督時代の話を興味深く読ませてもらいました。猿渡さんといえば、ハム狂の親父がいつも 『猿さんのノックは芸術的だ』と感心しておりました。東京ドーム時代の懐かしい思い出です(笑)

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2012年02月07日

『松井秀喜』 だったとき

自分、あの曲好きなんですよ。

『39度のとろけそうな日 炎天下の夢 Playball Playgame!!』

ずっと“36度”だと思いこんでいた、センチメンタル・バスの「Sunny Day Sunday」。よく考えてみたら36度くらいじゃ人間とろけたりはしませんもんね。本当にリズミカルな曲で聴いていると2分30秒という時間がアッという間に過ぎ去っていきます。歌詞の中にある‥

『でもね えっとね うまく言えないけど〜シアワセだ!!』
‥なんかいいなぁココ。


この曲が発売されたのが1999年。今からもう13年も前になるのですね。99年の野球界といえば正田樹の桐生第一高校が甲子園で群馬勢初の優勝、松坂大輔・上原浩治の両ルーキーがプロで鮮烈なデビューを飾り、ダイエーホークスが球団初の日本一、そして松井秀喜がプロ入り初の40本の大台に乗せた年でもあります。

そう、もうお分かりですね。最初からこの松井秀喜のことについて触れてみたかったのであります。どうも回りくどくてすみません。何やら新聞紙上を賑わしていましたよね。『栗山監督が松井の獲得をフロントにお願いしている』みたいな記事。まったく現実味はありませんけど、ファンの勝手な妄想は自由です(笑) 1%でも可能性があるうちに、今日はその松井の思い出などについて、ちょっと語ってみようと思います。


やっぱり松井がいたころ一番見てたんですよね。当時の我が家はCS放送が視聴できなかったので、仕方なくG戦を‥。よく船越アナあたりが 『ゴ〜ジ〜ラ!』大絶叫していた、あの時代。中畑清氏に『松井は髪を気にしすぎ』なんて、“解説”されていたこともありました。ゴジラだって髪は気にします。


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“ゴジラ”といえば生前に家の母親がこんなことを言っていました。 『あのゴジラの登場曲、内心本人は嫌なんじゃないか?』 母親いわく「松井だって年頃なんだし、本当はもっとカッコイイ登場曲の方がよかったはず!」そんなニュアンスでした。今思うと、それよりも何よりも「子供に喜んでもらえるのなら‥」という思いが、松井自身の中では一番にあったのではないでしょうか? あくまで推測ですけど。

“人間性”といった部分では野村克也氏がよく褒めていましたよね。『松井はよう人間ができとる』みたいな。1視聴者として私がソレを垣間みたのは、1999年のタイガース戦。メイという投手から死球を受けて、珍しく怒りをあらわにしていました。松井はその試合で殊勲打を打ってお立ち台に上がり、 壇上で『今日は珍しいこともやっちゃいましたけど(笑) にこやかに、まるで笑い話でもあるかのように話していたのがとても印象的でした。懐の広さはそれこそゴジラ級かもしれません。


こんな人間的にも素敵な松井選手だから、栗山監督が欲しくなってしまうのも当然です。少しの間だけ、札幌ドームで火を噴く「ゴジラ松井」を夢見ていたい、如月の夜‥


≪追伸≫
並行して中日や横浜で活躍した門倉健投手の入団テストが決まったそうですね。彼とは同郷なので、個人的に応援したい気持ちはあります。ただ、ひとつ言えるのは門倉はとても 「愛すべきキャラ」です。これは保証します(?) 野球とはあまり関係ありませんけどね。




posted by 羽夢 at 22:03| Comment(3) | TrackBack(0) | 羽夢日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月05日

球と泪と男と女‥ 『ねるとん物語』


『虹の地平を歩みでて 影たちが近づく 手をとり合って』


やっぱり道民の方がよくご存知なのでしょうか。トワ・エ・モワが歌いあげる「虹と雪のバラード」。この曲を中学の合唱コンクールのときに歌いました。なぜこの曲が選ばれたのか、詳しい経緯は忘れてしまいましたけど。今思うと中学生にしては少し渋めの選曲ですよね(笑)

男性パートのところはおもいっきりテナーな感じで、まだ声変わりする前の自分にはキツかった印象があります。歌詞の中にも出てきますけど、札幌オリンピックのテーマソングになったそうで。のちにファイターズが移転する、北海道が絡む曲をあのときに歌っていたなんて、何か不思議な気もします。


トワ・エ・モワは男女のデュオですが、「男と女」といえば今オフはファイターズ選手の結婚報道が相次ぎましたよね。なかでも田中賢介は特に女性人気が高い選手でしたので、突然の知らせにショックを受けたファンの方が大勢いたのでは。お相手はアナウンサーをされている方で、やっぱりテレビ関係者(笑)。金子誠に、たしか二岡智宏もそうでしたよね。野球選手とは接点が多いだけに、この流れもまた「必然」になるのでしょうか。


とんねるずの2人が司会を務めていた『ねるとん紅鯨団』という番組がありました。複数の男女による、いわゆる“合コン”を観察し、そこから何組のカップルが誕生するか?を見届ける“恋愛観察型”バラエティ番組。あいのりなんかよりよっぽど経済的です(笑)

特番になると「芸能人大会」が催され、当時はこれによく野球選手なども参加して、今でいう“恋活”をしていたものです。とても印象深かったのは西崎幸広投手。私がまだ幼いころでしたけど、よく覚えています。だって日本ハムの選手が全国ネットの人気番組に出演するなんてこと自体、かなりレアな時代でしたから。忘れるはずがありません(笑)

西崎さんがたしか入団して、1年目か2年目のオフの時だったと思います。当時「バラドル」として活躍されていた井森美幸さんとカップルになっていました。これだけ聞くと何やら“やっつけ”のようにもとられてしまいますが、若かりし井森さんはえらくキュートでしたので、おそらく西崎さんも満更ではなかったのでは?と推測します(笑)。このときに懐かしの 『ちょっと待ったコール』が入って西崎さんと争った人物がいたはずなのですが‥ 忘れてしまいました。(木梨さん?覚えてる方いたら教えてください)

とんねるずとの帝京繋がりでか、ファイターズの現投手コーチ・芝草宇宙氏も過去、密かに参戦していました。一人の女性と終始いいムードを築いていながら、土壇場で歌手の小金沢クン?に持っていかれました。う〜ん‥ あの頃のピッチング同様、ツメが甘かったのか? 嘘です。でもスタジオゲストに来ていた今井美樹様に‥

(引きずるようなフラれ方をして) 『カレ、来シーズン大丈夫〜?』

なんて、妙な心配をかけてしまいましたっけ? ‥芝草コーチ、すみません。大爆笑してしまいました。


トワ・エ・モワから宇宙(ひろし)へ‥。だいぶ話は飛んでしまいましたが、球と泪と男と女。有とサエコとマーとまい‥。別れがあればあらたな出逢いもあります。皆さま、どうか素敵な恋愛をしてください。




posted by 羽夢 at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | FSネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月03日

『ドラゴンズ裏方人生57年』 足木敏郎

マネージャーや広報として、長年ドラゴンズを陰から支え続けてきた足木敏郎さんが書かれた本、『ドラゴンズ裏方人生57年』を読みました。


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他の方のレビューに「ドラゴンズファンなら楽しめる一冊」とありましたが、いえいえどこのファンであっても確実に楽しめます。過去に色々な球団の“球団史”みたいなものは読んできましたけど、これほどまでにトリビアの泉のごとく『へぇ』を連発させてもらった本は初めてでした。タイトルにもあるように、やはり57年という歴史は伊達ではありません。


本当どこから話していいか分からないくらいですが、面白かった箇所を何個が挙げると、足木さんは通訳も務められていた時期もあって、外国人選手と接する機会が多かったそうです。契約更改のときは日本人選手よりもお金にシビアで難航を極めるらしく、そこでの苦労話(裁判を起こされたこともあるそう)や、バースやオマリー、デストラーデは『本当はウチに入団するはずだった』などの恨み節?のような裏話まで聞けてしまいます。特に今でもドラゴンズファンに愛されているケン・モッカについてはだいぶ長いこと語られており、足木さんからも愛着を感じ取れます。ブライアント‥‥痛すぎましたね(笑)


モッカ選手
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ドラゴンズの選手はそれこそ戦後から活躍された杉下茂さん絡みのエピソードから、現在もプレーヤーとして頑張っている山崎武司山本昌まで網羅しています。一応ファイターズファンとして少し気になったのは、長年ドラゴンズの主砲として君臨し続けた大島康徳さんについての記述が見当たりませんでした(宇野氏はあるのに)。あれっ?足木さん!?(笑)

あとファイターズ繋がりでいうと、1983年のドラ1・藤王康晴さんについても触れられています。現役時代から引退後に至るまで、あまりよろしくない(野球外を中心に)噂ばかり立っていましたけど、いい意味で藤王さんの見方が変わりましたね。足木さんがおっしゃるのだから、きっと間違いありません。※P223

ファイターズで長らくコーチを務められていた今津光男さん。今津さんが一世を風靡した昭和の喜劇俳優・伴淳三郎氏にそっくりだったそうです。あの今津さんがおもわぬところで登場してきました(笑)。私も大好きだった近藤貞雄さん。「投手分業制」を発案した監督としても有名なお方ですが、近藤さんの背後でそれを助言した人物がいたそうな‥。これなんかもう『90へぇ』モノです!P153


『ナインを優勝に導いた「燃えよ、ドラゴンズ」』 『追っかけギャルを誕生させた男』ですとか‥ 『水原茂さんは下着にこだわっていた』 なんか、ドラゴンズファン以外でも気になりません?“現場”にいらした方ならでは視点と語り口で、板東英二の話を聞くよりタメになる!?

なんだか私、最後は本の営業マン‥ いえ、まるで「ドラゴンズ広報」と化してしまいましたが、ご容赦ください。でもそれくらい!自信を持ってお薦めできる一冊。


posted by 羽夢 at 16:35| Comment(2) | TrackBack(0) | 野球雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月01日

『どんなときも。』 ファイターズ


新シーズン、あけましておめでとうございます。


ここ数年、同じ挨拶を繰り返してきましたが、なかなか浸透はしてくれませぬね(笑)。 ‥まぁいいでしょう!2月1日、今年もプロ野球キャンプインの季節がやってまいりました。キャンプが始まったら紅白戦、オープン戦ときてアッという間に開幕です。2012年の北海道日本ハムファイターズは一体どんなシーズンになりますでしょうか。


私事ではありますが‥

キャンプインを迎えるにあたって、このサイトも3年目に突入しました。分かりやすくていいでしょう?思えば元々飽きっぽかった私がよくぞここまで続けてこられた!これも支えてくれた皆さまや、何といっても「ファイターズ愛」の力ですよね。もっとも最近ではファイターズにとどまらず、様々な野球にまつわる話もしていますから‥ ここはちょっと格好つけて「野球愛」 とでも申しておきましょうか。今日の私、じゃっかん「原監督化」しております。


この3年間のファイターズの順位は「1位⇒4位⇒2位」と、わりと浮き沈みが激しく、良い思いも辛い思いもたくさんしてきました。1番印象に残っている試合は相当“ベタ”になりますけど、やはりT・スレッジ選手のサヨナラ満塁ホームランでしょうか。あの時の心境を歌にしてたとえるなら 『嬉しくて 嬉しくて 言葉にできな〜い』 By小田和正


今年はそのスレッジも帰ってくるし、2009年のような感動をまたみんなで分かち合えるといいですよね。ただ、2012年は例年以上に厳しい戦いを強いられそうなことは、私だって承知。たとえ負けが込んだとしても槇原敬之の名曲、 「どんなときも。」(歌詞の)精神!


『好きなものは好きと〜 言える気持ち 抱きしめてたい』


‥を常に心掛けていき、あたたかい目でファイターズを見守ってゆきます。
ファンの皆さま、今シーズンもどうぞよろしくお願いいたします。


『あなたの一番大切なモノって、なんですか?』


posted by 羽夢 at 15:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 羽夢日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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